「弁護士JP生活保護連載」第4回記事 令和7年2月23日
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生活保護受けられず54歳息子が86歳母を「介護殺人」…貧困で追い詰められた親子はどうすれば“救われた”のか【行政書士解説】(弁護士JPニュース) – Yahoo!ニュース
これは2006(平成18)年2月1日、京都市伏見区の桂川河川敷で、54歳の男性Aさんが生活苦から心中を図り、認知症を患う86歳の母親を殺害した事件です。
介護保険制度の限界・生活保護行政の硬直性・介護者の孤立といった社会問題を浮き彫りにしたこの事件は、以後も介護問題を考える上での重要な事例として扱われています。
介護問題に関連する研究や文献等にも引用され、また舞台や書籍化もされています。
昨今では、Youtubeやネット掲示板等にもこの事件を元にした動画やコピペが絶えることなく投稿される事もあって、知っている人も多いのではないでしょうか。
介護問題を中心として語られる事の多いこの事件ですが、今回は行政書士の視点から、「では、どうすればよかったのか?」解説しました。
世界的にも高齢化社会の先頭を行く日本、介護で行き詰まった方からの相談も多数受けてきました。
◆事件の経緯
元々は両親二人と息子一人の3人家族で暮らしていましたが、1995(平成7)年父親が亡くなり、そのあたりから母親の認知症が始まった為、Aさんは介護をしながら工場で働いていました。しかし2005(平成17)年4月頃から母親の症状が悪化し、昼夜逆転生活となってしまった為、当初は休職して対処していたAさんはやがて介護と仕事の両立が困難になり会社を退職。
その後、介護との両立可能な仕事を探すも見つからず。
福祉事務所に生活保護の相談に3回訪れるも失業給付(失業保険)を理由に生活保護の申請は認められず、経済的に追い詰められていきました。
そして2005(平成17)年12月、失業給付が打ち切られてしまいます。
カードローンも限界まで借入をしていた為これ以上借金をすることも出来ず、いよいよ翌月分の家賃が払えなくなった2006(平成18)年1月31日、アパートを引き払った後、Aさんは心中を決意します。
その日の夜に最後の親孝行として母親と京都市内を観光。
裁判記録の中で最後の会話とされているものです
A
「もう生きられへんのやで。ここで終わりやで。」
母
「そうか、あかんか。一緒やで。」
A
「すまんな、すまんな。」
母
「こっち来い、わしの子や。わしがやったる」
認知症にかかった母がそれでも我が子を思う気持ちに触れ、Aさんは決心を固めます。
翌朝2月1日、桂川河川敷にて母親を殺害し、自身も包丁で首を切って自殺を図りましたが一命を取り留めました。
翌日2月2日にAさんは、殺人の容疑で逮捕されます。
裁判では、検察が懲役3年を求刑しましたが、裁判所は被告人の献身的な介護や状況を考慮し、懲役2年6ヶ月、執行猶予3年の判決を下しました。
特徴的なのは、裁判でも異例といえる同情的な判断がなされたことです。
裁判長は「母親は、恨みなどを抱かず、厳罰も望んでいないと推察される。自力で更生し、母親の冥福を祈らせることが相当」と述べ、被告人Aさんに対し懲役2年6ヶ月、執行猶予3年という比較的寛容な判決を下した上で、下記のような付言を行っています。
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本件で裁かれているのは被告人だけではなく、介護保険や生活保護行政の在り方も問われている。こうして事件に発展した以上は、どう対応すべきだったかを、行政の関係者は考えなおす余地がある。
京都地裁 東尾龍一裁判官 2006.7.21 付言
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Aさんのその後は、最初の事件ほど知られていません。
裁判により執行猶予となったAさんは滋賀県で一人暮らしを始め木材加工会社で働いていましたが、2013(平成25)年に失職、その後一度は金属加工の仕事を得ますが加齢により視力が弱まっていたため手元作業が思うように出来ず、その仕事も長続きしませんでした。
そして、Aさんは2014(平成26)年8月1日に遺体で発見されます。
その日の朝に琵琶湖大橋から男性が飛び降りるのが目撃されており、最後に身につけていたカバンには数百円の小銭、それと共にへその緒と「一緒に焼いてください」というメモ書きが入っていました。
最初に職を失った時に所持金は30万円ほどはあったと言われていますが、亡くなる3ヶ月前の貯金額は6万円ほどまで減少。
それでも当時住んでいたアパートの大家さんによれば、一度も家賃の滞納をする事はなかったといいます。
また、周囲の人に事件と母親の話をする事は一切なかったそうです。
Aさんは、どうすれば救済されたのでしょうか?
