「弁護士JP生活保護連載」 第24回記事 令和7年7月14日

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病に苦しみ働きながら「生活保護」受給…シングルマザーを追い詰めた市職員の“ハラスメント” 子の大学卒業と同時に保護を“卒業”するまでに味わった“辛酸”とは

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病に苦しみ働きながら「生活保護」受給…シングルマザーを追い詰めた市職員の“ハラスメント” 子の大学卒業と同時に保護を“卒業”するまでに味わった“辛酸”とは(弁護士JPニュース)

今日の記事は、行政書士が女性のお客さまとのメールのやり取りで心揺さぶられ、大いなる力を頂き、この言葉で表現しにくい大きな感動、変化をヤフーニュースを何気なく見ている方にも感じてほしいと思い、書いたものです。

誰の人生も、波乱万丈。唯一無二の長編映画の主人公であることは幸運なこと。行政書士の陳腐な言葉では伝わらないので、子宮頸がんと診断を受けてからも病に負けず、生活保護を利用して試練を生き抜いてきた「リカさん」と二人三脚で書いた元原稿をこちらに公開します。(公開のヤフーニュース記事の編集校正前の原稿そのものです。後日のエピソード、独特なガン克服の体験談もご紹介します。)

生活保護からの卒業

2024年3月、大阪府茨木市で生活保護を受けていた受給者が自殺した事件がニュースで流れました。福祉事務所の職員による不正が報道され、制度の運用をめぐる疑問の声が上がっていました。

同時期に、同じ市の福祉事務所で生活保護を受けていた一人のシングルマザー(リカさん(仮名)は、そのニュースを目にして、思わずつぶやいたそうです。
「やっぱりな。」
リカさんは、長年の闘いを経て、今年生活保護を卒業しました。長らく、リカさんは福祉の「支援する側」にいました。制度の現実も、その過酷さも、ある程度知っていたつもりでした。

けれど、福祉の現場で他人を支えてきた彼女が、ある日突然「支援を受ける側」に立たされたとき、痛感することになったのです。制度の冷たさや偏見、そして、声を上げても届かない理不尽が、どれほど深く人を追い詰めるのかということを。

人は誰しも、老いて、早かれ遅かれ福祉制度を利用する立場になります。いざ、自分が支援を受ける側になったとき、人権が守られなかったら、SOSの声をあげても拾ってもらえなかったら、どうなってしまうのでしょうか。
リカさんの体験から、等身大の生活保護利用者の姿を描くことで、「明日は我が身」として、誰もが社会のあり方を見つめ直すきっかけになればと思います。

「お母さん、逃げよう」独房のような一時保護施設で始まった再出発

幸せだったはずの結婚生活は、出産を境に崩壊していきました。夫は仕事がうまくいかなくなると酒に溺れ、暴言と暴力が日常化。生活費もろくに入れず、食事に文句をつけては、絵に描いたようなちゃぶ台返しの日常。

「浮気も男の甲斐性」そんな時代錯誤な言葉に縛られ、リカさんは「これが普通」と思い込もうとしていました。

ある日、手料理を投げ捨てられた部屋の片隅で、割れたコップの破片が飛ばないよう濡れ雑巾でかき集めていたところ、小さな破片が指に刺さりました。痛みを感じ、流れる血を見て、思わず涙していたときのこと。
「僕がお母さんを守るから。逃げよう」
まだ幼いわが子が、ぽつりとこうつぶやいたのです。

その瞬間、リカさんはハッとしました。傷ついていたのは自分だけではない。守るべきは、この小さな命だった。殴る・蹴るといった肉体的DVだけでなく、モラルハラスメント、言葉の暴力、無言の圧力。すべてが「支配」のための手段であり、目的は精神の隷属だったのだと気づいたといいます。

頼れる親族もなく、引越費用も工面できないまま、母子で警察に駆け込みました。「暴力夫を逮捕してほしい」と訴えるも、返ってきたのは「民事不介入」の冷たい一言。それでも、子どもが怯えていて、今すぐには帰れない。命の危険があるのだと何度も粘った末、ようやく紹介されたのは「DV被害女性用の一時保護施設」でした。

ところが、その施設の扉をくぐった瞬間、絶望が押し寄せてきました。テレビで見た刑務所の独房のような空間。窓には太い柵、高い塀には、鉄格子が無数に巻かれていました。同じような境遇の母子世帯とも自由に話すことは許されず、まるで罪人のような扱いを受ける日々。

