「弁護士JP生活保護連載」 第23回記事 令和7年7月7日

弁護士JPニュース
「生活保護」必要な人の8割が受けられず「バッシング」の対象にさえ…その“元凶”とは? 日本の制度が“悪い意味”で「特殊」である理由

Yahooニュース
「生活保護」必要な人の8割が受けられず「バッシング」の対象にさえ…その“元凶”とは? 日本の制度が“悪い意味”で「特殊」である理由

「生活保護」ではなく「生活保険」に

「生活保護」という言葉には、どこか特別な人だけの制度だという印象がつきまとっています。
それは、「ずるい」「甘えている」「自業自得」といった偏見となってあらわれ、制度を利用する人たちに不当な視線が注がれてしまう要因にもなっています。
けれど、本来、生活保護は社会保障制度の一つであり、誰にとっても「万が一の備え」であるはずです。失業や病気、離婚、介護…。人生の予期せぬ出来事により、誰しもが一時的に支援を必要とする場面があります。
支え、支えられる関係は、いつでも交差しうるもの。私たちは皆、「例外ではない」という前提に立って、この制度と向き合う必要があるのではないでしょうか。

■ 世界ではどう呼ばれているか

生活に困っている人々を支援するための公的な扶助制度は、日本だけでなく世界中にあります。日本では「生活保護」と呼ばれていますが、イギリスでは「所得補助」、フランスでは「積極的連帯収入」、ドイツやスウェーデンでは「社会扶助」、アメリカでは「一時扶助」と呼ばれ、それぞれの国で工夫をこらしながら、困っている人の生活と自立を支援しています。
本来、生活保護は「最低限度の生活の保障」と「就労支援(=自立支援)」という二本柱で成り立っています。けれど、名前の持つイメージから、日本ではどこか、特別な人のための制度という認識が根強くあります。
その誤解こそが、制度を利用することへの「恥の意識」や「遠慮」を生み、支援を必要とする人の命を、時に手遅れにしてしまうこともあるのです。

■ 働いていても生活保護を受けてもいい?

制度としては、働きながら生活保護を受けることにまったく問題はありません。むしろ「できる範囲で働いて、生活の一部を自分の力で支えること」は、生活保護の本来の理念にぴったり合っています。
これは、「支える側」から「支えられる側」になったとしても、またそこから「自立」へと歩み直せることを前提とした制度だからです。

ただし、重要なのは収入の申告です。申告しないまま保護費を受け取り続けると、不正受給とみなされてしまうことがあります。
「申告したら保護が打ち切られるのでは」と不安にかられて隠してしまう方もいますが、実際には申告すれば収入分を差し引いて保護費が調整されるだけです。過去の未申告についても、素直に申し出れば分割で返済するなどの対応が可能です。生活に困っていることが変わらない以上、制度から締め出されるようなことはありません。
にもかかわらず、「保護を受けているのに働いているなんてズルい」といった声がネット上では未だに散見されます。
そんな批判こそが、制度の正しい利用を阻み、人々の生活をより苦しくしているのではないでしょうか。
また、「働いても、働いた分は全部、生活保護費から引かれるんでしょう?」という誤解も根強くありますが、実際には「就労基礎控除」や「必要経費控除」などが制度上しっかり存在しており、働くことに対して一定のインセンティブが設けられています。

