「弁護士JP生活保護連載」 第39回記事 令和7年10月27日
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→「生活保護に頼ってはいけない」“偏見”が若者の未来を奪う…セーフティーネット利用を阻む「最後の手段」という“誤解”

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→「生活保護に頼ってはいけない」“偏見”が若者の未来を奪う…セーフティーネット利用を阻む「最後の手段」という“誤解”

ヤフーニュースの公開記事は、私が書いた元原稿の「生き抜いて欲しい」 というメッセージ、眼差しはそのままに、ニュース記事としての論理性、明確さ、情報の正確さが格段に向上する構成にして頂いています。
問題の核心を冒頭で提示、読みやすい構成 で具体的な解決策へと導く流れ。ヤフーニュースという多くの人の目に触れる場で、社会の認識に変革を促す記事として非常に効果的で、毎回とても勉強になります。
私がこの記事を書くにあたり、問題意識がどのように変化したか?フルバージョンとして、元原稿を下記に公開しますので、ぜひ読み比べて頂いてもと思います。
だから、あなたも生き抜いて。―偏見という名の壁を壊し未来を掴め!
「とにかく、生き抜いて欲しいんです」
設立から80年という神戸市にある児童養護施設の施設長は、そう語ってくれました。かつて担当した子どもたちの中から、自ら命を絶った子が二人もいるといいます。その痛切な経験から紡がれる言葉は、私たちが普段、目に触れることの少ない現実の重みが伝わってきます。
親を頼れず、児童養護施設や里親家庭で育つ子どもたち(社会的養護児童)。彼らが18歳で社会へ漕ぎ出す時、特に「大学進学」は高い壁として立ちはだかります。
「生活保護世帯の子どもは大学に行けない」。
「施設を出たら、莫大な借金を背負わないと大学なんて無理だ」。
世間では、そんな諦めの声がまことしやかに囁かれます。しかし、もしそれが、制度への誤解や無知から生まれた「神話」だとしたら? 日本社会が、出自にかかわらず若者が学びの機会を得られるよう、幾重にもセーフティネットを張り巡らせているとしたら?
当初このヤフーニュースの記事は、正しく理解されていないセーフティネットの存在を伝えることを目指していました 。しかし取材を重ねる中で、より根深く、重大な問題が浮かび上がってきました。それは、支援の現場にさえ存在する、「生活保護」に対する誤解です。
「子どもたちには、障害年金や社会保険の制度をしっかり知らせたい。施設の職員もきちんと把握したい。」
その言葉には、子どもたちに誇りを持って生き抜いてほしいという願いが込められています。しかし、その想いが、かえって若者をより深い苦境に追い詰めてしまうという、痛ましい現実も私は行政書士の仕事を通じて目の当たりにしてきました。
全ての選択肢を偏りなく提示すること、それが若者を真にエンパワーメントし、「生き抜いて欲しい」という社会全体の願いを叶える道に繋がります。
「生活保護は最後の手段」善意が若者の未来を狭めてしまう前に
「心身を病んでしまったら生活保護よりも、まずは障害年金を」
その言葉は、若者に誇り高く、自立した人生を歩んでほしいと願う、支援者の善意から発せられることが少なくありません。その願いは、誰もが共感する、非常に尊いものでもあります。
しかし、その優しさや善意が、社会に根強く存在する「生活保護」への誤解と結びついた時、かえって若者の選択肢を狭め、未来への可能性を閉ざしてしまう危険性をはらんでいるとしたら、どうでしょうか。
この問題を考える上で、まず二つの重要な事実を確認する必要があります。第一に、制度上の現実です。
そもそも、何らかの障害があったり、20歳前に傷病を負った方が受け取る「障害基礎年金」の支給額は、満額でも、国が定める最低生活費(生活保護の基準額)を下回るケースが少なくありません。
生活保護制度は、障害年金など他の制度を活用してもなお生活が困窮する場合に、その不足分を補うという役割を持っています(補足性の原理)。つまり、障害年金と生活保護は、対立するものではなく併用できるものなのです。
むしろ、先に生活保護を申請することで、ケースワーカーが連携し、公費で専門家(社会保険労務士など)のサポートを受けながら障害年金の手続きを進められる、という大きなメリットもあります。
「生活保護を安易に勧めたくない」という想いが、結果として、若者をより低い生活水準に留め、利用できたはずの公的サポート(専門家による申請支援など)から遠ざけてしまうということがあります。
第二に、私たちの心に潜む「スティグマ(負の烙印)」の問題です。こちらが、より本質的な課題かもしれません。「生活保護を知らせたら、安易に頼る人間になってしまう」という心配の背景には、多くの人の中に深く根付いた、生活保護制度への偏見があると思われます。
「努力をしない、頑張らない人のためのもの」「一度頼ったら抜け出せない」
