「弁護士JP生活保護連載」 第27回記事 令和7年8月4日
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→“冷蔵庫が空っぽ”でも「生活保護」受けられず…2児のシングルマザーが突然の「交通事故」で困窮、直面した“理不尽すぎる”現実

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→“冷蔵庫が空っぽ”でも「生活保護」受けられず…2児のシングルマザーが突然の「交通事故」で困窮、直面した“理不尽すぎる”現実

交通事故は、ある日突然、何の前触れもなく私たちの人生に割り込んできます。そのとき冷静に適切な行動がとれるかによって、受けられる補償も大きく変わってくるのです。
私たち行政書士事務所で働く男性職員の一人は、かつて教員志望で国立大学に在学していました。卒業を目前にした4年生の春にバイクで事故に遭い、踝(くるぶし)が取れるほどの大けがを負いました。事故の相手の車の運転手は無傷だったにもかかわらず、病室に見舞いに来た保険会社の担当者に言われるがまま、慰謝料もほとんど受け取れずに示談してしまったといいます。
事故によって教員採用試験は断念せざるを得ず、当時の就職氷河期の中、ようやく民間企業に職を得たものの、希望していた人生のルートは大きく外れていきました。
それでも彼は今、自らの苦い経験を力に変え、「同じ思いを、誰にもさせたくない」との思いで、行政書士として日々、制度の狭間に置かれた人たちの声に耳を傾けています。知識を持たなかった過去の自分の無力感が、今の彼の仕事を支えているのです。
「過去の自分を救えなかった分、今目の前の相談者には、正しい制度の道を示してあげたい」それが、彼の揺るぎない信念です。
事故に遭わないことが何よりも望ましい。けれど、それを完全に避けることは誰にもできません。だからこそ「もしも」に備え知識をつけておくことです。
被害者でも、加害者でも、生活保護を受けていてもいなくても、大切なのは、「自分には関係ない」と思わないことです。
この記事が、未来の選択肢を守る一助になれば幸いです。
※下記はヤフーニュース記事になる前の元原稿です。

