生活保護を受給してからの7年の歳月は、私にとっての試練であり、チャンスでもありました
奈良県 70代 O様男性
三木 ひとみ様
こけしは誰かに似ていましたでしょうか?初対面のとき、三木さんは顔立ちがこけしっぽいだけではなく、なんとなく、そういう雰囲気がある人だなぁと思っていましたが、どうも他にもそう思っていた人がいたようですね。
現代の日本は、目鼻立ちがハッキリとした西洋人形のような顔立ちの人がもてやはされる時代のようですが、私は昔から和人形のような古風な顔立ちの人に惹かれる傾向がありました。残念ながら、妻はそういう顔立ちではないのですが、ペタンコの猫顔です。
早いもので、私たち夫婦が、生活保護を受給するに至ってから、7年の歳月が流れ去りました。60歳を過ぎて働けなくなり、何の技能もなく、貯金もほとんどなかった私は、とにかく社会復帰に向けて準備を進めていました。その辺りのことは、以前、手紙でお伝えしていた通りです。
だけど、妻が建物の3階から転落し、大怪我をし、「一生寝たきりになるでしょう」と宣告されたとき、介護が必要となった妻と、どうやって暮らしていけばいいのかわからず、将来が見えなくなり、暗くて空虚な精神状態に陥っていました。そして、しばらくは、その気持ちを引きずったまま生活していました。
人は、生きていく途上のどこかで立ち止まり、独りになって自分と向き合わざるを得なくなる時期を経験することがあります。病気や事故によって入院生活を送らざるを得なくなったとき、大切な人を亡くしたとき、離婚や失業の痛みを経験したとき、罪を犯して投獄されたとき。
私の場合は、生活保護受給に至り、追い討ちをかけるように妻が大怪我をしたことが、自分と対峙する場への「強制連行」となったようです。
当時、入院中の妻の容態は安定しだしているものの、合併症がいつ起きるかわからない、気を抜けない状況でした。私は家の中で何もできず、独りになり、様々なことが脳裏に浮かんでは消えていくという日々を送っていましたが、そんな中、とにかく保護費で生活していくことを考えなくてはならず、出費を極力押さえる必要がありました。
私は生活全般を見直しはじめ、ひとつひとつの出費が、本当に必要なものなのか・・・もう少し具体的に言うと、その出費が私たちを幸せに(健康に)してくれる方向に行く助けになっているのか?それとも不幸な(不健康な)方向に向かわせているものなのかということを、時間をかけてていねいに検証していました。
そうしていく中で、無駄なお金の使い方をしていたということを次ぎ次ぎと見つけていきました。単に無駄であるだけではなく、自分も他人といっしょにそしてこの地球の生態系もまき込んでダメージを与えてしまうことに、お金を使っているということもわかってきました。同時に、無駄なお金の使い方をしているのは「私」ではなく「私たち」なのだということも見えてきました。
私たちは、幸せで充実した人生を送るために必要なことにお金を使っていると思っていますが、実際にはそうではなく、私たちの人生に何の責任も負うことのできない、そして負うつもりもない、見知らぬ誰かに本当は買う必要などないものを買わなくてはいけないように仕向けられている社会に住んでいるのだということが、はっきり見えたのです。
「そうだったのか・・・騙されていたのか・・・だから自分が本当は何を望んでいるのか、わからなくなってしまっていたのだな・・・だけど、騙された方に問題があるということでもあるのだな・・・」騙される云々というのは、ちょっと意味が違うのかもしれませんが、その時の私が素直に感じたことでした。
元々、モノに執着はせず、納得すれば、すぐに行動を起こす(納得しなければ真剣にしない)という性格だった私は、「騙されて買ってしまっていた」認識したものを見つけだし、減らしていくことに本気で取り組んでいくようになりましたが、それが私が心からやりたいと思っていたからだったようで私は元気になりはじめ、加速していきました。
そして、リハビリを終え、1年ぶりに病院から戻ってきた妻をゆっくり休ませたりせず、いっしょになって無駄な出費が何かを考え、減らしていく作業を続行しました。
ここで、自分の人生を変えなければ、もう変えるチャンスは私には巡ってこないかもしれないという危機感が強かったので、気を緩めたくなかったのです。
