「弁護士JP生活保護連載」 第62回記事 令和8年8月29日
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→「予算足りず、業務は膨大」生活保護の窓口…職員らが悩まされる、自治体の“重すぎる人件費・事務費”負担の実態

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→「予算足りず、業務は膨大」生活保護の窓口…職員らが悩まされる、自治体の“重すぎる人件費・事務費”負担の実態

今回のテーマは、生活保護制度を支える財源と、地方自治体の負担についてです。
いわゆる水際作戦の背景を深く掘り下げていくと、現場の担当者の個人的な資質の問題ではなく、地方自治体に重い財政負担を強いる構造的な課題が見えてきます。
本記事では、行政書士が生活保護に関する公的な講演会でお会いした福祉現場の重鎮の方々や民生委員の皆様の沈黙に込められた苦悩に触れたことから、ナショナル・ミニマム保障の原点に立ち返り、生活保護費の国庫全額負担化の必要性について考察しました。
当事務所のホームページでは恒例として、編集の手が入る前の執筆元原稿を本ページ下部に公開しております。プロの編集者によってより客観的かつ洗練された構成となったヤフーニュースの掲載記事とあわせて、行政書士が書いた生の原稿も、ぜひご一読いただけますと幸いです。

生活保護費を全額国庫負担へ
これまで、大学の特別講義や民間のセミナーなど、さまざまな場所で生活保護に関する講演をする機会がありました。どの会場でも、ある種の共通した熱量に包まれていたものです。日本国憲法第25条が保障する生存権の尊さや、現代の貧困が個人の怠惰ではなく構造的な問題であること、そして実際の現場でどれほど困難な状況にある方々が権利を奪われそうになっているか。そうした事例を話すたび、深く頷く方々が目につき、時には怒りや共感に満ちた熱い反応が返ってきました。ユーモアを交えて行政の不可解な対応や制度の矛盾を指摘すれば、大きな反響が返ってきました。
しかし、先週、某自治体の大半の民生委員が集う大規模な会合に招かれ、講演台に立った時の空気は、これまで体験してきたものとは大きく異なっていたのです。 会場を埋め尽くしていたのは、地域福祉の最前線で日々、地元住民の相談に乗り、行政とのつなぎ役を果たしておられる民生委員の皆様、そして自治体の福祉や生活保護課に関わる行政関係者の方々。
いつものように、生活保護制度が持つ「権利としての正当性」や、現場で起きている課題、そして支援のあり方について語り進めていった時、ふと奇妙な感覚に囚われました。
「おかしいな。いつもならここで会場が沸くはずなの・・・。」
聴衆の皆様が上の空だったわけではなく、眼差しは真剣そのもの。メモを取るペンの音からは、共感や喝采とは異なるものが漂っていました。言葉を重ねるごとに、国民の権利擁護と、公務に携わる方々による行政執行・地域福祉の実情との間に、目に見えない見解の相違、温度差が存在していることを、肌で感じ取らずにはいられなかったのです。
静寂の理由の正体に気づかされたのは、講演が終わった後のことでした。

生活保護課の元重鎮が語った自治体の重い財政負担
講演参加者の一人は、某自治体の生活保護課で長年にわたり重責を担い、現場を知り尽くした、重鎮と呼ぶにふさわしい方でした。
その方は、講演内容を頭ごなしに否定することはしませんでした。むしろ、行政書士の立場や発信している理念に一定の敬意を払った上で、こう切り出されたのです。
「貴女の言っていることは、よくわかります。理想としてはその通りです。ただ、現状の制度では、国の負担が半分、自治体の負担が半分。自治体にとっては、これが本当に重い負担なんです。これをもし、国に全部持ってもらえるなら、自治体だって遥かに支援がしやすいんですよ」
この言葉を耳にした瞬間、講演中の静寂の謎が、一つに繋がりました。長年、生活保護の最前線で行政責任を負ってきた者でなければ吐露できない、苦悩と実感が込められていました。民間の支援者や法律家が「生活保護は国民の権利であり、行政は無条件に速やかにこれを保護すべきだ」と正論を述べる時、行政の現場で実際に窓口に立ち、予算と向き合う方々は、その正論を否定できないからこそ、ただ押し黙るしかなかったのです。沈黙の背後で抱えていたのは、「助けたいが、これ以上自治体の財政と人員では支えきれない」という、まさに「血の通った」悲鳴に近い現実だったのかもしれません。