もし預貯金や現金預金があることを理由に却下されていたのであれば、それらの資産がなくなったタイミングで申請をすればよかったのです。
失業給付が原因で申請が通らないのであれば、失業給付が切れて、受け取ったお金が尽きた時点で申請を行えば審査は通ります。
この事件においては、資産が尽き、失業給付が切れ、いよいよ来月の家賃を支払えなくなった時が心中を覚悟した瞬間となっています。
実務上から言えば、まさにそのタイミングこそが、生活保護受給の要件を満たした瞬間であった(そしてAさんはそれに気付かなかった)という事実は、何とも言えない気分になります。
ただ、認知症で徘徊を続ける母の介護に追われ、減り続けるしかない預貯金の残高に絶望し、そしてその状況をどうにも改善できない焦燥感、一人でその現実を背負い続けるしかない状況の中で正常な判断をするのは、よほどの超人でなければ困難でしょう。
残された当時の記録から判断する限りは、行政側の対応もそこまで間違ったものとは思えません。最後に相談に行った際にも、失業給付を理由として現時点での申請は出来ないとの案内があったようですが、これも必ずしも間違った案内ではありません。
官民の架け橋たる行政書士の立場であれば、今は失業給付があるので生活保護の申請をしても通りません、しかしそれがなくなったタイミングですぐさま、申請すれば大丈夫ですよ、という案内が出来ます。
しかし、最後のセーフティネットたる生活保護行政を担う側からすれば、こうなれば必ず申請は通りますよという案内は難しいというのも仕方のないところなのです。
ある条件をクリアしても、審査の過程の中で別の要因が発生し、そちらを理由として生活保護の申請が却下となる事もあります。申請前の時点でこうすれば必ず申請は通りますよという説明が仇になるケースもあるがため、慎重にならざるを得ないのです。
またこれは想像ですが、相談に来た際に一定の説明はしていたのかもしれません。
しかし最後の時点ではそれを飲み込んで理解する余裕はAさんにはなかったのではないでしょうか。
◆
もし同じ状況での母子が相談に来た場合、当事務所であればどのように対応したか?
実際問題、似た状況での相談・手続の依頼はこれまでも多数ありました。
この場合は大きく分けて二つの方法が考えられます。
一つ目は母子そろって一つの世帯として生活保護を受給する方法。
上述したように、生活保護を申請しても受けられなかった理由、もしくはそもそも申請自体が出来なかった理由は状況を聞き取れば判断できますので、必要な要件が整った時点で申請を行います。
二つ目は、介護する側の疲労が溜まっているようであれば、要介護のお母さんに施設に入ってもらい、そこを居所として母のみ生活保護を申請、受給できますという選択肢を示します。このケースでは、介護施設に入所するその日に申請できますし、入所費用を支払えていなければ入居日(申請日)からの日割の施設代も住宅扶助費等として支給してもらえます。
Aさんも、すぐには仕事が見つからないでしょうから、仕事が見つかるまで単身で生活保護を受給することができました。あるいは、仕事と収入源がすぐに確保されれば、Aさんは生活保護を受けずに再び働き始める方法もありましたが、失業保険も切れている状況であれば最初の給与が入るまでの1ヶ月、2ヶ月の短期間生活保護を受給することもできたのです。
認知症に限らず高齢の為に介護施設に入居した両親のみが生活保護を受給し、それまで介護をしてきた子供達は生活保護を受けずに自分達で生活をするというケースはこれもよくあります。
もちろん親族なので出来る限り支援をしていくのが理想ですが、そこに至るまで介護にかかる費用や肉体的・時間的な消耗もひどく身内も疲弊しているケースがほとんどなので、これ以上の支援はできず行政に頼るしかないという状況も多いです。
保護が開始になれば、基本的に申請日に遡って医療費が無料になり、滞納していた税金や保険料の支払も基本的には免除されるので、日常生活にかかる費用以外にもかなり負担が軽くなります。
◆
行政書士という専門職からしてみれば、この場合だったらこうすればいい、この状況であればここが問題ですといった冷静な分析、指摘が可能ですが、実際困窮状態にある当事者からすればそこまで情報を集めて冷静に行動するというのは難しいはずです。
裁判を終え執行猶予となったAさんは、滋賀県へと移り住みそこで一人で生活を始めます。
しかしそこでも60歳を超えてから仕事を失います。
この時点でも、収入が途絶えた状態で現金・預貯金がなくなれば生活保護の受給は可能でした。
しかし、この頃に福祉を頼ろうとしたという情報は残されていません。
事件当時、行政を頼ろうとしてどうにもならなかった事がトラウマとして残っていたのではないでしょうか。
滋賀県で職を失った頃、Aさんに近しい人はとにかく「頑張れ、頑張れ」「老後のこと考えて出来るだけ働け、ちょっとでも貯めていかなあかんよ」と声をかけて励ましていたといいます。
精神的にも限界を迎え、頼れるものもなくなった状況で投げかけられた「頑張れ」という言葉は励ましや応援ではなく、ただ追い詰めるだけの言葉となってしまったのかもしれません。
苦しんでいる人を助けたいと思った時、具体的な方法や改善策を示せない精神論、根性論は意味がありません。
特筆すべきは、Aさんが困窮状態での介護中も、そして最後自死を遂げる直前も、家賃滞納することなく支払っていたことです。実際、行政書士への相談でも、家賃滞納や光熱費の滞納をしたくないから、そこまでの困窮状態に陥る前に生活保護申請をしたいという方は多いのです。期日までに滞納なく、他人様に迷惑をかけたくない、かけられないと考える真面目な日本人が多いのです。
だからこそ、先週の記事で書いたように、物価高で不当に削減された少ない生活保護費からエアコンの故障に備え貯蓄できなかった方々に、貸付けの案内をするという厚労省の通達に問題があるのです。毎月の保護費は生活を維持するのにギリギリだというのに、返せないお金は借りられないと考え、命の危険を伴う猛暑の中エアコンなしで過ごし、精神的にも肉体的にも追い詰められている生活保護受給者が全国に多数いることに警鐘を鳴らしたいと思います。