今日は、お正月で、気持ちよいので、書かせてもらいました。これからの仕事のはんえいと、弱いものの手助けをして下さること、ありがとうございます
令和8年仕事はじめに、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所にぎっしり重みのある封筒が届きました。千葉県にお住いの女性K様(80代)からでした。


手書きで16枚も(!)綴って下さいましたので、ご紹介します。これぞ、「生活保護のリアル」な姿だと思います。特別な人が受けるわけでも何でもない、戦後の日本の、世界に類を見ない経済発展を支えて下さった方々の多くは、国民年金。生活保護費の半額ほどです。また、企業の社保逃れも現在のように予防線が無かった頃で、真面目な労働者が泣き寝入りせざるを得なかった時代背景があります。



お元気ですか?私は元気です。
フルーツジュースありがとうございました。私ひとりで飲むのも、もったいないので、おいや妹に分けました。ああ、息子にも分けました。その節は、お世話になりました。
生保はおかげで、割とスムーズに取れました。が、自分で千葉の家を探さなくてはならなくなり、引越し業者も三者(三件)から見積もりを取って、いちばん安いところに決めるということで、インターネットの口コミを見ながら、三者(三業者)に見積もりを取り、いちばん安い業者を見つけることが出来ました。でも、お金がなかなか出ず、何やら上司と担当の人と何度か話し、業者には、いちばん安く見積もってくれたところに頼むので、ことわることになるかも知れませんと話すと、(判読できず・・・)無理という業者がでてきて、またやり直し。業者をもう一件さがさなければなりませんでした。八月に引越しは、何だか混んでいてたのか、なかなか見つからずでしたが、何とかもう一つの業者を見つけることが出来ました。
・・・が、もう一度、見積もりを三者に頼むことになり、一者がどうしても見積もりを出してくれないので、何度も電話した次第です。何とか三者がそろい、一番安い業者にお願いしました。
八月ですから、とても暑く、ひとりで荷物をこんぽうして、ひとりで家を売ってと、忙しかったです。
家は私のめいぎだったので、司法書士さんに頼んで、息子のめいぎにしましたから、私の財産は、家に関してはなくなりました。
どうやら、家(マンション)は、(解読困難なため中略)
移管については、とても時間がかかり、書類も書いたような気がします。通帳もコピーされ、本当にお金がないかのしんさをうけ、これもクリアしました。・・・が、移管はなかなか決まらず、日一日が、とても長く感じました。千葉の担当者と話して、自立支援の手続きをしてくれないかと言われ、入る気がなかった私は、その手続きにおわれました。それもクリア。いよいよ、移管が出来ることになり、そのまま引き継ぎ出来ることになり、やっと、引越しの日が決まりました。
夏の、とてもあつい日でした。業者さんが、安く見積もってくれたのに、とてもていねいで、かぎをあずかるから、あとのことは心配しないで下さい、ちゃんとブレーカーも落としますと、かぎも現地で渡しますからと、時間的ロスを考えるとその方がよいということで、鍵を渡して、(解読できず・・・)アパートへ向かいました。ずいぶん遅くにつき、タクシーでアパートに着くと、もうその業者さんが来ていて(男女二人)じゃあ、荷物を運びますと言ってくれましたが、荷物は二十二箱でした。それは、(固有名詞のため伏せます)の市役所が出してくれました。
アパートに着き、えんぽう(テレビなど)の(判読できず)がとてもうまく、ベッド(おりたたみ)などは、ひとりで(男の人が)運んだのは、びっくりするものがありました。
終了して、お茶でも飲んで下さいと二千円渡したら、きょうしゅくしてしまいました。
それ以上に、私の方が、きょうしゅくしてしまいました。
あまり聞かなく・・・でもないけど、中小の引越しやさんで、大手の引越し屋さんのおうへいな、たいどとは違い、とても親切でした。
ああ、ここは台所が広いですね、といっていました。確かに、導線はよく、住みやすい感じがしました。妹が、何日かあとに見にきましたが、新しく壁紙も変えてくれて、お風呂場もトイレもきれいだね、よかったよかったと、言ってくれました。
・・・が、水道がパッキンがゆるんで(古くなっている)ポトポトと水が落ちて、洗面器が一日で三回も四回も流さなければいけなくて、お客様相談室に電話して、一か月もなおしてくれなくて、何度も電話しました。しつこいお婆さんだと思ったでしょう。無事、直したら、今度は換気扇がカタカタ言うので、それも電話して、直してもらいました。
その電気屋さんが、日本からしょうらいは、外国でくらしたいとのことで、英語を勉強しているというので、私も三か国を旅した(判読できず)外務省に五年いましたよと話したら、いいですね、ヨーロッパにはまだ行っていませんと話してくれたので、私はベルギーに二年半いました、フランス語ではなく、オランダ系のなまりもあるフランス語だったと話し、外に出る若者がいてうれしいと伝えました。
英語のほかに、少しフランス語も出来るようで、(判読できず)メルシーと伝えました。外国人ではないけれど、外国に来たような気がして、疲れが少し取れました。しかし、色々な疲れより、7/9より二週間前になんも食べられず、ねむれず、水(息子が持ってきてくれました)そして熱中症と診断され、点滴を受けたところ一本目はよかったのですが、オムツがなくなり、変えてほしくて、夜な夜な、看護師さんに言いにいったら、「だから動かないでと言ったでしょう。」とおこられました。