生活保護財源の法規定と実質的負担
日本の現行法制上、生活保護の費用の負担割合は、生活保護法において明確に規定されています。同法第70条および第71条により、生活保護の実施に要する保護費などは、まず市町村や都道府県が支弁(立て替え払い)することとされています。その上で、第75条第1項第1号において、国は「市町村及び都道府県が支弁した保護費、保護施設事務費及び委託事務費の4分の3」を負担すると定められているのです。つまり、法定負担割合の原則だけで見れば、「国が75パーセント(4分の3)、地方自治体が25パーセント(4分の1)」を負担する仕組みになっています。
それにもかかわらず、なぜ長年現場を担ってきた重鎮の方は、「負担が半分ずつ」という表現で自治体の負担感を強調されたのでしょうか。
実情を知るため、2026年7月6日、筆者は大阪市福祉局に対して、国と自治体の生活保護行政の負担割合について電話でお尋ねしました。最初に対応された女性職員では、専門的な財政区分がわからず、その上司である男性職員タニモトさんへと電話が引き継がれました。以下の詳細な回答を頂くことができました。
生活保護受給者が受け取る「扶助費」そのものについては、法律上の規定通り、1対3の負担割合となっているとのこと。
しかし、ある自治体で、「実質的な自治体負担が半分に達している」と嘆かれていた実情を行政書士がお伝えすると、タニモトさんはすぐにその意味を理解されたようでした。そして、生活保護受給者へ支給する扶助費を国が4分の3負担しても、扶助費以外の生活保護業務の遂行にあたる自治体の持ち出し負担が実質半分ともいえる実情を話してくれました。
例えば、大阪では生活保護適正化のために雇用している職員の人件費が発生しています。国が主催する研修への職員の参加費用、事務用品の経費など、多岐に渡るコストがかかっています。これらは、4分の3負担の枠外です。生活保護と密接に関連する、生活困窮者自立支援事業においては、国の補助割合は3分の1や2分の1にとどまる事業が多くを占めるといいます。実地監査をする職員の経費についても、国の補助は2分の1で残るは自治体負担であるなど、福祉行政全体でみればやはり自治体の財政負担は重いのです。
タニモトさんによれば、これらの国庫補助の要綱や割合については、厚生労働省社会援護局などが公表している予算概要の資料に載っており、新規事業・拡充事業についてパワーポイントをPDF化した解説資料などが国民誰もが見られるように公開されているとのことでした。
生活保護法第70条(市町村の支弁)には、項目の内訳が列挙されています。同条では、保護費や施設事務費(第1号〜第7号)のほかに、第八号として「この法律の施行に伴い必要なその人件費」、第九号として「この法律の施行に伴い必要なその事務費(行政事務費)」を市町村が支弁すると規定しています。先述した法第75条の「国が4分の3を負担する」という規定の対象には、この「第八号(人件費)」と「第九号(行政事務費)」が含まれていないのです。
さらに、社会の高齢化と単身世帯の急増、そして長期化する経済低迷に伴い、生活保護費の給付総額そのものが巨額化しています。とりわけ、生活保護費の半分以上を占める「医療扶助」の増大は著しく、法定割合としては保護費の4分の1の負担であっても、その絶対額の膨張に人件費や事務費の全額負担が加われば、自治体の予算規模において無視できない重荷となります。

