「弁護士JP生活保護連載」 第67回記事 令和8年11月8日

今回は、もう余計な言葉は不要と思います。ぜひ、炎上記事をお読みください。世界平和は、日中平和から。

左から:行政書士吉永藍・川上正隆・ジャーナリスト白井康彦・寺澤有

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残留孤児になりすまし生活保護受給、逮捕の陰で「名前を奪われた本物の日本人」が辿った生涯

ネット上やニュースで「外国人の生活保護受給」の話題が出るたび、コメント欄はあっという間に炎上し、極端な言葉が飛び交います。

以前、私が執筆した「大阪市で起きた中国人48人による生活保護大量申請」についての記事でも、右派・左派の双方から本当にたくさんの反響をいただきました。「日本の福祉制度が食い物にされているのではないか」という憤りの声もあれば、「困っている人を救うのが人道だ」という意見もあり、国民の関心の高さを改めて実感しました。

同時に、日頃から生活保護の現場や外国人の在留資格にも携わる行政書士としては、そうした激しい言葉の応酬を見るたびに、胸が痛むと同時に危機感を覚えるのです。感情論や排外的なヘイトスピーチ、あるいは現実の法制度を無視した擁護論ばかりが目立ってしまい、私たちが本当に目を向けるべき問題と、その背景にある重い歴史が置き去りにされているように思うからです。

今回取り上げるのは、かつて世間を揺るがし、日本の福祉行政と出入国管理制度に世間の注目を集めた、あるひとつの事件です。

中国残留日本人孤児になりすました中国人女性が親族を引き連れて来日し、10年以上にわたって生活保護費を不正受給していたとして逮捕。

この事件のあらましを聞けば、「とんでもない悪質な不正受給だ」「だから外国人に生活保護を出してはいけないんだ」と怒りを覚えるのは当然でしょう。困窮者を救うためのセーフティネットを悪用し、公金をだまし取るような行為は決して許されるものではありません。

しかし、この事件は「悪質な外国人による不正受給」という一言で片づけられるものではないかもしれません。戦後日本が抱えてきた歴史、行政の縦割りが生んだ生活保護制度の抜け穴。名前を他人に利用され、生活保護の不正受給に使われていた本物の日本人女性の悲痛な生涯。表面的な怒りだけでは見えてこない、事件の裏側に潜む複雑な背景をたどります。

偽物による10年以上に及ぶ生活保護の不正受給

事件が白日の下に晒されたのは、2007年のことでした。

警視庁などの合同捜査本部は、詐欺および出入国管理及び難民認定法違反の疑いで、日本国内に在留していた中国人男女12人を次々と逮捕しました。彼らが手を染めていたのは、実在する中国残留孤児の女性になりすまし、その親族として日本に入国したうえで生活保護費をだまし取っていたという大掛かりな詐欺でした。

発端は1990年代初頭に遡ります。中国に住んでいたある中国人女性が、実在する中国残留邦人である雪子さん(仮名)になりすまして日本政府に帰国の申請を行いました。当時、厚生省(現・厚生労働省)や外務省は、戦争の混乱で現地に取り残された残留邦人の帰国事業を進めていましたが、混乱期の戸籍や身元確認は困難を極めていました。結果として、この女性は「雪子さん」本人として認定され、日本国籍の回復や入国許可を得てしまいます。

さらに生活保護制度の盲点を突くかの如く、親族たちの来日が続きました。当時の日本の法制度では、残留邦人として帰国が認められた場合、その実子や配偶者などの家族もまた、身分系在留資格である定住者などとして日本に帯同・呼び寄せることが認められていたのです(※現在はこの運用は廃止されています)。

戦後の幅広い救済のため日本政府が設けていた当時の制度の隙を突いて、なりすましを行った女性の長男をはじめとする親族ら十数人が、次々と「日本人残留孤児の親族」として日本の土を踏んだのです。

