妻が退院し、帰ってきてから、1ヶ月が過ぎました。入院中はどこか不安そうで、暗かった表情も、徐々に本来の明るさを取り戻してきているように感じます。

奈良県 60代O様男性

三木 ひとみ様

ご無沙汰しておりますが、お元気でしょうか。
日々、真に救いの手が必要な人たちに、救いの手を差しのべていらっしゃる三木さん。いつまでも元気でいていただきたいと思います。
そのために、どうかご自身を大切になさってください。

妻が退院し、帰ってきてから、1ヶ月が過ぎました。入院中はどこか不安そうで、暗かった表情も、徐々に本来の明るさを取り戻してきているように感じます。まだまだ目を離すことはできず見守っていなくてはいけませんが、私自身、気持ちに余裕が出てきましたので、手紙を書かせていただくことにしました。

この一年間は、私たちに何が起こったのか、何故こんなことになったのかと考え続けた一年間でもありました。妻は身体に修復不能なダメージを負って帰ってきました。その傷だらけになってしまった顔、上半身、手足を入浴時にサポートするときに見たとき、私は今までこの人生を真剣に生きてきていなかったことに思い至りました。

神様から、「そうじゃないだろう。これでもわからないのか。」と、叱責されているような気がしました。妻は自らを犠牲にしてでも、私に大切なことを学ばせようとしていたのだと思えたのです。

人を愛するとはどういうことなのか。人間とは、自分とは何なのか。生まれてきて、そして死んでいくとは、どういうことなのか。この人生に何の意味があるのか。この様なことを考えるのは、私だけではないでしょう。

これらの疑問と対峙することが、人が生まれてきている目的とつながっていくはずです。ルイ・アームストロングさんが「この素晴らしき世界」の中で、こう歌っています。

“空にかかった虹はとてもきれいに見えるね。
でも、行き交う人々の表情にもその美しさはあるね。
友達同士が「ごきげんよう」と言いながら握手をしている。
でも彼らは、本当はこう思っているのさ。「愛してます」って。
赤ちゃんが泣いている。彼らは大きくなって多くのことを学ぶだろう。ぼくが知り得ること以上に。
そして、ぼくは、ひとり思う。なんて素晴らしい世界なんだ、と。“

彼には、この世界がこんなにも美しく感じられ、見えていたのですね。そして、彼はこんなことも言っています。

“最近、若いやつがよく俺にこう言ってくるんだ。『この素晴らしき世界って、どういう意味なんですか?世界中で戦争が行われていますよね。それも素晴らしいっていうんですか?飢餓や環境汚染の問題もありますよね。全然素晴らしくなんてないですよ。』と。
落ち着いてこのじいさんの言うことに、耳を貸してくれ。
俺には、世界がそんなに悪いって思えない。人間が世界にしていることが悪いんだ。俺が言いたいのは、世界にもうすこしチャンスを与えれば、みんなその素晴らしさがわかるってことさ。愛だよ、愛。それが秘訣なんだよ。もし、みんながもっと、お互いを愛しあったら、沢山の問題なんて解決される。そして世界はとびきり面白くなる。だから、このおいぼれは言い続けるのさ“。

彼が歌っている姿を動画で見ていると、この様に思っているのは本心なんだなということが伝わってきます。

世界=人間社会ではないということです。確かに、人間社会は現在、末世的とも思えるほど荒廃しきっているようにも見えなくもありません。毎日ニュースを見ていても、心が暗くなるようなことばかり、報じられています。だけど、世界はその人間社会を包含していて、広大無辺で、無限のポテンシャリティーを備えている豊穣な領域です。

この世界は美しい。残念ながら、今の私には絶えずそう思うことはできませんが、私はそうであると信じています。その美しさを享受するためには、何も特別な努力や札束は必要ないのです。その美しさは、フッと見上げた青空に浮かぶ白い雲に、頬をなでるそよ風の優しさに、野に咲く草花の生き生きとした姿に、公園で遊ぶ幼子の瞳の中に、それぞれ見て取り、感じることができるでしょう。行為ではなく、在り方の問題です。

最後になってしまいましたが、いつも変わらぬ優しさと誠実さで私に接してくださっている三木さんに、心から感謝致します。

その優しさと誠実さが、上辺だけのものではないことを、私はよく存じ上げております。私が苦しい時期を乗り越えることができたのも、こうして一人前なことを言えるようになったのも、三木さんをはじめ、心ある人たちが、いつも変わらぬ深い思いやりの心を持って私を見守っていてくださったからです。

そして、その三木さんを影で支えていらっしゃるスタッフの皆さん、ご友人の皆さん、ご家族の皆さんに感謝致します。
分かちがたくつながった、すべての人の人生が、心豊かで光に満ちたものとなりますことを心より願っております。
古の大和の地で、私は心静かに皆さんが、幸福な日々を送られんことを祈っております。笑顔と安らかな日々でありますように。

(お客様のお名前)

同封しましたものは、20年前、友人からプレゼントされたもののコピーです。このガイアメッセージといわれるものは、20年という歳月を経て色褪せるどころか、現代社会に於いてはむしろその言わんとするところの重大さは増してきているように思われます。一読していただきたいと存じます。

お客様がお送りくださったのは、2002年9月のヨハネスバーグの地球サミットの開催時に、差出人不明の『ガイアメッセージ』がPortal Doradoのサイトに届き、世界のウェブを巡ったメッセージでした。特に私の心に残ったフレーズが、こちら。

『再生可能でクリーンなエネルギーへの切り替えは、もう一刻の猶予もありません。ヨハネスブルクのサミットは言葉ではなくコミットメントの場です。各国は遅すぎたということにならない前にその公約を引き受けねばなりません。特に、先進国は偽りの“快適さ”という考えを捨て去らねばならないでしょう。』

『幸せとは人より多くお金を使うことではありません。人生の貴重な瞬間を満喫するためには、札のいっぱい詰まった財布を持つ必要もなく、モノに取り囲まれている必要もありません。幸福とは、その人の生き方にかかっています。』

妻が退院し、帰ってきてから、1ヶ月が過ぎました。入院中はどこか不安そうで、暗かった表情も、徐々に本来の明るさを取り戻してきているように感じます。”へ1件のコメント

  1. 福岡県 H.S様 より:

    幸せって人それぞれ。
    共感するところがたくさんありますね。
    私も今の混乱した世界は人間が作り出したんじゃないかな、と思います。

    幸せってとてもシンプルなんじゃないかな、と。

    今朝起きたら目覚めが良く体調が良かったので「わぁ、幸せ!」って思いました。
    お天気で幸せ、美味しいもの食べれて幸せ、花が咲いてて幸せ、母が今日も穏やかに生きてくれてる、幸せ。
    感謝の気持ちを忘れてる人には一生、幸福感を感じる瞬間はないんだろうな、と思います。
    逆に感謝の気持ちを忘れずに謙虚に生きている人は幸せと豊かさに彩られた人生をおくるんだろうなぁ、と思います。
    そんな人たちが報われる世の中になってほしい。

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