突然の事故が奪った母子家庭の日常
中学2年生の長女と小学4年生の長男、そして母。3人で支え合いながら公営住宅で慎ましく幸せに暮らしていました。非正規雇用のシングルマザーあかりさんの生活は、たった一度の交通事故で音を立てて崩れ落ちました。
毎朝まだ暗いうちから朝食と弁当の用意、昼はスーパーのレジ、夜は清掃のアルバイト。慌ただしい日々でしたが、子どもたちが笑顔でいてくれるだけで十分でした。
けれど、その日いつものように自転車を漕いでいた通勤途中、背後から突然、車がぶつかってきました。後に警察が「完全に相手の不注意」と判断するような事故でした。
右足の骨は折れ、靭帯も傷つき、医師からは「しばらく歩けません」と告げられました。
交通事故は、誰にでも起こり得るものです。何の前触れもなく、ある日突然、私たちの当たり前を奪っていきます。自分は大丈夫だと思っていても、信号待ちのときに、横断歩道を渡っているときに、仕事に向かう途中に。
あかりさんが体験したのも、そんな「よくある事故」でした。そこから待ち受けていたのは、過酷で理不尽な現実でした。
保険会社の冷酷な兵糧攻め
「…お腹すいた」
事故から数週間が経ったある夜。布団の中で、小さな声が闇に響きました。思春期の14歳の娘が寝ぼけて本音をつぶやいたその言葉に、あかりさんの胸は痛みで裂けそうになりました。
あかりさんは、交通事故に遭うまでは、2人の子どもを育てるため、昼も夜も、働きづめの日々を送っていました。パートとアルバイトを掛け持ちし、わずかな収入をかき集めながらも、子どもたちにだけは不自由な思いをさせたくない。それが彼女のたった一つの願いでした。
それなのに、あの日の事故から、仕事に行けなくなってしまいました。
「相手の過失は明らかだし、労災も保険もあるから大丈夫」そう信じていました。
しかし現実は、想像以上に冷酷でした。
まず、すべての通勤中の事故が労災保険の通勤災害と認定されるとは限らないこと。通勤災害の適用となるには、合理的な経路及び方法でのルートでなければなりません。運悪く、交通事故に遭った日は、スーパーのレジ打ちアルバイトは遅出の日でした。長男を小学校の校門まで見送ったあと、まだ少し時間があったため、あかりさんは普段立ち寄ることのない場所へ向かってしまいました。目的地は、勤務先と反対方向の、駅をまたいだ大型100円ショップ。ハロウィーンが近かったので、子どもたちを喜ばせたく、家の中を飾る安価なハロウィーングッズを購入したいと思っていたのです。喜ぶ顔を思い浮かべながら、再び職場への通勤経路に戻ろうとする道中でした。これが、いつも通りの通勤経路上での交通事故であれば、通勤災害と認められたことでしょう。
それでも、必ず救済されると信じ、まずは体を治さなくてはと通院を継続していたところ、頻繁にかかってくる保険会社の担当者の口調は日に日に強くなっていきました。
「通院頻度が高すぎませんか」
「もうこれ以上、保険会社は病院の立替払いはできません。通院を続けるのは自由ですが、自分で払ってください。」
まだ痛みはひどく、立ち上がることさえ難しいのに、通院費用は出せないと突き放され、あかりさんは呆然としました。
その日から、残り少ない貯金を切り崩しながら、子どもたちの食事をなんとか用意する日々が続きました。しかし、貯金はすぐに底をつきました。料理も買い物もままならず、おかずなしご飯だけの日もありました。その米さえ、あかりさんとお姉ちゃんは小学生の長男を優先し、空腹の日々。病院に行く手段も足代もなく、ただただ、家で空腹で寝ているしかなくなってしまいました。
命をつなぐ生活保護
「もう、お金がない。どうしたらいいんだろう」
とうとう電気代も滞り、冷蔵庫の中は空っぽになり、子どもたちの前では必死に笑顔を作りながらも、夜中にひとり声を殺して泣く日々が続きました。思い切って役所の生活保護担当窓口に電話をすると、「交通事故なら弁護士さんに相談したら」「ご親族に頼れませんか」と冷たい返事が返ってきました。いわゆる水際作戦です。生活保護申請のハードルを上げ、諦めさせるための役所側の心理的な圧力でした。
しかし、あかりさんは子どもたちを守るため、諦めるわけにはいきませんでした。行政書士事務所にメール相談があり、切迫した状況を感じ取った行政書士が即日自宅訪問したところ、あかりさんと娘さんが青ざめて座り込んでいました。小学生の息子さんは元気に動けていましたが、目は不安の色でいっぱいでした。あまりの状況にすぐに役所に電話し、親族にも頼れず、成長期の子どもたちのご飯もないこと、空腹で切迫した状況にあることを強く訴えました。そして、当日夕方には、ケースワーカーに訪問してもらいました。米、缶詰、レトルト食品を抱えた支援員は、玄関先に置き「では、書類は後日持ってきて・・・歩けないですね、今日はもう遅いので、明日取りに行くので書いておいてください」残業時間が増えてしまうことを気にしてか、そそくさと帰っていきました。