雪子さんになりすました本人は、日本でしばらく暮らした後、親族たちを日本に残したまま中国へと帰国。そして、残された親族たちは、日本の自治体の福祉事務所へ向かい、生活保護を申請したのです。

彼らは日本語がほとんど話せない状態でありながら、日本政府から正式に認められた「定住者」という在留資格を持っていたため、自治体の福祉事務所も要件上、生活保護の支給を決定せざるを得ませんでした。

中には、実際にはアルバイトなどで収入を得ていながらそれを隠して保護費を受け取っていた者もいました。その期間は実に10年以上に及び、だまし取られた生活保護費の総額は数千万円単位に達したとされています。

逮捕された長男は、警察の調べに対してこう供述しました。「日本に来れば良い暮らしができると思い、母に日本人を名乗らせた」

生活保護制度は、憲法第25条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」を守るための最後のセーフティネットです。本来であれば、真に困窮し、今日食べるものにも困っている人を救うために使われるべき貴重な税金が、身元を偽って入国した者たちの手によって、だまし取られ続けていたというのは、紛れもない事実です。行政のチェック体制の甘さとともに、社会の生活保護制度に対する信頼を揺るがすことになりました。

そして、この事件の裏側では、自らのアイデンティティと日本人としての名前を奪われ、日本国内で生活保護の不正受給の道具とされていた「本物の雪子さん」が存在していたのです。

中国の寒村で名前を奪われていた「本物の雪子さん」

雪子さんは1929年、福岡県で生まれました。13歳だった1942年、当時「満州国」と呼ばれていた中国東北部へ渡りますが、わずか3年後の1945年、終戦により満州国は崩壊。混乱の中で親族とも離れ離れになり、言葉も通じない異国の地に一人取り残されてしまいました。

終戦後の過酷な動乱期を生き延びるため、雪子さんは現地で中国人男性と結婚を重ね、最終的に行き着いた陝西省の農村で、夫やその連れ子とともに農民として慎ましく暮らしていました。長い年月の中で日本語を話し言葉として使う機会は失われ、現地の言葉を話す中国の農民として完全に同化して生きていたのです。

転機が訪れたのは2002年のことでした。老境に入り、「死ぬ前に一度でいいから、日本の親族に会いたい」と願い出た雪子さんは、支援者の協力を得て日本赤十字社や厚生労働省へ親族訪問の調査を申請しました。

しかし、日本の行政窓口から返ってきたのは、あまりにも信じがたい回答でした。

「雪子という人物は、1990年代にすでに日本へ永住帰国しています」

公の記録上、雪子さんは「すでに帰国して日本で暮らしている」ことになっていたのです。自分が自分であること、日本人であることを証明しようにも、その戸籍と名前は、遠い日本の地で見知らぬ他人に使われ、あまつさえ生活保護の不正受給の道具にされていたのでした。

一度は帰国を拒まれた雪子さんでしたが、報道機関や日中双方の有志、そして厚生労働省による現地調査が動き出します。2005年、現地に赴いた調査団による詳細な聞き取り調査とDNA鑑定が実施され、中国の農村で暮らしていた彼女こそが、正真正銘の本人であることが科学的に証明されました。

2006年春、60数年ぶりに祖国の土を踏んだ雪子さんは、福岡で高齢の親族と涙の再会を果たしました。すでに日本語は話せず、会話は通訳を介してのものでしたが、日本の親族からは温かく迎えられました。しかし彼女は、数日間の滞在を終えると、再び中国の村へと帰っていきました。すでに自分の人生と家族、守るべき日常は、中国の地にあったからです。

