「弁護士JP生活保護連載」 第21回記事 令和7年6月22日
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→「生活保護受給者は恵まれている」の言説が“権力の不正”を誘発・助長する理由…“最低賃金・フルタイム労働”では「最低生活」以下の収入しか得られない“日本の病”とは

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→「生活保護受給者は恵まれている」の言説が“権力の不正”を誘発・助長する理由…“最低賃金・フルタイム労働”では「最低生活」以下の収入しか得られない“日本の病”とは(弁護士JPニュース)

今回の記事の中には、働きながら生活保護を受けている人や、生活保護制度を利用して自立した方の事例をご紹介しています。
行政書士法人ひとみ綜合法務事務所にお寄せ頂いた手書きのお手紙からご紹介していますので、こちらではそのお手紙も見て頂けるようリンク先をつけた元原稿をご紹介します(校正、編集前の原稿のため、ヤフーニュースの公開記事と内容は若干異なります。)
働けど生活保護
「週5日、子ども2人を保育園に預けて働いています。でも生活保護を受けています」
この一文に、あなたはどう感じるでしょうか?
「それはズルい」「働けるなら保護は不要」と思った方もいるかもしれません。
でも今、日本では働いていても生活が成り立たない人が確かに存在し、生活保護を受けながらまじめに働いている人々が大勢います。
本稿では、「生活保護を受けながら働く」人々の実情をお伝えします。同時に、生活保護基準引き下げ違憲訴訟(通称「いのちのとりで裁判」)が社会に問いかける根本問題に迫ります。
「ズルい」の前に、まず知ってください。働いても足りない現実を。そして、考えてみてください。10年後、自分や家族が「足りない」生活に直面したとき、生活保護制度が「ズルいから要らない」社会だったら。あなたはどうしますか?
「生活保護を受ける者が裁判を起こすなど言語道断」
2013年から2015年にかけて行われた史上最大幅の生活保護基準引き下げの取消を求める集団訴訟の最高裁判決が迫ることから、報道も増えています。本件訴訟において原告勝訴が相次いでいる背景には、生活保護基準の引き下げが、あらかじめ『減額ありき』で進められ、減額の根拠として用いられた厚生労働省による統計データには、重大かつ恣意的な操作が加えられていたという、いわば統計不正問題の存在があります。
これは、福祉行政の瑕疵に留まらず、国民的合意形成の基盤となる統計そのものの信頼性を揺るがすものであり、生活保護受給者に限らず、すべての国民の知る権利と民主主義の根幹を脅かす重大な問題です。
しかし、「裁判をする元気があるなら生活保護を受けずに働け」「生活保護を受けているのに裁判などするな」という類のバッシングの声が、メディア空間やSNS上で根強く存在します。生活保護利用者という、最も経済的・社会的に弱い立場の人々に向けられる攻撃的な言葉は、不当な処遇に対して声を上げること自体を委縮させる卑劣な抑圧の手法であり、重大な問題の根本に焦点が集まることを阻害してきました。何より問題なのは、こうした言説が一部の声にとどまらず、社会全体において一定程度容認、黙認されている現実です。
この空気のなかで、社会全体がこの行政の透明性、民主主義の根幹にかかわる問題から目を背けさせられ、結果として、一般国民もまた、政策の不正を正し、権利を行使する機会を奪われてきたといえるでしょう。
だからこそ今回は、「働きながら生活保護を受けている人が多くいる」という現実に光を当て、生活保護制度に対する誤解を正すとともに、この裁判が国民全体に突きつけている本質的な問題に、いまこそ向かうべきだと強く訴えます。
働いても最低生活が確保できない人がいる
「生活保護を受けている=働いていない」と思われがちですが、それは大きな誤解です。厚生労働省が毎年公表している被保険者調査(生活保護を受給している全ての世帯を対象とする統計調査)によれば、生活保護を受けている人のうち、実に約1割以上が就労収入を得ています。つまり、保護を受けながらも働ける範囲で働いている人が、現に数多く存在しているのです。最低賃金が上昇しても、都市部の家賃や物価の高騰がそれを上回る中で、「働いているのに生活が成り立たない」という人が後を絶ちません。非正規雇用や短時間労働、あるいは病気・障害、育児や介護といった事情で、十分な収入を得ることができないまま、ギリギリの生活をしている人たちがいます。