財政圧迫が産む窓口負担と自治体職員の苦悩、判例による違法性
関西の自治体で長く勤務され、管理職にまで上り詰めたある女性は、数年前に公務員を自主退職しました。現在は、公的制度を使いこなせていない高齢者やその家族を支援する事業を立ち上げて全国を飛び回っています。なぜ、安定した公務員の立場を捨ててまで、公的制度を活用する民間事業を立ち上げたのか、役所側でも支援ができたはずではないかと思う人が多いようですが、ワンストップサービスを一職員がしようとすると叱責される現実があるといいます。
公務員を辞めるきっかけの一つが、あるとき役所の窓口に、生活保護を受けたかったが受けられないと言われたと水際作戦の相談に来た、老女との出会いだったそうです。「持ち家があるから、生活保護は受けられない」と、断られたのだといいます。たしかに、配偶者にもそこそこの年金収入がありました。しかし、配偶者は介護施設に入所しており、その介護施設費用を支払えば、年金は一切手元に残らない状況でした。残された妻は、自身の国民年金だけで生活を成り立たせることは不可能な状態に陥っていました。
そこで当時公務員だった彼女は、確定申告や生活保護制度以外の公的福祉制度を組み合わせて活用すれば、生活保護を受ける以上の恩恵があり、生活を再建できることを把握しました。しかし、役所の一職員として担当業務を超えた越権行為を行うことができません。そこで、仕事を休み、個人として老女の確定申告等に付添い、無償でサポートを行ったのです。すると後日、役所に感謝の手紙が届いてしまい、事態が上司に発覚し、彼女は役所内で不遇の対応を受けるはめになってしまったのです。
本来、役所こそがワンストップで、無償で、生活に困窮している人を総合的に支援すべきであるのに、市民を救おうとした女性公務員の行動が組織の中では許されなかったのです。この経験と葛藤が、彼女を早期退職へと駆り立て、民間の支援事業立ち上げへと向かわせたといいます。
このように、地方自治体が抱える問題は、会計上のものにとどまりません。しかし、自治体の財政負担ゆえ窓口での水際作戦や、申請に対する消極的な対応という、福祉行政の最前線に影響を及ぼしているのもまた事実です。
自治体の首長や財政担当部署からすれば、予算の膨張を抑えるために「生活保護費の増大を抑制したい」という力が働きます。この財政的なプレッシャーは、福祉事務所の幹部から現場のケースワーカーや窓口担当者へと伝播していくのです。結果として、現場の職員たちは「目の前の生活困窮者を救うこと」という福祉本来の使命と、「自治体の予算を守り、生活保護の適用をできる限り厳格化・抑制すること」という行政組織内の要請との間で、板挟みに遭うことになるのです。
しかし、いくら自治体の財政が苦しいからといって、適法な申請を窓口で追い返すこと(いわゆる水際作戦)は、当然許されるものではありません。
多くの市民や法律家が批判する「窓口対応の冷たさ」や「申請の事実上の拒否」は、明確な法令違反・判例違反です。しかし、個々の職員の性格が冷酷だから起きるのではなく、地方自治体に大きな負担を強いる現行の財政構造が、現場の職員に対して「できるだけ保護を開始しない方が、組織にとって貢献である」という誤った動機付けを与えてしまっているからに他ならないのです。
そして、こうした行政の構造的な苦悩と住民との間に立たされ、最も深い葛藤を抱えているのが、民生委員かもしれません。彼らは、地域で孤立する困窮者に誰よりも早く気付き、行政へとつなぐ福祉のパイプ役。目の前の悲惨な現実を見て「なんとかして救いたい」と願う一方で、つないだ先の行政窓口が膨大な業務量と財政負担に苦しんでいる姿も間近で見ているわけです。私が講演で、権利としての生活保護の重要性を説き、行政の対応の不適切さ(違法性)を指摘したとき、会場を包んだ静寂は、「法的には救われなければならない。しかし、行政の現場もまた余力がないほど疲弊している」実態を知る民生委員の方々が抱える苦悩の表れだったのかもしれません。