もちろん、そこには理由がありました。妻子を取り戻そうと半狂乱の男性の侵入を防ぎ、被害者同士がトラウマを刺激しないようにするための措置だということも、頭では理解していました。けれど、気持ちがついていかないのです。心を閉ざし、言葉を失い、「私は犯罪者なのか?」という錯覚すら覚えるような孤独な日々。それでも、物理的に夫との距離を取れたことで、リカさんは離婚を決意。ようやく、母子の新しい生活が始まりました。

それでも働くことをやめなかった

離婚後、リカさんは女手一つで子供を育てるため、休む間もなく働き続けました。非正規での仕事を掛け持ちし、昼は就労継続支援事業で支援員として、夜は運送業者で働く日々。複数の仕事を抱えながら、女手ひとつで子どもを育てる現実は過酷そのものでした。

就労施設の現場では、理不尽と直面することも多々ありました。「支援」と名のつく場所であっても、不親切な対応に傷つけられる利用者は多く、リカさんは「自分は絶対に、あんな対応はしない」と決意。どんなときも寄り添う姿勢を忘れませんでした。
日常のちょっとした手続き、移動でも、体調の変化によって、当たり前にこなしてきた生活の一つひとつが、困難になる人たちの現実。制度や法の壁に何度も阻まれながらも、リカさんは支援員の立場でできる限りを尽くし、時には夜遅くまで一緒に悩み、考えました。

「それじゃ、自分が潰れてしまうよ」
周囲からは、いわゆるバーンアウト、燃え尽き症候群を心配されるほどだったといいます。

そして、その懸命さに、間違った形で依存してしまった利用者が現れました。ストーカー行為を受けるようになり、やむなく支援の仕事を離れざるを得なくなったのです。
それでもリカさんは、立ち止まりませんでした。スーパーのレジ打ち、配送センターでの肉体労働、業種も時間帯も問わず、働ける場所があればどこへでも出向き、ひたすらに働きました。

少しでも就職の可能性を広げようと、フォークリフトの免許取得にも挑戦。実技試験は、台風の風雨が吹き荒れる日でした。男性ばかりの受験者に交じって、100円ショップの安い雨がっぱを羽織り、ずぶ濡れのまま試験に臨んだリカさん。
「かっこいいですね!」と声をかけた行政書士に、彼女は笑って答えました。
「唇が青紫色になってガチガチ震えながら試験を受けた…ぐらいしか覚えていなくて…現場のかっこいい女性とは正反対でした。」

かっこよさなんて微塵もなかった、とリカさんは言いますが、凍えた体で笑う母の強さを見せつけられた気がしました。

「休みたいけれど休みたくない」心療内科で号泣

いまではようやく、副業や兼業をする労働者にも労災保険が適用されるようになりました。けれどそれは、ごく最近のこと。多様な働き方を選択する人やパート労働者等で複数就業している人が多い実態を踏まえ、令和2年の労災保険法改正によって、ようやく、複数の仕事を掛け持ちする人の安全と健康が守られるようになったのです。

リカさんが昼も夜も、休みなく働き詰めていた当時はまだ、「一つの会社で働くこと」が前提の法律でした。

複数事業労働者は、どれだけ働いていても、その労働時間は会社ごとに分断され、膨大な労働をしても労災認定されず、泣き寝入りをせざるを得なかった時代です。
食事をとる暇もなく、栄養失調に陥り、トイレに行くことさえままならなくなったある日、リカさんは「このままだと本当に死んでしまう」と、這うようにして病院を訪ねました。

「今は、とにかく生活保護を受けて、体を休めましょう」
診察室で告げられたリカさんは、生活保護なんて受けたくないと声を上げて泣いたといいます。
「じゃあ、今一番困っていることはなに?どうしたいの?」
困り果てた医師が問いかけたとき、抑えていた想いが一気にあふれました。

「休みたいけれど、本音を言えば、休みたくない。働きたい。でも、体がついてこない」診察室は、しばらく涙の海になりました。医師は、まるで幼い子をあやすように言いました。
「じゃあまず、働けるようになるために、食べて、寝て、休みましょう。」
リカさんは、振り返ってこう笑います。
「今、思い出しても、幼い駄々っ子のような言動で、褒められたものではありません。でも、それくらい追い詰められてたんですよね。」