生活保護は、そうした「働けるけれど足りない」人を支える制度でもあります。制度は、就労収入に応じて保護費を減額しながら不足分を補う仕組みであり、働くことそのものを否定していません。むしろ、就労による自立を目指す上で、必要な支援を柔軟に行うための仕組みなのです。
「働く元気があるなら生活保護を使うな」という声とは裏腹に、実態としてはすでに多くの人が、働きながら生活保護制度に支えられて暮らしています。そしてそれは、制度の本来の目的にかなった、ごくまっとうな利用のあり方なのです。
働きながら生活保護を受給している人の実態
(事例1)
兵庫県の50代男性は、大学生の子を持つシングルファーザー。精神的な病を抱えながら、なんとか働いてきましたが、最後に働いたところでは「戦争に行くよりましだ」と自分に言い聞かせて働いたといいます。ついには、その仕事も失い、次の職を探すも、生活出来るだけの収入を得る事はできませんでした。
それでも、「生活保護を受けるのは難しい」と思い込み、市の機関などにも相談出来ず困っていたところ、たまたまブックオフで行政書士の書いた生活保護の書籍を読み、自分も生活保護を受けられるのではないかと希望を抱き、申請に至りました。今では、生活保護を受けながら、病気と通院に理解のある職場で働いています。息子さんも無事に大学を卒業することができました。息子に恥じない父親でありたいと、行政書士事務所には定期的に近況を綴った手紙が届きます。
→https://seiho-navi.net/info/koe308/
(事例2)
北九州市の30代の女性は、離婚をして子どもを抱え、アルバイト生活でなんとかやっていたものの、借金の返済で手元にほぼお金が残らない状態でした。生活保護を受けようと役所に行ったものの、申請書さえもらえなかったといいます。生活保護受給に至り、持病の通院治療も再開できました。借金を法テラスで無料で自己破産することができたために、働いたお金をすべて借金返済に充てるというワーキングプアから無事に脱出することもできました。今は、最低生活費以上の就労収入を目指しています。
→https://seiho-navi.net/info/koe13/
(事例3)
大阪府の20代男性は、若くして開業。自営業をして生計を立てていたものの、不運が重なり廃業するに至りました。無職となり、貯金を切り崩して生活していました。転職活動もうまくいかず、自分は社会経験がほとんどない、社会不適合者であると落ち込む日々でした。躁うつ病の治療もできないまま、貯金も底をつき、生活保護に頼らざるをえなくなりました。しかし、役所に事情を説明しても「まだ若いから働けるだろう」とか「健常者だ」と言われ門前払いをされたといいます。それでも諦めず生活保護受給に至り、職業訓練から社会復帰を目指しています。
→https://seiho-navi.net/info/koe10-2/
(事例4)
奈良県の60代男性は、何年も前から目に異常を感じながらも生活のため、バイクで新聞配達を続けていました。仕事中、歩行者や車などと接触しそうになることは日常的に起こり、トラブルが何度もあったといいます。奥さんはパートで働いていましたが、入退院を繰り返しており、歩くことも辛そうにしていました。二人とも、いつ仕事に行けなくなるかわからないような毎日を過ごしているとき、それに追い打ちをかけるように借金滞納による支払い催促状が裁判所から届いたのです。期日までに債権者に支払わなければ、強制執行となり、給与および財産の差し押さえが行われるという内容でした。奈落の底に突き落とされたようなショックを受けたそうですが、生活保護制度に頼り、借金も法テラスを介し、無料で弁護士さんに自己破産手続きをしてもらうことができました。その後、間もなくして60代ながら転職活動に成功し、自ら生活保護を辞退。高齢により、収入が減った今は再び生活保護を受給していますが、働ける限り働きたいと意欲的です。
→https://seiho-navi.net/info/koe45/
自立を目指しての努力を支える制度