そして2018年、雪子さんは陝西省の自宅で、89歳でひっそりとこの世を去りました。

偽者たちが日本で巨額の公金を詐取して逮捕された事件の陰で、本物の日本人女性は、名義を奪われながらも誰を恨むことなく、異国の地で静かにその生涯を閉じたのです。

なぜ「なりすまし」が起きたのか?生活保護行政の限界

なぜ、これほどまでに大胆な「なりすまし」が長年見逃され、生活保護の不正受給に至ってしまったのでしょうか。

その背景には、厚生労働省が直面していた「中国残留邦人等への支援」という戦後処理の焦眉の課題と、入国管理と生活保護行政の縦割り問題がありました。

終戦時、旧満州をはじめとする地域には約150万人もの日本人が取り残され、引き揚げの混乱のなかで、多くの幼子や女性が生きていくために現地の中国人に預けられ、あるいは養子・妻となりました。これが中国残留孤児および中国残留婦人です。

1972年の日中国交正常化以降、国による帰国事業が本格化しましたが、残留孤児たちの身元確認は困難を極めました。彼らは幼少期に生き別れたため、自らの日本名や本籍地、親の正確な名前すら覚えていないことが珍しくありませんでした。肉親を探す訪日調査では、顔写真やわずかな記憶の断片、身体の特徴(傷跡やほくろ)を手がかりに、高齢の親族と対面させるという手探りの作業が繰り返されました。

1980年代から1990年代にかけては、戦争の犠牲となった孤児たちが高齢化していく中で、一刻も早く祖国の土を踏ませなければならないという強い社会的要請がありました。一刻の猶予もない人道支援という空気のなかで、行政の審査にはどうしても限界が生じました。当時はまだDNA鑑定も普及しておらず、現地のブローカーが偽造した書類や口裏を合わせた証言があれば、日本の役所が見破ることは至難の業だったのです。

ひとたび入管から「定住者」という正規の在留資格を得て入国してしまえば、福祉事務所の窓口は1954(昭和29)年の厚生省通知(社発第382号)に従い、「生活困窮状態にあるか否か」だけを審査して生活保護を決定していました。福祉事務所には、入国管理局の審査過程を再調査する権限もリソースもありません。

「入管が認めたのだから適法な滞在者だろう」「所持金がなく言葉も話せないのだから生活保護が必要である」この二つの真っ当な人道的判断により、皮肉にも偽物の親族たちに対する10年以上の不正受給という蟻地獄のような事態が固定化してしまったのです。

行政書士・吉永藍が直面した「名前を奪われた日本人」の現実

実は、こうした、名前を他人に盗まれ、公のデータ上はすでに帰国したことになっていたという理不尽な悲劇は、雪子さんの件だけに留まりません。

生活保護と在留資格の現場を知るもう一つのリアルな視点として、私と同じく行政書士として第一線で活躍されている吉永藍(よしなが・あい)先生のお話を紹介したいと思います。

吉永先生は、旧満州の奉天(現在の中国遼寧省瀋陽市)の出身で、日本に留学・定住した後に日本国籍を取得(帰化)された行政書士です。東京都行政書士会の会長選挙や都議会議員選挙、参議院議員選挙にも果敢に立候補され、その出自ゆえにインターネット上などで激しいヘイトスピーチに晒されながらも、公正な法秩序と共生社会のために発信を続けてこられました。

その吉永先生ご自身も、過去の行政書士業務の中で、まさにこの雪子さんの事件と酷似した「名前を盗まれた案件」に直面した経験があるといいます。

(※なお、関係者のプライバシー保護の観点から、中国側のお名前や地名等の詳細情報はすべて仮名とし、個人が特定されないよう一部の事実関係を抽象化して記載しています。現実に今も現地や日本で暮らしている当事者の方々の平穏と安全を守るため、当初からあえて特定を避ける配慮を行っていることをご理解いただけますと幸いです。)

その案件も、日本の戸籍や入管のデータ上では「すでに本人は日本に帰国済み」と処理されているにもかかわらず、中国の農村に残された人物こそが本物の日系人である、という事案でした。 誰かがその人物の名前と身元を騙り、先に日本へ入国を果たしてしまっていたのです。