生活保護費の国庫全額負担、ナショナル・ミニマム保障の原点
「これを国に全部持ってもらえるなら、自治体も支援がしやすい」
この言葉は、地方自治体の愚痴や責任転嫁ではなく、日本の生活保護制度が抱える矛盾を解消し、真の自立支援へと向かうための建設的な提言です。
法制的な観点や、過去の社会保障制度改革の議論においても、「生活保護費の国庫全額負担(100%国負担)」というテーマは、長年にわたり論点とされてきました。日本弁護士連合会(日弁連)なども、保護基準の引き下げに反対し、「権利性が明確な『生活保障法』の制定」を求める中で、国の責任の重大さを指摘しています。
なぜ生活保護費(人件費や事務費を含めたすべて)を国が全額負担すべきなのでしょうか。 第一に、生活保護法第1条が、「この法律は、日本国憲法第25条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障する」と宣言していることにあります。生活保護は、地方自治体ではなく「国家(国)」が国民に対して負うべき厳粛な義務(ナショナル・ミニマムの保障)なのです。
また、同法第2条は「すべて国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護を、無差別平等に受けることができる」と定めています。居住する自治体の財政力の強弱によって、国民の生存権の保障内容や窓口での対応に差が生じることは、この「無差別平等」の原則に照らして絶対に許されるべきではありません。
第二に、財政負担が自治体から切り離されれば、福祉事務所やケースワーカーの窓口における「水際作戦の動機」が消滅するからです。「この人を保護しても、うちの市の予算は一切削られない。国が予算を保障してくれる」という前提が成立すれば、自治体の窓口職員は、財政的なプレッシャーから解放されるでしょう。その結果、「いかにして追い返すか」ではなく、「いかにして速やかに保護を適用し、生活を立て直すための支援(ケースワーク)を行うか」という、福祉の専門職として本来あるべき姿へと、そのエネルギーと時間を全振りすることができるようになるはずです。
第三に、自治体にとって重荷となっていた地方負担分や事務費の予算が浮くことになれば、その財源を地域独自の社会福祉施策、例えば子育て支援や高齢者の見守りネットワークの強化、あるいは民生委員の活動をサポートする体制づくりなどに転用することができるようになります。対症療法としての金銭給付(生活保護)を国が責任を持って支え、予防的・地域的な福祉施策を地方自治体が自由に展開するという、理想的な役割分担が成立するのです。
官民協働の架け橋に変えるために
今回の民生委員および自治体関係者を対象とした講演は、筆者にとってこれまでの活動の中でも、深く考えさせられる、かけがえのない経験となりました。
ともすれば、「申請を拒む行政」対「権利を主張する市民・支援者」というわかりやすい二項対立の図式に陥りがちです。
しかし、役所の窓口の向こう側にいる公務員や、無償の善意で地域を支えている民生委員の方々もまた、国と地方のねじれた財政構造や、不完全な社会保障システムという大きな枠組みの中で、苦しみながらも奮闘している「人間」であることを、決して忘れてはならないのだと思い知らされました。
行政現場から寄せられた「生活保護制度を国の全額負担で運用してほしいという記事を書いてほしい」という声。
私たちは、正しい理念や判例の重みを理解しています。だからこそ、現場の公務員に押し付けられている重い負担の現実と財政の矛盾にも、光を当ててほしいと感じるのです。
個々の行政職員を叩くのではなく「生活保護の全額国庫負担化」といった制度改革の論陣を張っていくことこそが、すべての国民を救う道につながるのではないでしょうか。
自治体の福祉担当者や民生委員の方々が、財政の心配をすることなく「困ったらためらわずに生活保護を使ってください。私たちが全力でサポートします」と笑顔で言える社会を作ること。生活保護という命の最後の砦を守るためにも、持続可能な制度改革が、現場から求められています。