働き続けてきた自負と、生活保護に対する世間の偏見が、心のどこかに根を張っていたのでしょう。「最後の砦」があると頭では知っていても、そこに足を踏み入れることは、自分の人生や選択を失敗だと認めるようで、怖かったという声はよく聞きます。
だからこそ、生活保護制度の「捕捉率(※申請さえすれば生活保護を利用できる困窮度合の人が実際に生活保護を受けている割合)」は今も低いままです。助けを必要とし、受給資格がある人のうち、実際に制度を利用できている人は半分にも満たないという統計があります。

リカさんのように、助けを求めることさえためらう人が、いまこの瞬間も日本のどこかで静かに追い詰められています。

働きながら生活保護を受けることに

生活保護の受給が始まっても、リカさんの心は「休むこと」に慣れませんでした。体力を取り戻したら、もう一度働きたい。少しずつでいい、自分の力で生活を立て直したいという想いは消えることがなかったといいます。

そんなとき、茨木市が独自に実施していた「就農支援」制度の存在を知りました。いつか自然の中で、自分のペースで働けたら──そんな夢がふと胸をよぎり、まずは体力づくりを兼ねて、単発の日雇い労働を始めることに。
しかし、無理をすればすぐに体調を崩してしまう。肝臓の数値が悪化し、医師からは繰り返しドクターストップがかかります。それでも、リカさんは歩みを止めませんでした。

日雇い派遣で働けば、雇用保険制度の適用を受けられます。2ヶ月間に通算26日以上の勤務、または6ヶ月で78日以上の勤務があれば、傷病手当金を受け取る資格も得られます。
やがて、通院治療と両立可能な理解ある職場にも恵まれました。資格を取得し、地道に就労を続け、月々の収入も必ず申告。制度に則り、まっとうに生活保護を活用していたリカさん。

しかし、ここでもまた、試練が訪れます。

4月、新しく担当になったケースワーカーから、ある日突然、電話がありました。
「来月から、通勤定期代1万円も収入として認定し、保護費を減額します」
着任したばかりのケースワーカーとの最初の会話で、絶望の淵に。仕事に出るために必要な交通費まで収入扱いですか?納得できず、異議を唱えると、返ってきたのは大声での叱責でした。
「一度決まったことなんだから!文句を言うな!この対応は問題ない!」
さらに、その後もハラスメントともいえる対応は続きます。

「生活保護世帯が子どもを大学に行かせるなんて、贅沢」

ある日、通院移送費の相談で役所を訪れたリカさんに、ケースワーカーは矢継ぎ早に言いました。

「駅前に出るバス代すらないんなら、大学をやめさればいい。
生活保護世帯なのに大学に行かせるなんて贅沢。」
生活保護を受けていたら、子供が大学に行きたがっても、諦めさせて高校卒業後に働くように説得するのが普通の親。子供も、高校卒業後の進路で就職を選ぶのが普通。
あなた達親子は、親子揃って非常識で厚かましい!
そんなに大学に行かせたいなら、生活保護をやめたら~?(意地悪そうなニヤニヤ顔で)
生活保護世帯でありながら、就職せずに大学に行ったような子供なんて、見捨てたらいい。
通院バス代を捻出できないなんて、無駄遣いが多くて金銭管理能力がないってことなんだから、施設に入ってもらうことになる。」

心無いことを矢継ぎ早に、息を吐く間もなく畳み掛けられたといいます。
母として、絶対に譲れない一線がありました。
真夏の節約生活の中、氷枕でしのぎながら勉強を続け、家事も担って働く病気の母を助けてくれた自慢の息子。その息子を、非常識と一蹴されたことだけは、どうしても許せなかったといいます。

「会社から支給されていた通勤定期代、月額一万円を、全額収入認定して、保護費を減らすなんて一方的な対応がなければ、通院移送費の申請を考えることもなかったのに、なんでそこまで言われなきゃいけないんですか?」
「保護費、削減せなあかんねん!!!!」
尋ねたリカさんに、浴びせられた罵声。

「私のことを悪く言われていたのは聞き流せていたんですが、当時の息子は、大学の先生から『この調子で頑張れば、卒業式に成績優秀者で表彰されるよ』と言っていただけたぐらいには頑張っていましたので、意地悪そうにニヤニヤしながら言ってきたケースワーカーの顔面を叩き潰してやりたいほどの怒りに飲み込まれそうになりました。」

その怒りを必死に飲み込んで、押さえ込みながら生活をしていたある朝、リカさんは文字通り、プスン…と、電池が切れたように、起き上がることも指一本動かすことも出来なくなっていました。