だけど、出費を減らしていくプロセスは急がず、ゆっくりと確実に進めていきました(現在でも、その見通しは続行中で、おそらく一生続くのでしょう)。出費は減っていきましたが、逆に極わずかですが、必要だと判断し、今までは買わなかったものを新たに買うことにしたものもありました。
私たち夫婦は、徐々に食費と光熱費以外には、ほとんどお金を使わないようになっていったのですが、もし急激に出費を減らすような荒治療をしていたとしたら、貧しくなったとか、ひもじいとかいったネガティブな感情も芽生えていたのではないだろうかと思っています。
私たち夫婦は、消費(お金)への依存を軽減していくことで、心はとても軽やかになっていき、お金を使わないことでこんなにも清々しい気持ちで生活していけることになったということに、正直驚いてもいます。お金をたくさん使えるから、満足できるというものではないということを身をもって知ることになりました。
出費の削減の効果は、目に見えて表れはじめ、毎月の保護費もかなり残るようになってきました。だけど、その残ったお金があるからといって以前のような無駄な出費に使おうとはせずに、私たち夫婦が「本当に」望んでいることに使いたいという気持ちが日に日に強くなってきました。
そして、余裕ができたことで、去年は1年間に3度、夫婦で1泊2日の旅行に出かけることができました。2月、6月、10月と、4ヶ月に1度、行ったことになります。そして先月は、2泊3日で金沢に旅行に行き、そこで三木さんとそっくりのこけしを見つけたので、送らせていただきました。
1年間に3度も泊りがけの旅行をしたことは、私は人生の中で初めてのことで、生活保護を受給している中でのことであったので、正直、信じられないような気がしています。妻は旅行が好きで、行きたがっていたのでそうしたのですが、私自身も今までは意識していなかった、心の奥に潜んでいた願望があったことに気付きました。
別に難しいことではなく、単純なことです。それは、誰かを喜ばせてあげたい、笑顔にさせてあげたいという、人間なら誰もがもっている素朴な願いでした。そのために何かしたいと思い、人に贈り物をしようと決めました。
贈り物といっても、お金がかかるものを贈るとは限りません。絵葉書に、その人が笑顔になってくれそうなことを書いて送るとか、図書館で処分されることになった絵本などを譲り受けて、本が好きな子に贈るとか、野原で草花や山菜を摘んで、もらってくれそうな人に持っていくということをします。
そういうことを続けていくうちに、喜んで笑顔になるのは贈られた人だけではなく、贈った私の心も喜び、笑顔になれるということを知りました。そして、贈るものが何かということは、あまり重要なことではなく、贈り物をする私が何を意図(目的)としてそれを贈るのかという「心」の方が、大事なのだということにも気付けました。
私がこの7年間で学んだ、大切なことが2つあります。1つは、何事も頑なになって執着してしまわないこと、もう1つは。似てはいますが、「それは〇〇でしかありえず、それが常識だ」との「それは、そういうものので、変えようがないのだ」とか思い込み、決めつけてしまわないことです。
何かに執着したり、決めつけたりしてしまうと、そのこと以外の無数にあるチャンスや幸福の種子を自分の人生から締め出してしまうことになるからです。私は玄米と納豆を主といた、1日2食の質素な食生活を送っています。それが自分には合っていると思っていますが、もし地球上から米と大豆が消えてしまっても、きっと平気なのだろうと思っています。何か別のもの・・・芋かあわ、ひえいか、小麦か、キャットフードなのか・・・何か自分に合っている食物を見つけだして食べればいいだけで、ものに執着心のない自分には、それができるとわかっているのです。
生活保護を受給してからの7年の歳月は、私にとっての試練であり、チャンスでもありました。自分が本当は何を望んでいるのかを知るための試練の日々であり、チャンスだったと思っています。
何事においても、「チャンス」「ヒント」「きっかけ」「突破口」「予兆」といったものは、最悪の出来事の中から現れてくるもののようです。
きっと神様は、私が納得しなければ真剣に生きようとしない人間だということがわかってらっしゃったので、納得せざるを得ない場所に連れていってくださったのでしょう。
