「弁護士JP生活保護連載」 第44回記事 令和7年12月22日

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真冬に“エアコン”がなく孤独な死…生活保護受給者40代シングルマザーの悲劇が行政に問いかける“教訓”

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真冬に“エアコン”がなく孤独な死…生活保護受給者40代シングルマザーの悲劇が行政に問いかける“教訓”

令和7年最後の記事です。今回も、関係者の方に取材して書いた元原稿を下記に公開します。記事の最後に、令和7年1月シングルマザーが小学生の一人娘を残し亡くなる前月、ちょうど昨年の師走の行政とのメールやり取りを公開します。

亡くなる数か月前から、生活保護受給者の義務である、(男性ケースワーカーによる)「家庭訪問」が辛いと、行政書士に何度も相談がありました。そのため、ご本人の希望から、行政書士と生活保護受給者であったシングルマザー、ケースワーカーの三者でメールをやり取りしていた記録です。ご遺族には公開の許諾を得ています。

メールやり取りの中で、そのケースワーカーが担当受給者を100人ほども抱えていたことも明らかになっています。ケースワーカーは、彼女が亡くなったとき、行政書士に電話で孤独死について教えてくれました。声は沈んでいました。彼を責める気は全くないので、ケースワーカーの名前は伏せています。真面目なケースワーカーは、「受給者宅を訪問する」職責を全うすべく仕事をしていたに過ぎません。

悲しいことが繰り返されないように、ただただ、生活保護行政の改善を願って毎回、記事を書いています。
記事を読まれて、何か感じることがありましたら、その思いを周りの方に伝えて頂ければと思います。一人ひとりの行動が、社会全体の変化に繋がります。

生活保護とエアコン~命の選別と置き去りにされた生存権

酷暑が常態化し、気象庁や自治体が連日のように「命を守る行動を」「エアコンを適切に使って」と呼びかける現代日本。エアコンはもはや贅沢品ではなく、生命維持に必要なインフラとなっています。しかし、その呼びかけの裏で、本来国が守るべき生活困窮世帯はエアコンが壊れても買うことができず、命の危険に晒されています。

厚生労働省は「生活保護世帯におけるエアコン購入費用等に関する取扱いについて」という事務連絡(行政通達)を発出し、表向きは熱中症対策を推進する姿勢を見せています。しかし、その実態は、「原則自己負担」、壊れたら「借金して直せ」という、憲法25条(生存権)を骨抜きにする驚くべき運用がなされているのです。

本稿では、行政書士である筆者の元に届いた数々の日本人の現実的な苦悩と、最新の行政通達、そして最高裁判例が示す「行政裁量の限界」を照らし合わせ、この国のセーフティネットの崩壊を検証します。

行政に見殺しにされた命・神奈川県のシングルマザーの悲劇

制度の矛盾は、条文の中だけでなく、生身の人間の命の上に現われています。
令和6年8月、猛暑のさなか。神奈川県で障害を持つ小学生の娘さんと二人で暮らしていた40代のシングルマザーは、子どもの頃に受けた虐待により母自身もまた、身体に障害を負っていました。娘さんは、脳の病気を抱え入退院を繰り返していました。懸命に生きる母子家庭の家のエアコンは、故障したままでした。さらに、冷蔵庫も炊飯器も壊れていました。

彼女は、ケースワーカーに窮状を何度も訴えました。しかし、返ってきた言葉は、「このケースでは、神奈川県では例外はなく、費用は出せません」。彼女は諦め、灼熱の室内で娘さんと耐えていたのです。

私も行政書士として福祉事業所や厚労省にも電話を何度もかけ、交渉を重ねましたが、行政の壁は厚く、ついに障害を持つ母子家庭へのエアコン支給の公費が特例として認められることはありませんでした。「公平な対応という観点から、このシングルマザーだけ特別に支給はできない」それが、行政の回答でした。

そして、令和7年の年明け、彼女が自宅で一人亡くなっていたという連絡が入りました。ご遺族ともお話をさせて頂き、このように記事化されることにもご了承頂きました。娘さんと共に懸命に、前を見て生きようとしていたことは、行政書士に届いた数々のLINEやメールに残っています。過去には生活保護費を節約して、自分は生活保護を受けることができて恵まれているからと、困っている被災地に支援を送るような、心の優しい女性でした。

行政の「公平性」という名の不作為によって、彼女の気力体力が奪われていったことは想像に難くありません。これは、制度による未必の故意ともいえる悲劇ではないでしょうか。

なぜエアコンが壊れても直せないのか?強引な解釈のからくり

なぜ、これほどまでにエアコンの支給は拒まれるのでしょうか。そのからくりは、厚労省の通知にある「エアコン=家具什器(かぐじゅうき)」という分類と、その強引な運用にあります。