本物の日系人であることを証明するため、吉永先生は中国現地の村人たち一人ひとりから証言をもらい、指印(拇印)を押した書面を集めるなど、気の遠くなるような調査と立証に奔走しました。

しかし、あまりの過酷さに吉永先生自身が体調を崩し、無念の思いを抱えながら弁護士へと事案を引き継ぐことになります。「今思い出しても悔しくてならない」と吉永先生が振り返る通り、机上の制度論だけでは見えてこない、人生を他人に奪われた人々の生々しい苦闘が確かに存在していたのです。

実例から見る日本の公的支援

吉永先生の生まれ育った旧満州には、歴史の渦に巻き込まれた残留邦人やその子孫たちが大勢暮らしていました。吉永先生は、さらに自らの周囲で起きた正真正銘の日系家族の実例を語ってくれました。

① 日本人の母を持つ、山田さん(仮名)の悲哀

吉永先生のお母様の知人であった山田さん(仮名)は、戦前、日本へ医学留学した中国人と日本人女性の間に生まれた方でした。1980年代初頭の帰国事業によって日本国籍を回復し、妻子を帯同して関西地方へと帰国しました。中国では公的なインフラ関連組織の事務職として安定した暮らしを送っていましたが、日本で待っていたのは言葉の壁でした。国からの言語訓練や職業斡旋を受けたものの、最終的には製造工場の現場作業員となり、過酷な肉体労働に従事することになったのです。

吉永先生が1990年代後半に日本へ留学してきた際、家賃5万数千円のアパートに住んでいるのを知った山田さんは、「そんな部屋は贅沢すぎる! 俺たち家族3人の家賃と変わらないじゃないか」と我が事のように叱り、親身になって世話を焼いてくれたそうです。しかし山田さんは、60歳で定年を迎えた直後、日本の年金を満足に受け取る暇すらなく、突然の病で急死してしまいました。

② 管理職を手放せず、時代の波に取り残された日系2世

日本人の祖母を持つ吉永先生の同級生(遠戚)の一家も、父親が現地の行政機関で責任ある役職に就いており、80年代の帰国を見送りました。 その後、日系3世の子が日本へ留学して永住者となり、定年を迎えた日系2世の両親を呼び寄せようとしましたが、この頃には国の帰国支援事業は大幅に縮小されていました。国による支援はなく「日本に定着した子が全額自費で両親を扶養すること」が条件とされ、その次の4世世代には定住者ビザすら降りない厳しい制度へと変わっていたのです。

吉永先生は指摘します。

「80年代初頭の帰国事業では、親族が引き取りを拒否しても、戦争の遺物として国に責任があるとして、国が生活費や住居、就労支援を出すのが当たり前でした。しかし時代が下ると、同じ日系2世でありながら政府は支援を打ち切り、すべて『子孫の自己責任と自己負担』でなければ帰国させない政策へと転換してしまいました」

日本国が果たしてきた「歴史的責任としての公的支援」は時と共に先細りし、自己責任の名のもとに日系家族の私的扶養へと責任が転嫁されたこと。その結果、日本側の家族が病気や失業で倒れれば、あっという間に共倒れ。
正規の公的支援ルートが狭まり、受け入れ体制が空洞化したことで、制度の隙間を狙う悪質なブローカーを暗躍させる温床になってしまったのかもしれません。

感情論に流されない「排外のヘイト」にも「不正の容認」にも

インターネット上の議論を見ていると、外国人の生活保護が絡む事件が起きるたびに、極端な二項対立に陥りがちです。

事件をダシにして「これだから外国人は」「外国人の生活保護を今すぐ全廃しろ」と叫ぶ、悪質な排外主義(ヘイトスピーチ)は、雪子さんのような本物の日本人が背負わされた耐えがたい苦しみや、山田さんのように言葉の不自由さに悩みながら工場で働き、年金も受け取れずに逝った方々の無念さには一切目を向けず、ただ「叩きやすい対象」を見つけて鬱憤を晴らします。

