「弁護士JP生活保護連載」 第58回記事 令和8年7月6日
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→「ペットがいたら生活保護NG」は“誤り“だが…ごはん代、治療費、不妊手術、住居確保 直面する「お金」の問題

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→「ペットがいたら生活保護NG」は“誤り“だが…ごはん代、治療費、不妊手術、住居確保 直面する「お金」の問題(弁護士JPニュース) –

「ペット」という一般用語を、実際に動物が家にいる人は使わない傾向があります。「ペット」ではなく「家族」と呼ぶのです。「飼う」とか「餌」ではなく「お世話する」「ご飯」。
独特の世界観で書いた元原稿は、こちらでお読みいただけます。(ヤフーニュース記事の方では、スリム化して一般用語を用いています。)
生活保護を受給すると「家族」と暮らせないのか?―犬猫の生きる権利と、最後まで命に責任を持つということ
「お金がないなら飼うな」。
生活保護を受給しながら犬や猫と暮らすことについて、ネット上でしばしば議論が巻き起こります。
「税金でペットを養うなんて許されるのか」または「生活保護を受けたいけれど、犬や猫がいるから無理だと言われた」など。
SNSなどでも、「お金がないなら、そもそもペットを飼うべきではない」という厳しい声が散見されます。
しかし、実際に犬や猫をご自宅に迎え入れ、日々お世話をしている方々にとって、彼らは「ペット(愛玩動物)」ではありません。紛れもなく、家族の一員なのです。家族同然の存在に対して、「生活保護を受けるなら、手放しなさい」と迫ることは、当事者からすれば「生活保護を受けるなら子どもを捨てなさい」と言われるのと同じほどの精神的苦痛を伴います。
一方で、生活保護が公的資金を用いて個人の生活を保障しているという制度的側面もあり、非常に複雑でデリケートな様相を呈しています。
「ペットがいるから生活保護は受けられない」と思い詰めている方々に、発想の転換をお願いしたいのです。飼い主が困窮の末に栄養失調で倒れたり、必要な医療を受けられずに人間の側が命を落としたりすれば、部屋に残された動物は確実に危機に直面します。愛する我が子(ペット)の命を最後まで守り抜くためにこそ、まずは親(飼い主)自身が健康で文化的な最低限度の生活を取り戻さなければいけません。
「この子がいるから受けられない」から、「この子のために、公的な支援に繋がって共に生き抜く」という選択をしてほしいのです。
「この子(猫)がいるから生活保護を受けられない」という誤解
SNSなどで生活保護とペットの話題が出ると、世間からは「お金がないなら、そもそもペットを飼うべきではない」という厳しい声が上がることが少なくありません。
実際に、インターネット上では「生活保護受給者はペットを飼うことは許されない」といった言説もしばしば目にします。このような偏見や誤った情報が広がったことで、「ペットがいるから、自分は生活保護を受けられない」「相談に行けば、保健所に大事な子を連れて行けと言われる」と誤解し、自らSOSの声をあげることを諦めてしまい、命綱である制度から自ら遠ざかっている高齢者が、実は多くいるのです。
実際に、「猫を飼っているなら生活保護は打ち切りにする」と、自宅を訪れたケースワーカーから直接言われたという相談もあります。
このような状況に対し、政治の場でも疑問が呈されています。
参議院議員の石垣のりこ氏は自身のSNSで「ペットの飼育を理由に生活保護の申請を断られる事例があり、その対応が適切かを質問主意書にした」と発信しています。
その結果、政府からは「ペットの飼育だけを理由に生活保護申請を却下することは適当ではない」との答弁が引き出され、誤った認識で必要な受給が妨げられないよう自治体への周知が提言されました。
たしかに、「お金がない人が新たにペットを飼うべきではない」という主張自体は、動物福祉の観点からも正論と言えなくはありません。ただしこれも法律上禁止されているかと言えば、そうではないのです。