傷病手当金をめぐる闘い

働きたい、でも体が追いつかない。母子での生活のために、資格を取りダブルワーク。体調を崩し、生活保護を受けながら通院を続け、再就職を果たしたリカさん。しかしその矢先、再び襲った体調不良。血尿、急性腎盂腎炎――原因は、明らかでした。あのケースワーカーからの、執拗なハラスメント。
医師の勧めもあり、リカさんは「傷病手当金」の申請を決意します。社会保険料や診断書代、通院費、申請書類の印刷代や郵送費。こうした実費を傷病手当金から支払いたいから、全額を収入として認定しないでほしい。極めて常識的な要望でした。でも、役所の対応は異常でした。

「なんでもかんでも認めるわけにはいかなーい!!
大切な税金の濫給にあたる!!!
受給者の生活や健康なんかより、生活保護費削減!!!!
生活保護費削減が第一優先や!!!」
リカさんは、怒声を浴びせられました。そのときすでに、彼女の体はストレスに蝕まれ、肝機能障害を起こし、黄疸まで出ていたのです。
「もう、限界。傷病手当金はあきらめようか」
そう思いかけたとき、ケースワーカーはさらに追い打ちをかけてきました。
「傷病手当金を申請しないなんて、生活保護法違反です!!」

再び怒鳴られたことを思い出すと、笑えない悪質なコントみたいだとリカさん。

体調は悪化の一途。経費は自己負担。バス代を払いながら、何度も何度も窓口に足を運ぶ。そうしているうちに、ある日突然、リカさんは役所の帰り道で迷走神経反射を起こし、道端で意識を失って倒れました。
もう、心も体も限界でした。

「あのケースワーカーとの会話中に、私はDV加害者と同じ匂いを感じていました。声のトーン、詰め寄り方、否定の仕方。

最初は「この人だけが異常なんだ」と思っていたリカさん。しかし、そのやり方はどうやら、個人の資質ではなく、組織の文化だったようです。のらりくらりと経費控除を認めない役所の対応を、ある市議会議員に相談したところ、あっさりとこう言われました。
「それは、役所の常套手段ですよ。日常茶飯事です」
議員からは、「会話の録音をとること」「日記をつけ、新聞の日付と一緒に証拠化すること」など、自衛の方法が助言されました。

「生活保護を受けて仕事をしたら負け組?」ネットと現実が重なった瞬間

その頃、リカさんはあるネット上の書き込みを目にして、言葉を失いました。
『生活保護を受けたら、仕事をしたら負け』
『生活保護を受けながら、仕事に行く奴はバカwww』
一見、冷笑に見えるこれらの言葉。しかしリカさんは「ある意味、核心を突いている」と感じたといいます。

彼女は、息子の大学卒業と同時に、自分も生活保護を卒業することを目標に、一歩ずつ積み上げていました。それなのに、前向きな思いを踏みにじられることばかり。
『転職活動?そんなの嘘でしょ。受給者はみんな似たような嘘をつく』
こんな言葉を、支援する側のケースワーカーが言ったと訴えても、なかなか信じてもらえないのが現実です。

本気で働こうとしている受給者が、制度によって傷つけられ、妨げられている。再起のための努力が「虚偽申告」と疑われる。
「これでは制度の本末転倒です」
リカさんは訴えます。実際、「保護費削減」を大義に、通院先の病院を変えろと強引に迫られたこともありました。

「三木先生の記事にも書かれていたような、生活保護受給者への偏見そのものの扱いを、茨木市の福祉事務所で私は数年間受けてきました。それでも、息子は腐らずに前を向き続けてくれたのが、せめてもの救いです。

「頑張っても報われない」から、壊れていく人たちへ

「私も、あの北新地の放火犯と同じだったんです」
リカさんはそう語ります。
病気、年齢、職歴、地域。様々な条件が重なれば、就職や転職は難しくなるのが今の日本です。意欲がある人ほど、もがき、あがき、苦しむ。そして、限界を超えたとき、自暴自棄になる。

「働く意欲があるのに働けないという状態で、『転職活動なんて嘘』と福祉の現場から切り捨てられたら、人は壊れますよ」
「甘えてるなんて言われるけど、むしろ逆です。
受給者であることは、誰にも甘えられないということなんです。だから、最後のセーフティーネットを利用するしかないんです。」
「生活保護に甘んじて仕事をする気なし。というレッテルを、福祉事務所から安易に貼られてしまうんです。そういう目で見て、扱いをしてくるケースワーカーと闘いながら、求職活動をするわけです。否が応でも、ストレスレベルも一気に上がってしまいます。」

