夫の涙

前回→PTA会計の闇と隠ぺいを自作ビラで公表(1)

5. 夫の涙

有言実行の鈴木さん。何年もひた隠しにされてきたPTA会計の不透明な使途は、自分が公表する!と宣言してから一週間。
本当に自前のビラを作って、娘たちの通う小学校の校門前で配ってしまった。

私にはその間、鈴木さんから連絡はなかった。乗り気ではない私の雰囲気を察して、遠慮してくれたのだろう。私はほっとしたし、自分から連絡を取ろうという気にもならなかった。

鈴木さんは、一人でビラ配りを決行したのではなく、協力者がいたようだ。自転車に大きな段ボールを積んで、鈴木さんが妙齢の女性と一緒に歩いていたと、接骨院の待ち時間に他学年のお母さんたちが話していた。

ああ、怖い。もし私が騒動の渦中にいる鈴木さんと一緒に街を歩いていたら、私もママ達の間で、ああやって噂されていたんだ。

そして、愛子も・・・。接骨院のピンクのカーテン越しに(女院長はピンクが大好き。ビビットピンクでカーテンもタオルも統一された、接骨院なのだ)身震いがする思いだった。

そして、白昼堂々、小学校の校門外で鈴木さんはビラ配りを決行した。30代後半くらいの女性と一緒に配っていたらしい。

どうやら、隣の小学校の保護者で、仕事のときに娘の美香ちゃんを預けている「ファミリーサポート」という半民間のベビーシッターさんだという。

「鈴木さんて人から、時給900円もらってアルバイトしただけよ!私は関係ないんだから!わかった、わかった、もう美香ちゃん、鈴木さんの娘さんも預からないから許してよ!」

と、そのシッターさんはママ友たちに弁明したとか。

小学校がちがっても、同じ幼稚園出身のママ友がリークしたらしく、ビラ配りをした夜に超怖いボスママ率いるママ友軍団が、そのシッター宅に乗り込んで行って徹底的に責めたらしい。こんな個人情報も、すぐにわかって噂になってしまうのだ。

PTA会計不正を公表するビラ配り。

これはもう、大変な反響だった。一部のPTA役員らによる、保護者ネットワークを駆使した鈴木さんの悪口・噂の流布により名誉を汚されていた鈴木さんだったが(そのために子どものいじめにも発展していた)一夜にして名誉は回復されたかのように見えた。

地元の権力者でもあるPTA役員らが、懸命に一個人、一保護者の悪口を学校中、町中に触れ回った理由。

それは、PTA会計不正という、一部の権力者にとって都合の悪いこと、小学校管理職や教員らまでもが見て見ぬふりをし、口を閉ざしてきたことに真正面から意見をしたからなんだと。

チラシを手に取って読むことのできた、『一部の人』は理解できた。なぜ、『一部の人』だったか?それは、ビラ配りを鈴木さんとベビーシッターが始めて間もなく、PTA役員らの邪魔が入ってビラ配りは阻止されたためだった。

「何でこんなもん勝手に配っとんねん!」
「ええ加減にせえ!」
など、男性PTA役員らによる罵声・怒号が校門前に飛び交い、一時騒然としたらしい。

結局、実際のビラを手にできたのは一部の人だけだったため、またしても噂という不確かなものが、暇を持て余す専業主婦という時代の死語がまだ元気に実在する大阪のセレブ地区に浮遊することになった。

実際にビラを読んだ保護者の中では、鈴木さんの支持者も多かったようだ。

勇気ある鈴木さんの行動を尊敬します、こんな会費の使われ方は間違っている、公表してくれてありがとう、という匿名の電話やメールがたくさん来て、鈴木さんは行動した甲斐があったと喜んでいたとか。

しかし、その後、思いもよらぬことが起きた。

なんと、小学校が反撃に出た。というよりも、PTA役員らが集団で校長室に押しかけ、小学校管理職をたきつけて、行動させたというのがもっぱらの噂だった。

「一保護者が配布した、あのようなチラシの内容は大変遺憾です。」

といった漠然とした批判のメールを、あろうことか全保護者宛に小学校の校長の名前で夜間に送信したのである。

しかも、PTA会計不正の公表というチラシの目的や内容はメールに一切記載されていないものだから、実際のビラを見ていない人は、訳のわからない宗教や営業のビラを配った、キチガイ保護者がいる、などと誤解してしまった人も多くいたようだ。

さすがに学校を敵に回したくはないのが、保護者の一般的思考回路である。一夜にして、鈴木さんの名誉回復はまたしても断たれたのである。

それどころか、これまで以上に、鈴木さんの悪評には尾ひれはひれがついて、児童の間では、
『悪いことをして校長先生に怒られたお母さんの子ども』
として、美香ちゃんのいじめがますます激しくなっていった。

時には男子児童数人による暴力行為もあって、皆が止めに入ったようだ。

しかも、鈴木さんの職場にはその後も、嫌がらせ電話が続いたらしく、結局鈴木さんは、天王寺警察署に相談するに至ったという。

・・・

さて、すっかり秋も深まり、木枯らしが吹く季節となった。

日が暮れると、風もめっきりと冷たく、肌寒さが一層増してくる。

夜7時には家族で食卓を囲みたいから、なるべく早く帰ってきてほしいとお願いしていたが、今夜は7時半を過ぎても夫はまだ帰らない。

私は時計を見上げて、ため息をついた。

娘の愛子や、マンション裏の接骨院の女院長から、鈴木さんと娘の美香ちゃんの苦難は嫌でも毎日耳に入ってきた。

私は、ビラ配りの話を鈴木さんが持ち出してから、鈴木さんとは完全に距離を取っていた。
私は、怖かったのだ。

慣れない大阪の地で、私と夫とかわいい小学3年生の娘と1歳半の息子の4人で、火の車の家計の中でも一生懸命やりくりしてささやかな幸せを育んでいた。

毎週末、バス代と電車代を節約して、ベビーカーを押しながら、四天王寺の高台から長い坂を下り、なんばまで家族四人で歩く。

そして、4人で予算5千円以内の外食をして、コンビニで帰りにはアイスクリームを3つ買って、私は息子と分けて食べながら帰る。

これが、一週間のご褒美だった。そんな平穏な生活が脅かされるのは、ご免だった。

建付けがもともと悪いのか、玄関のドアを開くときわずかな金属の音がした。夫が帰宅したようだ。

「絵里子、愛子の小学校で何やってるの?校門前で変なビラ配って先生たちに迷惑かけたってどういうこと?」

「えっ、何言ってるの?私はそんなのしてないよ。それは、ママ友の鈴木さんがやったことで・・・」

「どっちでもいいんだけどさ!僕はずっと教員になるのが夢だったんだ。その夢を壊さないでほしいだけなんだ!」

人の良い、いつも優しい夫が突然泣き始めた。一体どうしたの?何があったの?ねえ!!

続き→PTA離婚(1)

※この連載は実話を元にしたフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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