生活保護制度において「家具什器費」とは本来、火災で家財を失ったり、犯罪被害から逃れるために転居したりするなど、予期せぬ緊急事態に対応するための費用です。そのため、支給が認められるのは、「特別な事情」がある場合に限定されています。生活保護手帳では、以下の事由を例示しています。

・新たに生活保護が始まった時点で、生活に必要な家具が何もない場合
・災害で家具がすべて失われた場合
・長期入院から退院し、ゼロから一人暮らしを始める場合

厚労省は、エアコンをこの「緊急時用の枠組み」に無理やり押し込んでいるのです。一見すると問題ないようでも、明らかにおかしな矛盾があります。それは、「長年使って古くなったから壊れた(経年劣化)」という、誰にでも起こりうる当たり前のケースは、「特別な事情ではない」として切り捨てられるということです。

この運用は、明らかに法の趣旨を逸脱しています。生活保護法第9条には、必要即応(ひつようそくおう)の原則という、大切なルールがあります。これは、年齢や健康状態など、その人の実際の必要性に応じて、臨機応変に適切に保護を行いなさい、という命令です。

過去の最高裁判例や法解釈においても、マニュアル通りの一律基準が目の前の人の命を脅かす場合には、行政は個別の事情を優先しなければならないという原則が確立されています。すなわち、熱中症リスクが高い高齢者や障害者、子どもがいて、エアコンがない(または壊れている)という要件を満たしている場合、福祉事務所には「支給しない」と判断する裁量権はないのです。

命の危険があるにもかかわらず、「例外は認めない」「他の人との公平性が保てない」といった理由で支給を拒否することは、行政が自らの裁量権を濫用し、法律違反を犯していると言わざるを得ないのです。
現場で繰り返される「公平性」という言葉。それは「みんな我慢しているのだから、あなたも我慢して」という、弱者を切り捨てるための言い訳に使われてしまっています。しかし、真の公平性とは、誰もが等しく「健康で文化的な最低限度の生活」を送れるよう、個々の状況に合わせて法を執行することにあります。

「金がないなら借金して買え」国が強いる残酷な選択

では、前述のような「特別な事情」が認められない世帯はどうすればいいのでしょうか。エアコンがなければ命に関わる、しかし買うお金はない。そんな人々に向けた厚労省の最新の通達には、目を耳を疑うような、信じがたい一文が記されています。

『保護費のやり繰りによって購入が困難な場合には、生活福祉資金貸付を活用して購入していただくことも可能』

法令の言葉は難解ですが、これは平たく言うと、「生活費を切り詰めても買えないなら、社会福祉協議会で借金をして買いなさい」と言っているのです。

日々の食費すら極限まで切り詰め、爪に火をともすような生活をしている困窮世帯に対し、国は「借金」を指導しています。しかし、生活保護費は最低限度の生活を維持するためのギリギリの額です。そこから毎月の返済を強いられれば、生活は破綻します。これは「自立の助長」どころか、行政自らが被保護者をさらなる貧困と絶望の淵へ突き落とす行為に他なりません。

実際に北九州市では、この通達通りの冷酷な対応が行われています。エアコンの故障を訴えた60代女性に対し、市は「一律公平に支給しない」「社協から借りるように」と突き放しました。この女性は身体が不自由で、現在は身体障害の年金申請をしているような状態です。働いて返すこともままなりません。本記事の執筆にあたり、改めて彼女に現在の心境を伺いました。彼女の言葉は、制度の欠陥を鋭く突いています。
「エアコンがない夏を迎える不安で、『死んでしまいそうです』とまで訴えました。それでも役所は、頑なに支給はできない、の一点張りです。悔しくてたまりません。」

「死ぬかもしれない」という市民の悲鳴よりも、「借金をさせるルール」や「悪平等の維持」が優先される。これが、現在日本のセーフティーネットの偽らざる実態なのです。

貧困ビジネス化する生活保護のエアコン事情

運良く「特別な事情」という高いハードルを越えて、エアコン支給が決まったとしても、そこにはさらなる非現実的な壁が待ち受けています。それが、「本体と設備工事費込みで6~7万円台」という極めて低い上限額の設定です。昨今の物価高騰の中、工事費込みでこの価格帯に収まるエアコンを探すのは至難の業です。結果として、受給者は型落ちの売れ残りや、性能の低い安価な機種を選ばざるを得なくなります。安価な古いモデルは省エネ性能が低く、最新機種に比べて電気代が跳ね上がる傾向にあります。ただでさえ逼迫している毎月の生活扶助費(食費や光熱費)を、高い電気代がさらに圧迫することになります。

安物買いの銭失いという言葉あります。行政は初期費用をケチることで「節税」をアピールしているつもりかもしれませんが、長期的には被保護者の家計を破綻させ、自立を遠ざける「貧困の悪循環」を作り出しているのです。