しかし、だからといって「困窮しているのだから不正受給も大目に見て救うべきだ」というような、法秩序を軽視した無責任な擁護論もまた、大衆に受け入れられるものではありません。

他人の戸籍を盗み、血税である生活保護費を10年以上もだまし取る行為は、明白な刑事犯罪です。それは納税者への裏切りであると同時に、真面目に働き、税金を納め、日本社会の一員として生きている大多数の在日外国人に対する背信行為でもあります。ヘイトを煽るからとこうした事実から目を背けることは、逆効果になりかねません。だからこそ、記事で取り上げることにしたのです。

感情的な排外主義に走ることも、犯罪に目をつぶる安易な同情に流れることも、どちらも思考停止にすぎません。

2007年の本事件や、2010年の大阪市での中国人大量申請問題を経て、現在では厚生労働省と出入国在留管理庁の連携が強化されました。入国間もない外国人の生活保護申請に対しては、身元保証書の確認や経費支弁能力の再調査が厳格化され、かつてのような野放図な受給は極めて発生しにくくなっています。ルールを厳格に運用し、不正を許さない毅然とした姿勢があってこそ、真に困窮している人を守るセーフティネットへの国民の理解と信頼が保たれます。

歴史的経緯を持つ人道的課題に対して国が十分な受け入れ・就労支援を怠り、個人の「自己責任」に丸投げしてしまえば、その歪みは最後に行き着く生活保護へと流れ込みます。生活保護費の多寡や外国人の受給資格だけを切り取って叩くのではなく、なぜその困窮や不正が生じたのかという根本的な問題に目を向ける必要があります。

人情と公正が織りなす社会へ

異国の寒村で名義を他人に奪われながらも、目の前の家族を愛して天寿を全うした雪子さん。言葉の壁にぶつかりながら日本の工場で油まみれになって働き、若き留学生の吉永先生に温かく小言を言ってくれた山田さん。 彼らが背負った過酷な運命は、現代の私たちが享受している平和や社会制度が、どれほど多くの名もなき人々の犠牲と苦難の上に成り立っているかを物語っています。

生活保護制度を考えるとき、私たちが忘れてはならない視点は「明日は我が身」ということです。病気、事故、事業の失敗、あるいは予期せぬ国際情勢や家庭の崩壊。誰もがある日突然、自力では生きていけない境遇に立たされる可能性があります。生活保護とは、そうした人生の落とし穴から這い上がるために社会が差し伸べる蜘蛛の糸であり、人が人らしく生きるための最後の砦です。

その砦を、不正や欺瞞によって汚すことは決して許されません。厳格な法と公正な手続きによって、不正受給は徹底して排除されなければなりません。

しかし同時に、他者の苦難に対して、自己責任の言葉を投げつけるだけの冷たい社会であってもならないはずです。国境や時代を超えて翻弄された人々の涙に寄り添い、真面目に汗を流して生きる人々を温かく包み込む人情を失ってしまえば、いかに法が整っていようとも、血の通わない社会になってしまうでしょう。

ヘイトスピーチという安易な怒りに身を任せるのでもなく、かといって不正に目を瞑るのでもない。厳格な公正さを保ちながら、歴史の重みと人間の弱さに思いを馳せる人情を持ち続けること。それこそが、本当の意味で成熟した社会といえるのではないでしょうか。

出典:厚生労働省 中国残留邦人等への支援策について
→https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/senbotsusha/seido02/index.html

参照:2006年・2007年の各社報道記録(雪子さん(仮名)身元確認および詐欺事件公判記録)
厚生労働省:大臣閣議後記者会見概要(2005年9月20日)
→https://www.mhlw.go.jp/kaiken/daijin/2005/09/k0920.html

陝西省在住の日本人戦争残留孤児が死去、村人総出で葬儀に参列―中国メディア
→https://www.recordchina.co.jp/pics.php?id=515587