なかったことには、させないーすべての被害を記録に残して自衛

リカさんは、行政の理不尽な対応に泣き寝入りしたくないと決意し、「記録を残す」ことを始めました。
「私はちゃんと法令を守っている。だからこそ、公的機関にもそれを求めたい」
そう思い、毎月の収入申告書の余白に、ケースワーカーから受けた言動や対応の矛盾を書き続けました。

「通勤定期代を“収入”とみなして減額されたのは納得できません。
法律を守れというなら、まずそちらが守ってください」

静かな抵抗は、やがて実を結びました。何の説明もないまま、突如として通勤定期代は従来どおり経費として控除されるように戻されたのです。理不尽な力に対して、声を上げ、証拠を残し、あきらめなかったからこそ勝ち取れた一歩でした。

起きるべくして起きた事件

2023年10月、大阪府茨木市の元福祉事務所職員が、収賄容疑で逮捕されました。
生活保護受給者を貧困ビジネスの業者に紹介し、見返りに金品を受け取っていたという容疑。さらに2024年3月には、男性ケースワーカーが受給者11人を引越業者に斡旋し、ピンハネしていた事実も報道されました。
元ケースワーカーは、2019年7月~21年5月、2つの業者から計61万3,000円を受け取り、私腹を肥やしていました。公判では、不要な転居をケースワーカーと業者の私利私欲のために強いられた受給者が自殺したことも示されました。判決によれば、受給者をケースワーカーが業者に紹介し、本来安価な家賃を生活保護制度の住宅扶助費の上限額まで水増しし、利益を得ていました。さらに、受給者が引っ越しをする際は敷金礼金のみならず、荷物を引越業者に搬送してもらう費用も住宅扶助費として申請すれば支給されるところに目をつけ、そうした業者の費用もピンハネしていたのです。

受給者を「金を引き出す手段」として扱っていた証拠が、次々と明らかになりました。
「そんな人間を人間と思ってないような扱いを受給者にして、いままで自殺者は出てないのですか?」
「受給者が自殺しても、その分の保護費の削減に成功ーって、大喜びしそうやね」
リカさんが声を上げていたその時、まさにその茨木市で、その「事件」が起きていたのです。

「自殺に追い込んだのは、間違いなく、ケースワーカーと福祉事務所です。」
モラハラをする人は、通常、外面がすこぶる良いことが多いのです。一見常識人なので、周りの人に被害を訴えても信じてもらえなかったり、理解してくれる人がなく、下手をすれば『あなたの方に非があるのでは?』と疑われることもあります。これが、被害者が最初にぶち当たる大きな壁です。

ケースワーカーが受給者を支配したがっているというよりも、ケースワーカーと受給者の上下関係の存在が暗黙のうちに肯定され、受給者がケースワーカーの言いなりになるのが当然、という土壌が、茨木市の福祉事務所内で出来上がっていたのではないでしょうか。

リカさんは、遵法ーーーッ!!と、ドヤ顔で怒鳴り散らしていたケースワーカーに、あるとき聞いたそうです。
「そんなことを、役所内でやっていて、恥ずかしくないのでしょうか?」
本人に聞いたら赤面していたそうです。大きな声で叱責することで、福祉事務所=正義、受給者=悪、という周りに対する印象操作の演出だとしたら、それは小賢しいというより、逆効果の不法行為です。

「一緒に生活保護を卒業しよう」大学生の息子との約束

そんな日々のなかでも、リカさんが折れずにいられたのは、勉強熱心な息子さんの存在があったからでした。
「僕もがんばって大学を卒業するから、お母さんも一緒に、生活保護を卒業しよう。」
その言葉を胸に、どれだけ傷ついても、倒れても、何度でも立ち上がってきました。

2025年3月。リカさんは、福祉事務所に最後の申請書類を提出したその足で、息子の大学の卒業式に向かいました。
会場で息子と目が合った瞬間、目の奥に涙がにじみました。
「お母さん、壇上で名前呼ばれてさ、周りから拍手されて、変な感じだった。成績優秀者で表彰された。やっと、ここまで来たよ。」
そう言って笑った息子の顔を見て、リカさんは、何年も張り詰めていたものが、一気にほどけていくのを感じました。

息子の手の中には、卒業証書ともう一通、封筒が握られていました。中身は、内定通知書でした。
「僕、働くよ。次は、僕が支える番だから」
その言葉に、リカさんは人目もはばからず、声をあげて泣いてしまいました。親子で決めた「ダブル卒業」の約束が、とうとう叶ったのです。