妻の体は決して元通りにはならないことでしょう。それは辛い現実です。だけど私は、この試練でもあり、チャンスでもあった7年という歳月を通して、それまでのような上部だけの優しさからではなく、真に妻のことを思いやり、労わり、そして理解することに努めることのできる人間になることができたのだと思っています。
私がこの世を去るときがやってきたときには、生活保護受給という試練とチャンスに導いてくださった神と、善意と親愛の心から私たち夫婦に寄り添い続けてくださった三木さんに感謝を、ありがとうの言葉を贈り、旅立っていける私でありたいのです。
そういう澄み渡ったときを迎えられてこそ、まさにそのときにこそ、私の拙かった人生は、安らかさの中で完結することでしょう。
形もなく、見ることも叶わぬものこそ、最高の贈りものとなりますように。
そういうものを人に贈り、人からも贈られる私でありますように。













私に贈り物をしてくれた、二人の人のことをお話しします。
一人は私の住んでいる街にある小さな和菓子屋さんで働いている女性店員さんのことです。
時々その店に行くのですが、いつも変わらない笑顔で迎えてくれる女性店員さんがいます。
それは作ろうとしたものではなく、内面からその人の心の豊かさがにじみ出ているような笑顔で店に行くたびに、その笑顔に癒されていました。
いつも癒されている、お礼が言いたかったのでこの前、店にいったときに
「いつも飾らない笑顔をありがとう」と声をかけると、最初ちょっと驚いたようでしたが、すぐにいつもの笑顔になって「ありがとうございます」と言って応えてくれました。
その日1日中、私の心は平和で幸せな気分で過ごせました。女性店員さんから贈られ、私が受け取れたものとは何だったのでしょう。そして、もし私が贈ったものがあるとしたら、それは何だったのでしょう。
もう一人とは約30年前、私が大阪市内で働いている頃に出会いました。
その日は社用で外出しており、夕方になり帰宅するために地下鉄の四ツ橋駅で、切符を買おうとしていたとき後ろから、誰かに声をかけられました。
「コレ、ドウゾ」……後ろを振り向くと、白人の20歳ぐらいの若者が微笑みながら私に何かを差し出しています。それは地下鉄の回数券のようでした。おそらく自分はもう要らないので使ってくださいということなのだなと思い受けとり、そしてお礼を言おうとしたのですが、
それをさえぎるように、ニコッと微笑んで手を振って去っていきました。
その振る舞いが、とても自然で優雅だったので私は爽やかな気持ちになり、その余韻のようなものがしばらくの間、消えずに心の中に残っていたことを覚えています。
あの白人の若者と出会ってから、30年経った今、その時はわからなかった回数券とは別に
受け取っていたものがあったことに最近、気づきました。
それは「あなたも同じことをしてください」という決して言葉にはできない、無言の贈り物でし
た。
30年前の私は、お金を稼いで好きなことに使うことや、自分の夢を追いかけることに夢中になっていて、人に親切にして生きていこうなどとは、考えることもありませんでした。
でも何故か、あの白人の若者のことが、ずっと忘れられずにいました。
30年……30年経って、やっと私はあの若者が私に贈ってくれていたものを受けとることが、できたようです。
何かを贈るということと、そしてそれを受け取るということは、双方向に同じ質のエネルギーを生み出します。真心からの贈り物をする人は、人からも真心からの贈り物を受け取ります。
そして、その贈り物は形のあるものとはかぎりません。
いや、形のないものだからこそ、時空を超えて受け取った人の心の中で、いつまでもこだまし続けるのでしょう。
私たちはみんなが毎日、人や自然界から贈り物を受け取っています。だけど他人や世の中を信じることが難しくなってきているので、心が萎縮して頑なになってしまい、愚痴や不平不満ばかり言うのに忙しくなりすぎて、その贈り物を受け取りそこなってしまっているのです。
私は30年前の物欲にまみれ、頑なな利己心にとりつかれていた自分の空虚だった生活を振り返っていて思いました。
幸せの青い鳥は、そんなに遠くまで探しに行く必要はなかったのだと。
その小さくて寡黙な鳥は私の「内側」で見つけてもらえる日が来るのを辛抱強く待っていてくれたのです。