鈴木さんの秘密

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鈴木さんの秘密

鈴木久美子の「久美子」の名前の由来。
「永久(とわ)に心美しく」

父がつけてくれた名前の由来だ。ふと思い出したとき、熱いものが頬をつたった。私の今の名前は、あかり。勤務するスナックの源氏名だ。

深いため息が漏れた。
「大丈夫。がんばっていれば、何とかなるから。来月の今頃は、大阪市内の文教地区、天王寺の快適マンションライフが待っているんだから。」

自分に言い聞かせ、重い身体を起こした。
チャットレディという合法風俗業をしながら、娘の愛子と二人で横浜の古いオンボロアパート(だのに家賃は高い)で生活していたときは、だいぶ稼いだし貯金もした。

チャットレディはいわばネット上の水商売だが、男性ユーザーが一気に増えたのに対して、働く女性側の認知度が追い付かなかったため、需要が供給を上回り、バブルが起きた。

慎重な私は待機中に顔も出さず、チャット中に服を脱いで露出するといった営業行為(服を脱ぐこと自体は違法ではない)もせず、地道に「女性と会話がしたい」けれども「時間がない」「お金はある」真面目な男性固定客を増やしていった。

当初月60万円ほどだったチャット収入は、半年後には月250万円を超えた。チャットバブルは1年であっという間にはじけたが(需要は増え続けたが、業界参入する女性がみるみるうちに増えていったからだ。

店で働くより、マイクとカメラをパソコンにつないで家でできるチャットレディの方がずっと割がいいという噂が夜の女たちの間に広まったらしい)、その後も月60万円という当初の収入はキープし続けた。

結果的に、チャットレディをしていた2年間で2千万近く貯金ができた。

ようやく、未婚で愛子を生むまでに貯めた貯金を自力で取り戻したことになる。
だが、苦難は続いた。

歩行中だった父がスピード違反のバイクにはねられ、生死を半年間さまよう大事故に遭った。本当に奇跡的に一命を取り留め、意識も半年後に回復し、医師は皆驚いた。

しかし、それからが大変だった。父は記憶が一切なくなり、人格も味覚さえも変わり、半身不随が残り、障害1級要介護5の重度障碍者となった。

病院からは、もうこれ以上治療しようがないと匙を投げられ、受け入れてくれる施設を当初探したが、家に帰りたいと泣く父、誰も介護できる人がいないから面倒をみてやってほしいという親類一同にほだされ、愛子と私が大阪府河内長野市の父の実家で、自宅介護をすることになった。

肝心の私の母親、愛子の祖母は、

「国立大を出てから30年以上小学校教員をしていたキャリアを活かして、発展途上国に貢献したい」

という夢を追いかけ、何年もJICA(青年海外協力隊)のシニアボランティアに応募しては不合格だったのが偶然にも今年は最終面接で通ってしまい、南米の最貧国ボリビアに行くことになってしまった。

まるで小説のような話だが、事実は小説よりも奇なり。

さすがに親と同居でチャットレディをするわけにはいかず、夜はスナックで働き、昼は父がデイケアに行く日だけアルバイトをするようになった。

今からは無心になろう。考えないようにしよう。時計を見上げた。5時だ。もう準備して、家を出なければ。

大阪なんば駅に6時過ぎには着かなければ、6時半の出勤時間に間に合わない。マンションから最寄りの河内長野町駅まで走って5分、南海線で30分かかるのだ。もう連続出勤7日目だから、体が感覚を覚えてしまっている。

時給1000円のスナック「ドルフィン」で、0時まで仕事をする。0時の時点で客がついていなければ、0時10分の終電に飛び乗って家に帰る。家に着くのは1時前。

寝ている父親を起こさないようにそっとシャワーを浴びて、1時半には布団にもぐる。翌日は大阪市内の貿易会社で翻訳のバイトがある。

6時半の電車に乗るから、寝られるのは今日も4時間半か・・・。どっと疲れが出るが、もう時間がない。そんなことが頭の中を駆け巡る中、生真面目な私は5時22分発なんば行きのいつもの電車に飛び乗った。

電車に乗るやいなや、空席を探し、席を譲るべき人がいないかを確認してから、素早く座って行政書士の参考書を広げた。

ドルフィンは、大阪なんば駅から程近い雑居ビルの2階にあった。
「おはようございます」
「おはよう、あかりさん」
気の良い小太りの店長の目は優しい。

ここで雇ってもらえてよかった。今月も、既に10万稼いだ。時給1000円だが、出勤数に応じてちょっとだけボーナスが出る。

体的にきついが、あと3日の辛抱だ。そうしたら、1日休める。その後はまた10日連続出勤だが・・・そんなことは考えないでおこう。

とにかく、貯金は減らすわけにはいかなかった。私ももう若くはない。あんなバブルにあやかれることはもうないのだから。

暮らしてみてわかったが、河内長野は電車では大阪ミナミの中心地から30分で来れたが、高速道路は通っておらず、陸の孤島と呼ばれている場所だった。

河内長野は病院の数も少なく、父の特殊な病気、高次脳機能障害の専門医は大阪市内に集中していた。

そのため、今後のことを考えて、父の貯金と自分の貯金を足して、大阪市内でキャッシュで買えるマンションを探した。なぜキャッシュにこだわったかというと、単純にローン審査に通らないからである。

続き→鈴木久美子と行政書士と勉強法

※この連載は実話を元にしたフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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