支援を受けることと、自立することは、逆のベクトルではなく、むしろ同一方向にあるのです
三木 ひとみ先生
この度は、生活保護申請を支えて下さっただけでなく、今後の私にとって大きな心の支えとなる記事まで書いて下さり、本当にありがとうございました。
こちらの記事です
→「弁護士JP生活保護連載」 第64回記事 「女性に入ってほしくなかった」“左遷部署”で度重なる暴言浴び“適応障害”発症…40代・元公務員が「トラウマ」から立ち直るのに“生活保護”が必要だった理由
長年の傷つきから、人や組織への強い不信を抱え、自分一人では申請に出向くことが困難となった状況を理解して迅速に動いて下さり、感謝で一杯です。
日本で生活保護を受けるということは、単なる制度上の手続きでは到底済まないように思います。
本来なら、困った時に誰でも利用できる社会資源の一つなのに、制度は分かりにくく、申請には大きな心理的ハードルがあり、根強い偏見や無知から放たれる言葉が制度を正当に利用する人を、外からも内からも苦しめ続けます。
「働いて自分で生活できていることが、自立。働けない人は自立できていない。」
そんな価値観を、私は知らず知らずのうちに自分自身にも向けていたようです。
しかし今回、その考えを改めました。人間の価値を、その人がどれだけ働けるかで測ることは、非常に危険であると我が身で体感できたからです。
つい一昨年まで、私は劣悪な労働環境下で支配され、自分の尊厳を金に換えて生きているに等しかったのです。当時の私が本当の意味で自立していたとは言えません。こんなにも生きにくい日本社会において、働いていれば自立している。働けなくなれば自立していない。そんな単純な話ではないと、ふと気付いたのです。
現在の私は、生活保護制度の支えを得て、心身を立て直し、自分のこれからを考えようとしています。これ以上、自分を壊さないために、必要な社会資源を使って、立て直しを図るのは、自分自身の人生に責任を持つ、精神的に自立した行動です。
支援を受けることと、自立することは、逆のベクトルではなく、むしろ同一方向にあるのです。
自立のための社会資源をアクセスしづらくし、利用すること自体に恥や罪悪感を抱かせる。そんな社会は、まだ相当に未熟です。
必要な人が利用することを、恥や失敗としてではなく、妥当な選択として受け止められる社会へと向かっていくことを願います。
先生が書いて下さった記事には、様々なコメントが付きました。中には、精神障害やハラスメント、生活保護についての理解がないまま書かれたと思われるものも、多数ありました。
以前の私なら、傷ついて「やはり自分が悪かったのでは」と悶々としたかもしれません。けれど、今回は違いました。
全く動じていない自分がいた。
理解していない人に、私の人生の価値を決めてもらう筋合いがどこにあるでしょうか?
依頼者の手紙はホームページに掲載できるとお聞きしているので、これから保護を受けようとしている方も、この文章を読んでくださっているかもしれません。
様々な苦しみを抱えた心身が、少しでも癒されることを祈ります。
これまでの人生で負ってきた傷を、なかったことにはできません。
けれど、それによって自分の価値まで失う必要はないのです。
私がこれからの人生を、主体的に生きていく。そのための一歩を支えて下さった三木先生に心から感謝します。
日付とお名前