■収入申告のルールと制度の趣旨

就労しながら生活保護を受けること自体は、まったく問題ありません。むしろ、その人の現状と能力で働けるだけ働いて、その収入によって生活の一部を支えることは、生活保護制度の自立支援の理念に合致する、望ましいあり方です。
ただし、重要なのは、その収入を正しく申告することです。アルバイト、パート、内職、日雇い、クラウドワークスなどの在宅収入、副業、さらには友人からの謝礼的な金銭の受け取りまで、どんな形であれ金銭的な価値を伴う収入を得た場合は、すみやかに担当のケースワーカーに申告する義務があります。給与明細のコピーなどを添えて提出するのが一般的ですが、なくても申告できます。収入を申告しないと、仮に故意でなくても不正受給と判断される可能性があります。不正受給が発覚した場合、保護費の返還を求められるだけでなく、支給停止や、場合によっては刑事罰が科せられることもあります。このことから、生活費が足りず、ついアルバイト代の申告を怠ってしまい、結果として生活保護を打ち切られたらどうしようかと、ウソにウソを重ねてしまうことにもなりかねません。
行政書士が過去の収入未申告の相談を持ち掛けられたときには、とにかく今すぐ、事実を申告するという助言一択です。現に生活困窮しているのに、生活保護を受けられなくなることはありません。保護を継続しながら、過去の収入申告漏れによってもらいすぎた保護費を分割で無理ない金額で返済する方法もあります。
また、不当に減額されてしまった生活保護費では、節約してもギリギリの生活で、月半ばで食費がなくなってしまい、とりあえず日銭を稼げるアルバイトを探し、障害や病を隠して働こうとする人もいます。健康と命を削ってまで働かなくても、正直に、ありのまま、ケースワーカーに相談すれば助けてもらえるのです。食糧が月半ばになくなった場合、次の保護費支給日まで絶食するわけにはいきません。必ず行政が支援してくれますから、すべて相談することです。

■ 申告をためらう声に耳を傾けて

申告したら保護が打ち切られるのでは……。そんな不安から、ついアルバイトの収入を隠してしまう人もいます。
意外に思われるかもしれませんが「生活費が足りず、内職した。でも申告する勇気がなかった。」という声は、制度の現場で多く聞かれます。入退院を繰り返し、就労不可とドクターストップがかかっている方から届いたメールをご紹介します。
「肝臓の異常の原因をどうしても知りたくて、保険適用で出来るありとあらゆる検査をしていただきました。
その結果、【栄養失調】でした。
消化力が落ちて、それに比例して吸収力も落ちてしまっているとのことでした。とれる対策は、少量の食事をこまめに摂ることだそうです。
生活扶助費は、年齢が上がれば減額されます。当時のケースワーカーに理由を聞いたら、歳を取ればそれだけ食べる量が減って、食費がかからなくなるからだと聞きました。その上、いのちのとりで裁判にあるような大幅な生活保護費の減額。
三木先生も、沢山の相談者さんと接してきてご存知だと思いますが、生活に困窮した人間が最終的に取る手段は、食費を削る、食事を取らない、なんです。食事をとっていても、安価な物しか食べられないので、どうしても偏ってしまいます。食事を摂っていても、簡単にかくれ栄養失調が出来上がります。

栄養失調になると、熱中症にもかかりやすくなります。
三木先生のいのちのとりで裁判記事を読ませていただいたとき、『この大幅な保護費減額がなければ、私はダウンしてなかったかもなぁ…』と思いました。
足りていない栄養をサプリで補おうと考えて、ちょっとでも安いサプリを探していたとき(続けるためには、安さも大事)、口コミ欄で栄養失調になっている人の沢山の書き込みを見ました。生活保護の受給の有無まではわかりませんが、栄養失調で体調を崩している人達が結構いて驚きました。令和の時代に栄養失調…、これでいいのか?ニッポン。(←すみません、これは友達らのノリですm(_ _)m)」
生活保護費の支給日前に生活保護費が尽きてしまっても、食べないわけにいかない、食べなければ死んでしまう。病を隠し、なんとか内職で日銭を稼いだものの、申告すれば保護を打ち切られるのではないかとビクビクしていますと、そんな相談が毎日のように寄せられます。実際には申告すれば収入分を差し引いて保護費が調整されるだけ。過去の未申告についても、素直に申し出れば分割で返済するなどの対応が可能です。

制度は「追い出すため」ではなく、「支えるため」にあります。命を守る仕組みです。本来こんな簡単なことで思い悩み、行政書士に相談しなくても、役所の担当ケースワーカーにいつでも聞くことができるのです。でも、上下関係のようなものが出来上がってしまっていて、怖くて聞けないという声もよく聞きます。

生活保護費の給付は生活費の不足分を補うものですから、就労による収入を申告して、不足分を給付してもらうことに何ら問題はありません。先入観や誤解から受給者の就労に対して心無い批判がネット上に出回っている現状は、受給者の自立支援の妨げにもなっています。正しい理解のもとで受給者の就労を後押しできる社会こそが必要です。