しかし、その認識は、制度の本来の目的とは大きくずれているといえるでしょう。生活保護法の第一条には、最低限の生活を保障するだけでなく、その「自立を助長すること」が目的であると、はっきり書かれています。
セーフティネットは、怪我をした時に、安心して治療に専念し、再び歩き出すための松葉杖のようなものです。選択肢がないこと、正しい情報が得られないこと、その上に「頼ってはいけない」という無言の圧力が、人を孤立させ、追い詰めることもあるのです。
支援者の「若者に誇りを持って生きてほしい」という温かい願いを、本当に実現するために必要なこと。それは、全ての選択肢をテーブルの上に広げ、正しい情報と共に、若者自身が未来を選び取れるように伴走することではないでしょうか。
そして、この「全ての選択肢を提示する」という視点は、心身に困難を抱える子どもたちを前にした時、より一層その重要性を増します。一般の若者と施設の子どもを単純に同列にはできないからです。例えば、取材した施設では子どもたちの約3分の1が療育手帳を持っており、複雑な困難に直面しています。だからこそ、彼らが利用しうるセーフティネットの一つひとつを、最初から選択肢の外に置くことがあってはならないのです。
加えて、施設などを退所した⼈への公的⽀援は、原則として22歳の年度末までで終了するという厳しい現状があります。これは社会にとっての大きな課題だといえるでしょう。
社会に蔓延する偏見という名の壁を、壊していく。その一歩が、若者の「生き抜く力」を育むのだと、私は信じています。
AI時代、価値の再定義
偏見やスティグマの問題を考える上で、「AI時代」という視点は欠かせません 。海外の巨大テック企業では、AIの進化を背景に、これまで「安泰」とされてきた高度な専門職のリストラが相次いでいます 。仕事の未来は「単純作業がAIに、人間は創造的な仕事へ」という単純な二極化ではないのです。
では、この変化の時代に、本当に価値を持ち続ける仕事とは何でしょうか 。今、再び光が当たっているのが、第一次産業や建設業、介護職に代表される「身体性」を伴う仕事です 。AIは、膨大なデータを処理し、最適な答えを導き出すことは得意です。しかし、予測不能な自然を相手にする農業や林業、漁業、一つひとつ状況が異なる現場で臨機応変な判断が求められる建設や修繕、そして何より、人の温もりや肌の感覚が不可欠な介護や看護といった領域は、デジタルデータに還元できない価値を持ちます。介護ロボットの開発は進んでも、相手を不安にさせない絶妙な力加減で身体に触れることは、最新のAIやセンサー技術をもってしても至難の業です。社会の基盤を支えるこれらの仕事は、決してなくならず、むしろデジタル化が進むほどに、その人間的な価値は相対的に高まっていくと言えるでしょう。
この大きな変化の時代を生き抜くために、若者に必要なのは特定の学歴だけではありません。むしろ、特定の知識やスキルがいつ陳腐化するかわからないからこそ、変化に対応する「適応力」、新しいことを学び続ける「生涯学習」の姿勢、そしてAIにはない身体感覚や対人スキルこそが、本当の「武器」になるのです。
だからこそ、社会の役割は明確です。若者一人ひとりが、自らの特性に合った「武器」を身につけられるよう、あらゆる選択肢を偏見なく提供すること。それは大学進学だけでなく、専門学校での職業訓練や、現場での実務経験も等しく尊重されるべきです。
その土台となる生活の安定を保障する生活保護は、「甘え」などでは断じてありません。未来が予測困難な時代だからこそ、若者が何度でも挑戦し、社会の担い手として立つための、最も戦略的な「社会投資」なのです。
すべての若者に、すべての選択肢を
社会に根付いた偏見というフィルターを外して見渡す時、若者の前には、実に多様な選択肢の数々が広がっていることに気づかされます。どんな境遇に生まれ育っても、自らの手で未来を掴むための、道があります。
まず、大学や専門学校で知識を深めたいと願う若者のための道。かつて経済的な理由で諦めがちだったこの道は、随分と制度が整ってきています。
生活保護世帯の子どもが大学進学を目指す場合、「世帯分離」という特別な仕組みが挑戦を支えます。これは、学生本人を一時的に保護の対象から外すことで、残された家族が生活の基盤を失うことなく、安心して生活保護を受け続けられるようにするための制度です。
この「自立を助ける」という理念をめぐっては、熊本で起きたある裁判が社会に大きな問いを投げかけました。生活保護を受ける祖父母と同居し、看護師を目指す孫娘が准看護師として働き収入が増えたことを理由に、行政は「世帯分離」を解除し、祖父母の生活保護を打ち切りました。2022年、熊本地裁は「裁量権の逸脱・濫用」としてこの処分を取り消し、学びを深めて将来の自立を目指す若者の道を閉ざすべきではないという画期的な判断を示しました。しかし、この判決はその後、福岡高裁で取り消され、2024年6月には最高裁判所も上告を退け、祖父母側の敗訴が確定しました。この一連の司法判断は、若者の自立支援と生活保護制度のあり方について、改めて私たちに重い課題を突きつけています。