長らく空腹だったあかりさんは、米袋を抱えたまま、玄関先で膝をつき、声を殺して泣きました。子どもたちに食べさせられるものが目の前にあることに、心底安堵したのです。
2週間後、生活保護の決定通知が届きました。医療費も免除され、タクシーを利用してリハビリにも通えるようになり、子どもたちに「もう大丈夫だからね」と伝えられました。不安と恐怖が、ようやく少しだけ遠のいた瞬間でした。
『大丈夫』と言う危うさ
交通事故は、見た目に大きな怪我がないように見えても、後になって痛みや障害が現れることがあります。
実際に、自転車で優先道路を走行中、脇見運転の車に跳ね飛ばされたあかりさんは、周囲の人々に「大丈夫です」と言って立ち去ろうとしました。しかし警察や救急隊から「いま病院で診てもらわないと、後から痛みが出ても事故との因果関係が立証できなくなる」と説得され、ようやく救急車で運ばれました。
事故直後は興奮やショックで痛みに気づかず、骨折や重傷を負っていても「大丈夫」と言い張る人が少なくないのです。腕が損傷していたり、足から骨が出ていても、気づかないまま立ち去ろうとする人もいます。
事故の現場では、恥ずかしさや仕事の都合から「平気です」と無理をしてしまいがちです。しかし後になって症状が悪化し、保険や賠償の申請が難しくなるケースもあります。救急隊員や警察官の指示に従い、必ずその場で医療機関を受診することが、自分の体と生活を守るために大切です。
加害者側が抱える苦しみ
交通事故は、必ずしも「被害者」だけを苦しめるものではありません。加害者の立場になったときも、人生は大きく変わります。
タケシさん(仮名・40代男性)は、通勤途中に高齢の歩行者をはねてしまいました。視界の死角から突然飛び出してきた歩行者に反応できず、結果として重傷を負わせてしまったのです。被害者様は、その後、病院で亡くなられたそうです。
それからしばらくして、弁護士相談に行き、今後どうなるのか話を聞いた時点では、仕事は裁判までは、解雇されないだろうという話だったものの、事故後、2週間であっさり解雇連絡がありました。雇用主ではなく、作業上の管理者から携帯に連絡がきて解雇通達を受けたといいます。
その後も、病気の妻を養うため再就職をしようと行動したのですが、事故当日の夕方、テレビで複数の交通事故報道がされ、新聞にも実名掲載されていました。そのため、報道を覚えていた人が多数居たことで、就職ができない状態になってしまったのです。
警察の取り調べが終わり、裁判を待つ身となったタケシさん。事故の責任を強く感じ、罰金や賠償金がのしかかり、収監の可能性もある中で、最も気がかりだったのは、自宅で待つ妻のことでした。
妻は重度の精神障害があり、働くことができず、日常の家事もままならない状態です。これまでタケシさんが支えてきたため、妻は生活を続けられていたのです。タケシさんは行政書士のもとに駆け込み、涙ながらに言いました。
「私が収監されたら、妻はどうやって生きればいいんでしょうか。せめて生活保護を受けられるようにしてあげたいんです。」
相談の時点で、タケシさんも無収入で友人から借り入れをしている状態でした。すぐに夫婦で生活保護申請をし、無事に生活保護の決定がされました。担当ケースワーカーがついて、定期的に家庭訪問をしてくれるので、障害や高齢により独居が困難となっても、気付いてもらうことができ、放置されることはありません。安心して生活できる介護施設等への転居費用や移動費用も、公費で支援してもらえます。事故をきっかけに家庭が破綻しても、残された家族に「最低限の暮らし」を保障するのが、生活保護の役割なのです。
共助が途切れたとき
交通事故で突如困窮に直面するのは、子育て中の世帯や、加害者の家族だけではありません。高齢者にも、そのリスクは潜んでいます。
エツコさん(仮名・80代)は、近所のスーパーに買い物に向かう途中、脇道から出てきた車にぶつけられ、右足を骨折しました。事故は相手の過失でしたが、治療が長引き、後遺症が残りました。杖をつかないと歩けず、一人で外出するのは難しくなりました。
最初のうちは、近くに住む長女が、週に数回様子を見に来て食材を届けていました。しかし、長女の夫が病気で早期退職し、経済的にも精神的にも余裕がなくなり、「もう通えない」と心の内を告げられました。
役所に電話で相談しても、「まずは役所に来てください」「役所に来れないなら、親族さんに頼ってください」と言われてしまいます。それでもエツコさんは諦めず、行政書士に電話をかけ、行政書士がすぐに役所に連絡をし、窮状をあらためて訴えました。