また現実問題として、「すでにペットを飼育している人が、突然の病気や失業、災害などの予期せぬ不幸によって生活困窮に陥り、生活保護を必要とする状況になってしまった」というケースも多々あり、ただ「ペットを手放せ」と切り捨てるだけでは、当事者の生活再建も動物の命も救うという根本的な解決には至らないのです。
法律と制度の整理
日本の法律上、生活保護受給者が動物と暮らすことはどのように規定されているのでしょうか。結論から言えば、法律で「ペットの飼育を禁止する」という文言は存在しません。
まず根本的な話として、憲法25条1項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めています。そして生活保護法は、この憲法上の規定に基づいて制定された国民の最低限度の生活を保証するための制度です。生活保護を受給していても、「健康で文化的な最低限度の生活を営むための資産」については保有が認められます。
現代社会において、人間と動物が共に暮らすことは広く普及しており、犬や猫は家族の一員としての確固たる地位を築いています。そのため、彼らは健康で文化的な生活を送る上で「不可欠の存在」であり、保有が認められる資産に該当すると考えられます。したがって、生活保護を受けることになったからといって、長年連れ添った家族を手放さなければならないということはありません。実際に、生活保護を受けながら動物たちとおだやかに暮らしている方は多く存在します。
しかし、ここで気をつけておかなければいけない事があります。それは「生活保護費の中に、動物たちのための費用は一切含まれていない」という現実です。
生活保護はあくまで人間に対する公的支援であり、法令上、家族である犬や猫のために国が特別に保護費を加算して支給してくれるわけではありません。毎日のご飯代やトイレシートなどの生活用品にかかる費用はすべて、自身の生活保護費の範囲内でやり繰りして負担していかなければならないのです。
共に暮らす人間にとってどれほど「かけがえのない家族」であっても、法令や制度の適用という現実問題は、明確に分けて考え、覚悟を持たなければなりません。
迫り来るリスク「最後まで命に責任を持つ」ということ
法律上は禁止されていないとはいえ、現実の生活においては様々な制約やトラブルのリスクが存在します。
住居の確保もその一つです。動物と一緒に暮らせる、ペット飼育可の賃貸物件自体が少なく、生活保護を受給しながらそうした入居先を探すのは難しいのが現実です。
そして、医療費の問題です。現代の動物医療は飛躍的に進歩しており、犬や猫も15年から20年という長寿の時代を迎えました。近年では民間のペット保険も普及しており、生年月日が明らかな場合は加入でき、多くの動物病院で利用可能です。しかし、人間のような「国民皆保険制度」ではないため、限られた生活保護費の中から毎月の保険料を支払い続けることは容易ではありません。高齢になれば一度の診療費が数万円に達することも珍しくなく、家族の病気やけがの際に十分な治療を受けさせてあげられないという苦渋が常に伴います。
さらに、触れずにいられないのは、多頭飼育崩壊のリスクです。費用の問題で不妊去勢手術を施すことができず、その結果として際限なく繁殖してしまい、人間も動物も劣悪な環境に陥る凄惨なケースも存在します。
お金がないからといって、必要な医療を受けさせなかったり、多頭化を放置したり、お世話ができなくなったからと無責任に遺棄してしまったりすると、動物愛護法第44条に定められた犯罪(虐待や遺棄)に該当する可能性が出てきます。これらは1年以下の拘禁刑または100万円以下の罰金の対象となり、実際に逮捕者も出ています。金銭的な困窮は、決して動物虐待の免罪符にはなりません。
さすがに、動物のためにお金を使い過ぎて人間側の生活が維持できなくなってしまった場合は、ケースワーカーから何らかの指導が入ることがあります。
生活困窮・孤立から救ってくれた動物が残されるリスク