「認知症だから、仕方ないと思うけど、やめてください」
と言われて、ああ、これが認知症の症状かと思いましたが、まだそうなってはいないのにと思いました。
まあ、てんてきをはずしてしまったのがいけなかったのでしょうね。救急車で運ばれました。まずは、点滴をはずした段階で、治療する意志がないと判断され、次の日に退院となりました。ナースたちは、あまりのドクターの結論におどろいていたようでした。息子にむかえに来てもらい、車でアパートへ。
でも、幻覚幻聴はつづき、外で電話している男の人が英語と韓国語で話しているのです。いつ中に入ってくるかわからないと息子に言ったら、そんなことはないと言いましたが、信じられず、夜になると、左右の家から歌が、八時になると聞こえるとか、レーザー光線が見えて、電気が切れてしまうとか、言ってましたね。
又、ドアをガタガタと開けようとする人がいるとか、もう何かにとりつかれてしまって、精神科に行こうと息子にむりやりつれていかれました。
息子にも、大変な思いをさせてしまいました。何せ、救急車で、三回も運ばれて、仕事中なのに、迎えに来てくれと言われたんですから。
病院では、7/10より5か月入院し、最初の二カ月は、ねたきりになってしまって、なんにも食べられず、(判読できず)さんに、少しでも食べないと、死んでしまうよと言われ、お風呂は、かんごしさんの見守り、よくころんでしまうので(めまいがする)歩くのは、ちゃんと手すりにつかまって下さいと言われました。かんきょうの変化と、役所の手続きと、ひっこしとで、疲れていたのでしょう。あと、熱中症で、行政書士さんにこんなことをいうのは申し訳ないのですが、この年齢で、引越しと役所の手続きには、疲れてしまっていたのでしょう。
五か月も入院して、このままでは、病院を退院できませんよとドクターに言われました。病院は長くいるものではないと、それから息子とおよめさんと孫がいたおかげで、持ち直していきました。
で、12/12に退院出来ました。息子には、お願いだから、十二月いっぱいは、私の好きにやらせてと言って、爆買いはするし(おい、めい、妹、およめかん、息子に)洋服やら何やら使いました。
ボランティアもしていたので、本当に疲れがたまっていたのだと思います。母の介護も十年、自宅でやり、ヘルパー資格もあったので、さほど苦労はなかったのですが、これもつかれて亡くなるのを見届けたので、あとはもう、ねたきり状態になってしまい、きんにくもなんもありませんでした。
退院してからは、映画もみました。国宝やら、ナイトフラワーやら、ズートピア。近くにえいが館がないので、次の駅まで(東宝シネマ)行き、とても楽しく過ごしています。精神のデイケアも通い、いろいろなメニューをし、先日のクリスマス会で、一人で歌も歌い、コーラス部に入ったので、私は、百恵の秋桜とカントリーロードを歌いました。
楽しかったです。マージャンもやって、一位一回、二位三回とりました。自分でもいまは「そう状態」であるのかな?と思うのです。そして、冷静になったら、もう三木様にお礼もしていないと思い、イオンで送りものをしなくてはと考え、何がいいかなと考えて、送ったのが、あのお菓子類です。
おかげさまで、生保になってからは、落ち着いて生活出来るのが、とてもうれしいので、ほかにかんげんしないといけないと思い、ボランティアとしてお金を少しだけど寄付などしています。
10月から、(解読できず)身のまわりの整理もし、きれいなものは、難民支援に送っています。
だから、家の中は、スカスカになりましたが、終活もかねているので、いろいろ、息子には説明しておかないとと思っています。検体には、平成十七年から申し込んでいるので、自然死で死にたいと思っています。
色々書きましたが、本当にありがとうございました。乱筆乱文、どうもすみません。思い向くままに、書いてしまったので、ちょっと飛んでいるかもしれませんが、お許しください。
お仕事が、お忙しそうで、何よりです。なかなか生保になるのもきびしくなってくると思いますが、先生のような方がいらっしゃるだけで、とても心強いと感じます。ご連絡遅れて申し訳ございません。体調も上下があって、下だと何もしたくなくなるのです。
今日は、お正月で、気持ちよいので、書かせてもらいました。これからの仕事のはんえいと、弱いものの手助けをして下さること、ありがとうございます。
長々と書きましたが、今年が先生にとって良い年となりますよう願っております。
ア・ハッピー・ニューイヤー
これで、私のつかえていたものが、かいしょうされました。
お体、ご自愛の程
ありがとうございました。
(お客様のお名前)
そして、ジュースありがとうございました。私のとなりの方々にも分けました。二本かな?あとは、めいとおいと妹と息子に。私が息子にというと、それはおかあさんがのんだほうがいいとかえしてくれました。3本のみました。


日々仕事のみに邁進していた行政書士は、この「国宝」の文字を見ても全くわからなかったのです。とてもヒットした映画のようですね。「これを見ていないなんて、人生損している」と驚かれてしまいました・・・。



