生活保護は、憲法第25条で保障された最低限度の生活を支える制度ですが、受給者が自立して生活できるように就労を促すことも重要な目的の一つです。そのため、生活保護を受給しながら働くことは可能であり、むしろ推奨されています。周知の事実をあえて書くのは、「まだ働けるから生活保護は受けられない」と考える、いわゆるワーキングプア、働いているのに最低生活を送れていない真面目な日本人も多いからです。働きながらでも、生活保護は受給できるのです。
「生活保護受給者は働かない」という社会の偏見は根強く存在します。しかし、実際には多くの受給者が現に働き、自立を目指して努力しています。働く生活保護受給者の実態を広く社会に知らしめ、理解を深めることが、誰もが必要なときに生活保護制度に一時的に頼ることができ、健全な社会復帰がしやすい環境を整える上で重要です。
「なぜその人が生活保護を必要としているのか」という視点で見ると、「働いているのに生活保護なんてずるい」ではなく、働いても足りないほど生活が苦しい社会がおかしいのではないかと気付けるのではないでしょうか。
働きながら生活保護を利用することの意味
働く生活保護受給者は、もちろん「怠けて」などいません。むしろ、厳しい現実の中、自らの力で生活を立て直そうと奮闘している人々です。限られた体力、時間、育児や介護、病気、障害など様々な制約の中で、可能な範囲で社会参加しようと努力している方々です。
真面目に働く生活保護受給者の存在こそが、日本の福祉制度が本来めざす「自立に向けた段階的な支援」の理念を体現しています。
生活保護とは、ゼロか百かの制度ではありません。「全く働けない状態」から、「一部就労しながら支援も受ける」、そして、「支援を受けることから卒業する」。段階的に支えるのが、本来の設計です。
制度を誤解し、声を上げた人を叩く社会では、本当に困っている人が支援を求めることができず、人知れず孤独死するリスクを高めるだけです。
生活保護制度は、社会の最後のセーフティネットです。このセーフティネットは、働きながら利用することができます。そして、批判されるべきは個人ではありません。働いても生活が立ち行かない社会構造こそが、問われるべきなのです。
真面目に働く生活保護受給者がいるという現実を無視することは、将来自分自身や身近な人が助けを求めるときの障壁にもなりかねません。この制度を、誰もが偏見なく安心して必要なときに使えるものにするために。
誤解や偏見を正し、いま、社会を見つめなおすときではないでしょうか。
「いのちのとりで裁判」~本当に問うべきは誰の「不正」か
働いても暮らせない。それでも声を上げれば「甘え」と叩かれる。
この社会で、一体どれだけの人が、助けを求める勇気を持てるでしょうか。
それでも、声を上げた人たちがいます。
国による生活保護基準の引き下げに異議を唱えた「いのちのとりで裁判」の原告たちです。
「生活保護を受けているのに裁判なんて」「その元気があるなら働け」
2013年から行われた生活保護基準の引き下げ、その背後には、厚生労働省が行った物価偽装、統計不正がありました。
原告たちは、まさにその「国による不正」と対峙してきたのです。
にもかかわらず、社会の目は「不正を働いたのは誰か」という本質から逸れ、「弱者が声を上げること」そのものを批判する空気に染まっていきました。
私たちが本当に問うべきは、「働けず生活保護を受けている人」でも「働きながら生活保護を受けている人」でもありません。
問われるべきは、公的制度を支えるべき国家が、数字を操作してまで憲法で保障される国民の最低生活を脅かしたこと。
国民、いわば弱者同士の叩き合いが、この大きな不正の事実から社会の目を背けさせてきたのです。
「いのちのとりで裁判」は、私たち一人ひとりに問いかけています。
支援を求めた「個人」の「不正」を疑う社会でいいのか。
「不正」を働いた「権力」にこそ、私たち国民は目を向けるべきではないのか。
地裁・高裁で勝訴を重ね、いよいよ最高裁の判断が下されようとしています。
この裁判は、単なる生活保護制度の議論ではありません。
それは、国民が自らの「知る権利」を取り戻し、社会の正義を取り戻すための闘いです。
支え合う社会とは、声を上げた人を支え、その声が、次に苦しむかもしれない誰かの「希望」になることを信じられる社会のこと。
いま、この国の制度の土台と、私たち自身の未来が、静かに試されています。


焼しゃぶと海鮮太巻き

お昼のテッパン、タイ風焼きそば

豚肉の生姜焼きとイサキのお刺身




行政書士法人ひとみ綜合法務事務所の牛丼♪

夏の定番!そうめんと餃子!


