前回→夫の涙

6. PTA離婚(1)

重い足取りだったからか、いつもより遅く帰宅した夫は、時折感情的に声を震わせたり、涙を流しながらも、事のいきさつを話してくれた。

「絵里子が悪いことをしたなんて思ってないよ・・・きっと、正しいことをしているんだと思う。ただ、僕の仕事に影響があることだけは・・・教師になることが、子どもの頃からの夢だった。僕はこの仕事を辞めたくないんだ。」

「最近、学年主任の僕への当たりが強いなとは思ってた。咳一つしただけで、ずっと咳してるよな、病院行けよ!と怒鳴ってきたり。僕は喘息もちだから、吸引や薬も常備しているけれど、年中何らかの症状はある。心配してくれているのかと最初は思ったけど、そうじゃなかった。今朝、学年主任が僕を呼びに来て、教頭と校長と4人で話をすることになった。 

僕のことに関して、校長宛ての電話がこの1ヶ月、何度もあったらしい。

『小川先生のとこの奥さんが、大阪市天王寺区の公立小学校で、鈴木という保護者と一緒になって大変に非常識ではた迷惑な行動をしているから、止めてほしい』
とね。

校長と学年主任は、最初の電話があった時点で、僕を呼び出して口頭注意したかったらしい。だけど、教頭先生が止めてくれた。

修学旅行でこの前北海道にご一緒したときも、教頭先生は僕の事を心から信頼していると言ってくれた。僕が余計なことを考えて、仕事がしずらくなってしまうんじゃないかと心配して、教頭先生が話を止めておいてくれたんだ。

ただ、昨日は何度も校長宛てにクレーム電話が来て、その内容が、さっき帰ったときに絵里子に玄関で言った、校門前でのキチガイじみたビラ配りだったんだよ。

『頭がおかしい奥さんがいる小川先生の在籍する御校など、受験しない方がいいと多くの保護者の方々に言います!』

そう、男性の声で電話があったらしい。自分は影響力がある人間だとか、うちの系列校のトップとも知り合いだとか、そんなことも言ってたらしい。

僕はよく家でこぼしてたから、絵里子も知ってるよな。少子化の影響で年々、私立の受験人数が減ってきている。

管理職はみんな、毎年の受験者数にはピリピリしてる。上からの評価の対象にもなる、学校の受験人数に直結する内容を外部からの電話で言われた以上、もはや教頭の一存で話をとどめておけないということになったらしいんだ・・・。

事実か事実でないかはどうでもよく、こういうことがあっては困る、家庭で話し合ってどうにかしてくれ、今後同じ電話がかかってくるようなら然るべき対処を考えなければいけない、と・・・。」

夫は教頭先生のことを思いやってか、がっくりとうなだれてしまった。ただでさえ小柄な夫が、ますます小さく見えた。

温厚で優しい夫が、今までこれほど落ち込んだ様子を見たことはなかった。

1970年代、八百屋という、スーパーやコンビニの躍進により多くが衰退の一途をたどることになる職業の家庭に生まれた夫は、貧しいながらも勉学に励み、国立の教育大学を卒業した。

理系の中でも特別優秀だった夫は、研究者になった方がいいと教授に進められて院に進むも、父親の廃業に伴う多額の借金返済など生活のために断念した。

そして、長年のもう一つの夢であった教師として、私立高の数学教員として働くことになった。採用当初は院生で、団塊世代の子ども世代いわゆる第二次ベビーブーム世代の就職氷河期真っただ中、正社員募集はなかった。

それでも、真面目な勤務態度に加え高い能力と、何より誠実な人柄は教師として高い資質であったため、間もなく正社員になってほしいという話があり登用された。

今年で勤続ちょうど10年。

パソコンやカメラなど電子機器操作にも長けている夫は、修学旅行や教員の研修などでも、雑用の引っ張りだこ。能力を鼻にかけるようなところもなく、善良を絵に描いたような人で、管理職からの評価は高かった。

それだけに、今朝管理職から呼び出され叱責を受けたことは、これまで順風満帆だった夫のキャリアを傷つけた以上に、夫の心に深い傷跡を残したのだろう。

夫にはその夜、これまで夫に余計な精神的負担をかけたくないから黙っていた、ママ友の鈴木さんのことを全て話した。

2010年、異常な暑さだった昨年の夏、防災訓練の日に出会ったこと。

市街地に囲まれ、エアコンもなく、窓を閉め切った、蒸し風呂のような小学校の真夏の廊下で息子がぐったりしていると、唯一心配して素早く窓を開けてくれたお母さんが鈴木さんだったこと。

子どもたちの熱中症の危険を誰より心配して、その日のうちに教育委員会に直談判しに大阪市役所まで子連れで行ってくれたこと。

エアコン設置を市に求める裁判を起こし、今年は全教室に沢山の扇風機が設置されて、エアコン導入も決まったこと。

そして、PTA会計を調べてほしいと町内会のおじさんに私が頼まれたこと、鈴木さんは私の代わりに調べて不正を見つけてしまったこと。

その不正を公表して是正するよう学校とPTA役員に求めても、もみ消され、嫌がらせがひどくなったこと。

とんでもない悪者扱いで、悪評を流され、職場にも嫌がらせをされていること。

娘の美香ちゃんは、変なお母さんの子だと言われて、もう1年近く学校でいじめにあっていること。汚いと言われて配布物を投げられ、仲間外れは公然化し、私物がどんどんなくなり、成績表までなくなったこと。

話をしていたら、鈴木さん母子がかわいそうなのと、罪悪感も相まって、その夜は夫と一緒に泣き続けた。

続き→PTA離婚(2)

※この連載は実話を元にしたフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。