ゴミ屋敷からの再出発

段ボールが積み上がり、片づけられないままの部屋。心の整理がつかず、手がつけられなかったその空間を、今リカさんはひとつひとつ手放しています。

「三木先生の『生活保険』という記事を読んで、心がスッと軽くなりました。今は、不適切な対応にもNOと言えるようになったんです」

部屋を片づけることは、自分を取り戻すこと。過去を清算し、新しい人生を迎えること。リカさんは、自身の経験を公開することで、誰かの力になれることを願っています。支援する立場にいたからこそ、役所職員の「線引き」や「切り捨てるような言葉」が、どれほど人を傷つけるか、リカさんは痛いほど分かっていました。
でも同時に、支援者であっても「関わりたくない」と感じてしまう心も、分かってしまう。それが、この社会の難しさです。

何があっても、生きていてほしい

日本には、まだ男社会の古い風習が根強く残っています。出る杭は打たれる――その杭が女性であれば、なおさら容赦はありません。

リカさんは、体調を崩し、ストーカー被害から逃げ、子宮頸がんが見つかり「いつ死んでもおかしくない」と何度も言われてきました。死ぬつもりがなくても、死んでしまうかもしれない状況が、現実にはあるのです。だからリカさんは、生きているうちに、伝えたいことがあるといいます。
自殺は、あまりにももったいない。
この世にひとつだけ絶対に決まっていることは、「いつか人は死ぬ」ということだけです。

だからこそ、それまでは、どんな形でもいいから、しぶとく、生きていてほしい。
たとえ、暇つぶしみたいな気持ちでも。

泣いたり、笑ったり、怒ったり、つまづいたり。

そんな感情を味わえること自体が、生きている証だから。

同じ環境にいても、穏やかに笑える人のほうが、きっと幸せ。
でも、その幸せを決めるのは、誰でもない、自分自身なのです。
今日を、ただ生き延びるだけでも、それは立派な一歩です。
明日もまた、どうか、生きていてください。

ここからは、「がんが消えた」お客様の個人的な体験談です。医学的根拠は不明なので、あくまでも「日々の食事が何より大事」ということでご参考まで紹介します。

子宮頸がんがわかったのは、20年くらい前に地元の総合病院の無料の検査だったそうです。
たしかに、30歳を過ぎてからは、行政書士も婦人科に行くたび、子宮がんの検診無料でできる時期だと勧められます。お友達が行くから、一緒に行こうと誘われたそうです。
その病院では、今すぐ手術という話になったものの、彼女は手術に納得できず、評判の良い別の病院へ行きました。
その病院は、偶然にも子宮内膜症と子宮筋腫の治療に行政書士も通院しているので、評判の良さから遠方からも来ている人気のある病院だと知っています。本当に良い病院です。

手術は避けたいと相談したところ、ぎりぎりまで付き合う、でも、本当にダメだと思ったら率直に言うから手術を受けてくださいねと今は引退されている名医に言われたとのこと。そして、診察室で二人だけの際、こっそりとここだけの話よと、食事療法の話があったそうです。

1ケ月は水もお茶も飲まない、のどが乾いたら、りんごをすりおろして、りんごしか食べないという独自の治療法。
2カ月目は、バナナ、りんご中心。
3カ月目は魚を取り入れ、とにかく添加物をからだに入れない。オメガ3(EPA、魚の油)を積極的に摂取。
そして、食生活に気を使っていたところ、なんと、半年でガンが消えたのです。

涙を流して抱きついいてきた主治医に、「ちょっと、先生抱きつかないで」と笑えるエピソードも。
去年、生きているうちにお礼を伝えなければと、その先生に会いに遠方はるばる病院に行ったところ、「髪の毛はなくなっていたけれど、お元気でした!」
行政書士にも、同時期に彼女からお礼のお品とお手紙が届きました。律儀な方です。

食事療法は今もずっと続けているそうです。基本的に漂白されているものは食べない、玄米は消化に悪いから5分~9分付米を食べる、といった自分の状態にあった療法。
こういうことにも、生活保護受給者は、なかなか費用をかけられないので、もどかしいですと。(最低生活費で、オーガニックなどは買えない。そのため、とにかく安く手に入れられるところを探すんですと。)

「でしゃばりな大阪のおばちゃんの寝言ですので、軽く読み流してください。伝えたかっただけです。すみません。
読んでくださり、ありがとうございますm(_ _)m」

大阪のおばちゃんは、愛で世界を救う!きっと!