ペットを飼ったことのない人の多くが考えるのは、制約やリスクがありながら、なぜペットを飼うのかという点です。生活困窮状態や社会的孤立状態にある人々が、動物との暮らしを切望するのは、なぜでしょうか。
生活保護制度は、単に生活費を支給するだけでなく、受給者の「自立の助長(自立支援)」を重要な目的としています。「家族」との日々のふれあいを通じて心が安定し、孤独が癒され、この子のためにもがんばって生きようと活力を得られるというプラスの側面は計り知れません。生活保護を受ける条件として、長年連れ添った「家族」を無理やり引き離すようなことをすれば、貧困に苦しむ受給者の精神状態をさらに追い詰めることになりかねません。支援が途絶えてペットを引き離された場合、飼い主の孤立や社会への反発心が生じ、悪循環に陥るといった危険性は十分に考えられるところです。
一方で、高齢の単身者が急に入院したり、孤独死を迎えたりした際、誰もいない部屋に取り残される動物たちの問題も深刻化しています。餓死するか、引き取り手がなく殺処分となるか、痛ましい現実があります。これについては、生活保護受給者に限った話ではありません。
ある高齢男性のケースでは、倒れて入院したアパートに高齢の老猫が取り残されました。この男性は子どもに恵まれず、一人暮らしを続けるなかでこの猫を我が子のように可愛がっていました。倒れて入院した際も、真っ先に口から出たのは自身の体ではなく猫の心配でした。
しかし、男性の退院の見込みが立たず、猫一匹で生きていけるわけがありません。幸い、間一髪で老猫は新しい飼い主が見つかって貰われていきました。
この事例のように、飼い主の突然の不在によって動物が生命の危機にさらされるリスクは、高齢化社会で常に隣り合わせなのです。
命を守るための支援体制の構築
「お金がないなら飼うな」と正論をぶつけるだけでは、すでに動物と暮らしている困窮者の生活再建も、尊い命も救うことはできません。
行政や支援の現場においては、まずは現在の飼育状況(頭数や健康状態)を正確に把握し、向き合うことが不可欠です。費用の問題で不妊去勢手術ができないケースを防ぐため、自治体の助成制度があれば積極的な活用を案内するなど、飼い主と動物を孤立させないサポートが求められます。
飼い主の入院などで飼育の継続がどうしても困難になった場合、ケースワーカーなどの福祉関係者単独では解決が難しいもの。前述の取り残された老猫の事例では、周囲の人が懸命に猫の世話をしながら引き取り先を探し、最終的に保護猫カフェを運営する団体に保護を依頼することで、間一髪で命が繋がりました。こうした動物保護団体や地域のボランティアの善意に頼らない、行政支援の体制構築、高齢者福祉の専門部署と動物保護の連携は急務となっています。
現場の獣医師らも、無理やり手放させて数をゼロにすることだけが正解ではないと指摘しています。飼い主のQOL(生活の質)向上にペットは必要な存在であることを前提に、適正に管理できる範囲まで頭数を減らしたり、里親を探したりしながら、多くの目で見守り、最低限必要な生活を継続できるよう包括的・重層的な支援を行うことが、遠回りに見えても最大の効果を期待できる解決策なのです。
生活保護と動物をめぐる問題は、SNSで騒がれるような当事者の「勝手」や「甘え」という単純な次元の話ではありません。
もちろん、共に暮らす側には、限られた生活保護費をしっかりと管理し、家族である動物の健康と安全に気を配り、自分と彼らの暮らしを最後まで守り抜くという強い覚悟が問われます。ペットを「単なるお金のかかる所有物」と捉える人と、「かけがえのない家族」と考える価値観の人との間で、完全に意見を一致させることは不可能に近いでしょう。だからこそ、白か黒かの極論ではなく、現実的な妥協点を見出すことが不要な紛争を招かない、平和的解決に資するのです。
そして社会全体としては、制度を正しく理解した上で、困窮する人と行き場を失う動物が共に暮らすための、柔軟で多角的なサポート体制を築き上げていく必要があります。
誰ひとり、どの命も取り残さない温かい社会は、めぐりめぐって等しく恩恵をもたらしてくれるのではないでしょうか。











作・高橋やさん

画・めるしー