生活保護制度を正しく理解して受給者への批判がなくなればいいのですが、そう簡単ではありません。「社会保障制度」というと、公的年金制度、公的医療保険制度、労災保険、高齢者福祉、保育・児童福祉、障害者福祉、などを思い浮かべる人は多いとは思いますが、「社会保障制度」の中に生活保護制度が含まれていることを意識している人はあまりいないかもしれません。何故、生活保護制度は社会保障制度と認識されにくいのでしょうか。

■ 健康保険と生活保護は、根っこが同じ

生活保護制度は、健康保険と同様に「みんなで支える仕組み」です。
それなのに
「健康保険は使って当然」
「生活保護は使いたくない」
この認識の差は、いったいどこから生まれるのでしょうか。

本質的には、どちらも共助の理念のもとに成り立っている制度です。たとえば、保険料を健康な人も支払うことで、病気の人の医療費をまかなうことができます。同じように、税金を通じて、困窮している人の生活を支えるという、仕組みとしては同じなのに、「健康保険」は当然と受け取られ、「生活保護」はバッシングされるのは、なぜでしょうか。これは、制度そのものの『見える化』がされていないことが大きな要因としてあります。そして、そもそもこの「健康保険も生活保護も仕組みは同じ」という認識が一般にされていないことが根底にあります。

■ 税金の「見える化」が信頼を生む

「自分の払った税金がどこに使われているのか分からない」
たしかに日本では、税金の仕組みが分かりづらく、何にいくら使われているのかが市民の実感としてつかみにくいのが現状です。そのため、生活保護に限らず、公的サービス全般に対して「何に使っているのかわからない」「高い税金を払っても、自分には何の恩恵もない」という不信感が募りやすいのです。

この不信感が、生活保護への抵抗感を生み出す一因でもあります。
一方、北欧諸国では、税負担が高くても、その分、社会保障や教育、医療といったサービスが充実しています。その実感が国民にあるからこそ、高額の税金への理解と納得が得られています。財政の見える化が徹底されていることは、信頼の土台を築く要因です。
たとえばスウェーデンでは、納税者が自分の払った税金の使途を簡易的に知ることができるオンラインツールが用意されています。透明性があるからこそ、高い税負担にも納得感が得られます。

日本が北欧とまったく同じ制度設計をとることはできなくても、生活保護に限らず税金がどのように使われているのかを、より分かりやすく示すことは可能なはずです。
そうした取り組みが進めば、「生活保護=他人の税金で楽をしている」という誤った見方も変わっていくはずです。また、政治と政治家に対する信頼の醸成が、制度への国民の納得と公平感を広げる鍵になるはずです。

日本の社会保障制度は、しばしば世界的に「素晴らしい」と評価されます。日本が世界に誇れる「社会保障制度」を日本人の我々が正しく理解せず、同じ日本人を批判している現状は、国民としての成熟度の低さを世界に露呈しているだけではないでしょうか。どのような素晴らしいものも、支える人間がいなければ形骸化します。その先には陳腐化し、制度の崩壊する未来が待っているかもしれません。偏見や誤解のまま、弱者を攻撃する安っぽい心を捨てて、真の意味で豊かな心と生活を得るために、今一度、自国のことをより知ることが大切ではないでしょうか。

■「健康保険のおかげで助かった」

何十万円もするというペースメーカーを装着して、心からそう思ったという70代の方に、「生活保護も健康保険と同じ、支え合う仕組み」というお話をしたところ、目からうろこという新鮮な感覚、言葉の魔法を感じたといいます。文字にして表記すれば何の問題もないのに、声に出すとそのトーン、スピード、ボリューム、それに表情が加わって全く違ってきます。「何をしているの?」その一言に震え上がることもあれば、溢れる愛を感じることもあります。それに似た感覚だったそうです。
「健康保険なんて使いたくない」という言葉を、未だかつて聞いたことはありません。世界に冠たる「国民皆保険」、国民、市民はそれを当たり前、ごくフツーのこととしています。一方、同じ仕組みの「生活保護」はどうでしょうか。捉え方の違いはどこから生じているのでしょうか。その誤りを正すには、何をどうすればいいのでしょうか。