「親族の共助はもう限界です。」
無事に生活保護申請は通りました。エツコさんは介護施設に入所し、医療費の免除も受けられ、安心して暮らせるようになりました。
事故の被害により、親族による「共助」が途絶えたときに、最低限の生活を保障してくれるのが「公助」、すなわち生活保護です。
知っておくべきポイント
生活保護は、事故や病気などで突然収入を絶たれ、親族の援助も期待できない状況に陥ったとき、誰でも申請する権利のある「最後の砦」です。
申請時に覚えておきたいポイントを簡単にまとめます。
【1】申請と緊急措置
申請日において、一切の金銭も食糧もなく、明日の食事にも困る切迫した状況にある場合は、当日から米や缶詰などの食糧支援など、緊急措置を受けることができます。
その後、資産・収入・親族の援助状況などの調査を経て保護決定されると、家賃扶助や医療費免除、必要に応じて介護施設への入所費用などが支給されます。
【2】慰謝料や賠償金との関係
事故の加害者から慰謝料や賠償金を受け取った場合、それは「収入」とみなされ、生活保護費と相殺されることがあります。
「慰謝料がほとんど返還金に充てられ、手元に残らなかった」という事例もあるため、受け取り前に福祉事務所に確認しておくことが大切です。
【3】自賠責保険の活用
被害者であれば、自賠責保険の「被害者請求制度」や「仮渡金制度」を利用できる場合があります。
これらは加害者の同意がなくても、一定の金額を先に受け取れる制度です。生活保護を申請する前に自賠責保険を活用するなど、早期に生活を立て直す選択肢の一つになります。
【4】窓口での対応
申請の際、窓口で「親族に頼れないのか」「まだ働けるだろう」と言われるケースもありますが、生活保護は法律で保障された権利です。
職員の言葉に萎縮せず、自分や家族のために堂々と申請して大丈夫です。また、来所ができないときは、電話で申請意思を伝えればいいのです。
生活保護は無差別平等の温かい制度です。しかし、その仕組みやルールを知らずにいると、思わぬトラブルに巻き込まれることがあります。
例えば、交通事故の慰謝料や保険金、給料補償などを受け取った場合、生活保護費と相殺されることがあります。中には、知らずに申告せずにいたため、後で福祉事務所から説明や自己申告をしなかったことから全額返還を求められる人もいます。これは、制度を理解しきれていなかったことが原因の場合がほとんどです。
また、事故の補償金や慰謝料の性質をよく理解しないまま使ってしまい、「あとで返さなければならないと知って困った」という声も聞かれます。例えば、整形外科への通院日数に応じた「日当補償」が慰謝料とは別だと知らなかったり、どこまでが収入として扱われるのかわからなかったりするのは、誰にでも起こりうることです。不安なときは福祉事務所や弁護士などに相談して確認しましょう。
制度のルールを正しく知り、堂々と申請することが、安心して生活を再建する第一歩です。
声を上げる勇気が未来を守る
交通事故は、ある日突然、誰の身にも起こり得ます。被害者にも、加害者にもなる可能性がありますし、残された家族が困窮することもあります。たとえ事故の責任が自分にあっても、親族も頼れず、誰にも助けを求められなくても。それでも、生きるために頼れる制度が、この国にはあります。
それが生活保護です。
申請の場で、冷たい言葉をかけられたり、質問攻めにされたりしても、決して「自分が悪いのだから仕方ない」と思い込まないでください。生活保護は、困窮した人が人間らしい生活を営むために用意された、国民一人ひとりの権利です。
そして、迷っている時間にも、子どもや家族の空腹や痛みは待ってくれません。声を上げることをためらわず、役所の窓口に行けなくても、電話で「助けてください」と伝えてください。
「いつか誰かが助けてくれるだろう」という未来は、待っているだけでは来ません。自分の口で、自分の権利を主張することが、未来を守る第一歩です。
あなたやあなたの大切な人が困難の中にいるなら、迷わず生活保護制度を頼ってください。それが、あなたの未来を守る力になります。
※次回は、実際に制度を頼りながら闘い続けたユウタさん親子の物語をお伝えします。
他県の行政書士の先生から、地元の新鮮な金目鯛をお送り頂いたので皆で美味しく頂きました。






冷やし明太子うどん

枝豆とシラスと梅のお寿司
※この日は、母、体調悪く。酢飯に材料を入れて混ぜて高校生の息子が準備してくれました。ズッキーニをフライパンで、アスパラの豚肉巻きはグリルで焼いてくれました。最近のグリルは時間設定もできるので、安心です。

鶏肉と卵煮込み


デザートに頂いた夏のお品を♪