長期的に見て光熱費の負担が大きい機種の購入を強いられることは、経済的合理性を欠いた選択です。生活保護法第60条では、受給者は「生活の維持・向上に努めなければならない」と規定されています。しかし、燃費の悪いエアコンをあえて選ばせる行政の運用は、被保護世帯の健全な家計管理を妨害する行為です。長期的に家計を圧迫し続けるこの仕組みは、公的制度でありながら、貧困層から搾取する「貧困ビジネス」のようにも映ります。

裁量の逸脱と憲法25条「健康で文化的な最低限度の生活」の崩壊

生活保護法第3条は、「最低限度の生活」とは「健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない」と定めています。この基準は、すべての国民の生存権を保障する憲法第25条の理念を具体化したものです。

しかし、現代の「災害級の猛暑」において、エアコンはもはや贅沢品ではなく、生命維持に不可欠なインフラとなっています。この状況下で、エアコンの支給を拒否する行政の運用は、この憲法上の要求を満たしているのでしょうか。

生活保護の基準設定(何が最低生活費か)は、厚生労働大臣に委ねられた裁量権に基づいています。しかし、この裁量権は絶対的なものではありません。
過去の最高裁判例(老齢加算廃止訴訟上告審判決傍論)は、行政の裁量権について厳しく警告しています。それは、「現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定した場合」は、憲法や生活保護法の趣旨に反し、裁量権の限界を超え、または裁量権を濫用したとして、違法となるという原則です。

北九州市の女性は何度も役所へ連絡をして、「この暑さでエアコンを使えなければ死んでしまうのに、死ねというのか」と問うたといいます。それでも暖簾に腕押しの対応に、人の心はないのかと嘆きます。
通達はエアコンの購入費認定を、実施機関が「真にやむを得ないと認めたとき」という極めて曖昧な裁量基準に委ねています。生活保護の決定実施は、要保護者それぞれのもつ様々な事情を十分に把握し、個別的、具体的事情に着目して、具体的妥当性を持つものとすることが求められています。「真にやむを得ない」という曖昧な言葉を唯一の判断基準とすることは、無差別平等の原則(生活保護法第2条)に抵触するおそれがあります。実際に、曖昧な基準により、ケースワーカーや実施機関の解釈によって認定の可否が分かれ、同様の困窮状態にある被保護者間で不平等が生じています。

エアコンの必要性が高まる中で、本来は新たな扶助費の創設や、より効果的な制度の構築運用が求められます。行政は、既存の「家具什器」という枠組みを使い回すことで、国の責務から目を背けているといるのです。

命を守るためのルールの正常化を

厚労省は毎年、熱中症予防の通達を出して、国民に注意を呼びかけます。しかし、その裏で「エアコン購入費用は自分たちでなんとかしろ、無理なら借金しろ」と書き添える矛盾を、私たちはいつまで許容するのでしょうか。

エアコンを経常的な生活扶助または夏季加算として認め、経年劣化による故障も支給対象とすべきです。省エネ性能を考慮した、科学的かつ公正な積算根拠に基づいた、現実的な支給額の上限設定が必要です。これらは、過剰な要求ではありません。命を守るための最低限のルール変更です。神奈川県のシングルマザーのような悲劇を二度と生まないために、行政は、場当たり的な「事務連絡」という紙切れ一枚で人の命を選別する冷酷な基準を直ちに撤回すべきです。さもなくば、この通達は、猛暑から国民の命を守るという美名の下、貧困層を最低生活基準の枠外に留め置くための冷酷な基準として、歴史に刻まれることになるでしょう。

神奈川県のシングルマザーが亡くなったのは、寒さが最も厳しい1月でした。エアコンの問題は、夏の熱中症だけではありません。多くの安価な賃貸住宅において、エアコンは唯一の暖房器具です。それが壊れているということは、極寒の部屋で、毛布にくるまって震えるしかないことを意味します。世間が正月を祝う団らんの灯りの陰で、彼女はひとり、どれほどの寒さと心細さに耐えていたのでしょうか。

「助けて」と言いたくても、役所の窓口は年末年始の休暇で閉ざされています。この年末年始も、壊れたエアコンの前で、あるいはエアコンのない部屋で、カイロを握りしめることもできず、寒さに耐えている人々がいます。行政の窓口が閉まるこの期間、彼らの不安はどれほどのものでしょうか。

「年が明けたら、もう一度相談に行こう」そう一縷の望みを抱きながら、寒さに体力を奪われ、二度と新年を迎えられない命があることを、忘れてはいけません。

人の命を天秤にかけるような冷酷な基準ではなく、すべての人々の生存権を等しく尊重する、憲法に基づくまっとうな運用へと、今こそ舵を切るべきです。