■ 偏見の正体は「言葉」にある

「生活保護なんて受けたくない」「世間様に申し訳ない」
そうつぶやく人に、どれだけ出会ってきたことでしょう。
言葉の力は、時に人生を左右します。「保護してやる」という響きをもつ「生活保護」という言葉が、どれだけ多くの人に「自分は社会のお荷物だ」と思わせてきたか。
それは制度の問題ではなく、言葉がつくりだす呪いのようなものかもしれません。

■ だから、「生活保険」という言葉を

「生活保護」という言葉には、「保護してやる」「救済してやる」というニュアンスが含まれます。受ける側はどうしても、申し訳なさや恥ずかしさを感じてしまうのです。
そこで提案したいのが、「生活保険」という呼び方への変更です。「保険」であれば、「困ったときの備え」「お互いさまの仕組み」といったニュアンスが生まれます。
「生活保険」この言葉に触れたとき、思わず「キラキラした気持ちになった」と話してくださったのは、長年入退院を繰り返している生活保護受給中のシングルマザー。生活保護という言葉にまとわりつく重苦しさとは真逆の、軽やかさ、明るさ、前向きさが、「保険」という言葉にはあるのかもしれません。呼び方一つで制度に対する印象はガラリと変わるものです。「健康保険」「雇用保険」「年金」と同様に、「生活保険」も社会保障の一部として受け止められるはずです。

かつて、「精神薄弱」という言葉が法令で使われ、教科書にも載っていた時代がありました。「そんな呼び方は失礼だ」という市民運動が起き、「知的障害」という言葉に改められました。用語変更にかかった年月は38年。それでも変わりました。
「家長制度」は「DV(ドメスティック・バイオレンス)」という言葉に置き換えられたことで、かつて「しつけ」や「家のこと」として見過ごされていた暴力が、ようやく社会問題として可視化されました。同様に、「ヤングケアラー」という言葉が注目されるようになった背景には、長らく当然とされてきた「献身」や「家族のための自己犠牲」といった価値観がありました。とりわけ女性や子どもに暗黙のうちに強いられてきた美徳や役割が、ようやく言葉によって問い直され始めたのです。
このように、言葉が変わることで社会の認知が一気に進み、支援の手が届くようになった例は少なくありません。名称変更は、偏見を和らげる「はじめの一歩」として、確かな力を持っているのです。

■ 終わりに:名前が変われば、社会も変わる

生活保護という制度の価値を歪めているのは、その名称がもつ無意識のラベリングかもしれません。生活保護制度を根本から変えるには、生活保護法の改正が必要になります。これは国会での審議・可決を経なければならず、相当な時間と政治的調整が求められます。制度の設計変更には、財政の再配分や自治体の運用体制の見直しも必要で、簡単には進みません。
制度を変えることは難しい。でも、「呼び方」なら、今日からでも変えられる。
名称を見直すことは、法改正がなくても、行政文書や報道、支援現場での表現から徐々に始めることができます。「生活保険」という呼び名が定着すれば、言葉が人の心に与える影響も、社会のまなざしも、きっと少しずつ変わっていくはずです。

生活に困っている人が、「申し訳ない」とつぶやく社会ではなく、
「生活保険があって、本当に助かった」
そんなふうに胸を張って語れる社会であってほしい。制度は人を救うものであって、傷つけるものであってはならない。
「助けて」が言えない社会は、脆弱で実にもろいものです。けれど、「助け合い」を言葉から始める社会は、きっとまた、強くなれるはず。強く美しい日本をもう一度取り戻そうではありませんか。言葉を変えれば、見方が変わる。見方が変われば、社会が変わる。
生活保護を、生活保険へ。名称変更を提案します。


じゃがいもとベーコンとサラダ


春巻き


夏といえばハッシュドビーフ!お客様の家庭菜園で頂いたトウモロコシと♪


疲れて料理ができない日はピザオーダーで贅沢、トマトがあるだけで家庭料理風に