私が育った家庭は本当に貧しく、幼い頃から良い事など少しもありませんでした
岐阜県 50代 K様女性
三木先生
先生、先日は大変お世話になりました。
この度は、先生方、スタッフの皆様のお陰で両親の生活保護を無事に受ける事ができました。
私が育った家庭は本当に貧しく、幼い頃から良い事など少しもありませんでした。両親の事が嫌いで、仲の良い家族ではありませんでした。
それでも、私が親になった時、両親の事を少しは理解しようと努力しました。
その努力も虚しく、両親・私・弟夫婦とモメにモメ、家族は離れて暮らす事になりました。本当に色々な事があり、修復不能となり、縁切りの状態となりました。
それから15年経過した一昨年の夏、弟から私の夫に連絡がありました。両親が重度の肺炎で入院したとの内容でした。15年ぶりに弟と会い、両親の今後について色々と話し合いました。弟との話の中で、弟は父に起業する為に貯めたお金を全て使われた事。そんな事があった中でも、同居する為に家を建て、大きな借金をした事。
両親の勝手で、自分の家庭まで不和となり、これ以上親とは関わりを持ちたくない。との事でした。
父の転院が決まり、病院へ父を迎えに行きました。車いすで連れて来られた父が、私を見て言いました。
「オレな、もうほかされたかと思った・・・。」と、涙を流したのです。
父の涙を初めて見ました。その時、父はもう以前の父ではなく、ただの無力な老人なのだと思いました。
両親の転院先の病院で、両親は要介護3で母は認知症も進んでおり、二人での生活は無理だと言われました。私は何をして良いのか全く分かりませんでした。それでも、色々な所に相談をし、両親が入院している3ヶ月の間に、二人一緒に入れる施設を探しました。本当に大変な日々でした。
でも、本当の大変な事は、その後分かりました。両親の年金で施設にお世話になれるはずがありませんでした。生命保険にも加入していなかったので、入院費3ヶ月×2人分を私が立て替えて支払っており、施設入所の諸費用も全て支払っておりました。ああ・・・再び始まるお金の心配生活・・・私の人生で、お金の心配をしない時があったのか?
私は5年前に体調を崩し、泣く泣く仕事を辞めました。その後、やっと住宅ローンが終わり・・・しかし、夫はすでに年金受給者。これから老後の生活費を貯めないといけない時に、両親への多額の出費・・・。
途方に暮れていた時、インターネットで生活保護申請を手助けして下さる先生への口コミを発見し、ご相談者様の投稿を読ませて頂きました。
涙が出てきました。もしかしたら、私も助けて頂けるかも・・・残り少ない気力を振りしぼり、先生にメールさせて頂きました。お顔も合わせていない私に先生は、本当にご親切、丁寧に分かりやすく教えて下さいました。
申請も10日ほどで受理されました。今までの、私のあの不安は何だったのか?心の中にずっしりと重くのしかかり、私から、気力も何もかも奪っていた物全てが消え去ったなんて!
両親への複雑な思いは、今もあります。でも、先生のお陰で、今は両親に精一杯尽くしてあげようと思える様になりました。
先日、父が
「オレな、ホンマ今幸せやねん。何の不満もないねん。」と申しておりました。
安心、安全を与えてあげる事ができ、本当に幸せで一杯です。これも、全て先生のお陰です。感謝しかございません。どの様に書けば、この感謝の気持ちをお伝え出来るかと悩み、長文となってしまいました。
先生、先生方、本当にありがとうございました。今後も先生方のご活躍を、陰ながら応援させていただきます。どうかお身体ご自愛下さいませ。
(お客様のお名前)