では、身寄りがない若者の場合はどうでしょうか 。彼らの船出は、社会全体で支える構造になっています。アパートを借りるための敷金・礼金などの初期費用は生活保護の住宅扶助から、布団や調理器具など最低限の家財道具は一時扶助から支給されます。(※安定した住居のない要保護者が居宅生活できると認められた場合、住宅確保に必要な敷金等は、家賃の限度額(別表第3の2の規定に基づく厚生労働大臣が定める額)に3を乗じて得た額の範囲内で支給が可能です。また、家財道具等(被服費、家具什器費)は、転居の理由や必要性に応じて一時扶助として支給されます。)こうして生活の土台が整って初めて、学びへの挑戦が始まります。
施設を退所して大学などに進学する場合、国や自治体等から返済不要の支援金として、まとまった金額が支給されます(※児童養護施設退所者等に対する進学・就職準備給付金は、居住する自治体や進学先、就職先などによって支給額が異なります)。
これは借金ではなく、若者の門出を祝う社会からの「お祝い」です。国の高等教育無償化制度や民間の財団による支援などを組み合わせることで、借金を背負うことなく大学を卒業することも十分に可能なのです。
夜間大学(夜間大学、通信教育、一定の専修学校・各種学校等)であれば、保護を受けながらの就学も認められることがあります。
「技」と「心」を磨き、未来を拓く
一方で、大学進学だけが未来への唯一の道ではありません。AI時代は、むしろ人の手による「技」と、人に寄り添う「心」の価値を、かつてなく高めています。
社会で生き抜くための実践的な技術を身につけたいと願うなら、職業訓練校の費用などを生活保護の「生業扶助」が力強く後押しします。(※生業扶助のうち技能修得費は、技能修得の期間が原則1年以内(世帯の自立更生上特に効果があると認められる場合は2年以内)であり、生計の維持に役立つ生業につくために必要な技能修得を目的とする場合に支給されます。高等学校卒業直後の者が専門学校(専修学校一般課程及び各種学校を含む)に就学する場合は、原則として生業扶助の給付対象とはなりません。)
社会は、学問の探求と同じくらい、その腕に宿る技能を尊重し、投資してくれるのです。
生活保護を受けながら就職し、収入が安定したことなどにより保護を必要としなくなった時には、「就労自立給付金」が支給されます。それは、保護を卒業し、新たな生活へと踏み出す若者への、社会からの「お祝い金」です。
介護や看護の心、建設の技術。これらは、どれだけ時代が進んでも価値が薄れることのない、なくてはならないものです。
学問の道も、技能の道も、どちらが上でどちらが下というものではありません。社会が必要としているこの道は、若者一人ひとりが、自分だけの未来を、自分の手で作り上げるためにあるのです。
偏見を超え、真のエンパワーメントへ
施設長の「生き抜いて欲しい」という願い。その切なる祈りを叶えるために、できることは何でしょうか。
それは、生活保護、障害年金、各種給付金、貸付制度、就労支援。存在する全てのツールを、偏見なく、正確な情報として若者の前に提示することだと考えます。
その際問題になるのは、やはり「情報」です 。施設長が指摘されたように、「情報が溢れている中で、本当に必要な、正しい情報が、必要としている人に届くようなマッチングのシステム」が不可欠です 。制度は存在するのに、その情報が当事者である若者や、彼らを支える現場の職員にすら、正確に届いていない。だからこそ私たちは、福祉事務所が一人ひとりの状況に合わせた支援計画を立て、本人に丁寧に説明し、納得を得ながら伴走する責務を負っていることを、社会としてもっと強く求めていくべきです。支援は「組織としての判断」であるべきであり、一人の担当者の知識や価値観に左右されることがあってはなりません。
そして、信じるのです。彼らが、自らの状況と未来を考え、自分にとって最善の道を選び取る力を持っていることを。
真の支援とは、管理し、誘導することではありません。全ての選択肢をテーブルの上に広げ、若者が自らの意思で人生の舵を取れるよう伴走することです。
生活保護は、失敗の証でも、人生の終着駅でもありません 。それは、憲法で全ての人に保障された、最低限度の生活を営む権利であり、誰もが、いつでも、尊厳を失わずに再起を果たすための、社会全体の「命綱」です。
この命綱の存在を隠したり、使うことに罪悪感を抱かせたりする社会は、あまりにも冷たく、そして脆弱だと言えます。
この記事を読んだあなたは、生活保護に対する見方を変え、正しい情報を広める一人になってくれることを願います。そして、もしあなたが今、苦しい状況の中にいる若い当事者なら、どうか知ってください。あなたには、利用できる全ての制度を使い、自分にとって最善の道を選ぶ権利があります。ためらわずに、助けを求めてください。
偏見という名の壁が壊れた時、あなたの前には、ただ生き抜くだけでなく、あなたらしく輝くための、無限の未来が広がっているのですから。



きつねうどんとから揚げ


蒸し鍋。すっかり冬の食卓になりました。


