生保を考えて、ネット上で、「わたし生活保護受けられますか」何とやさしい言葉でしょう。思わずメール出しました
三木先生、私ね、先生が子供を保育園に置いて、飛び込もうとした幽霊の様な先生を怖くて、本が読めないでいます。まるで、我が身に降りかかった辛さの様に感じ、思えて。
でも、先生がそこから、どう立ち直り、今は本まで出して。
そして、トラックの運転手さんも、先生の姿に、心から何かを感じ、どうしてやれば良いのか、まごついてたでしょう。運転手さんから出た言葉は、精いっぱいのなぐさめだったのかも。私は三十年も「うつ」ですから、そこから留学に至るというのも、どうして、どうなったの?ん?と思うと、怖くて、先が読めないでいます。
先生、色んな辛さを乗り越えて、現在の貴女は、今何人の人々を手を差し延べて、何人の人の命を救ったんですか・・・。そこを聞くには?う~ん?やはり聞けない。先生は、早口と言うけれど、知識があるあまり、次から次へと、言葉が溢れる。言葉の泉ですよ。では、又。誤字81才、御免なさいね。
拝啓
生保を考えて、ネット上で、「わたし生活保護受けられますか」何とやさしい言葉でしょう。思わずメール出しました。
29才の息子を亡くし、3週間後に夫が癌になり、相次いで亡くなりました。あの頃、覚えているのは、「お母さん、ホカ弁買ってこようか?」三男の声。ふと我にかえり、「あ、うん」。
夕べも、夜中の二時頃から、外に出て、子どもを探しに行こうと思って、玄関迄行くと、三男が「あのね、あのね、今行くと危ないからね。危ないから。」必死な息子の声に、自分は何をやってるんだ!それから、夜の徘徊はやめました。
桜も見ずに逝ってしまった二人に、桜をと思っていたのに。こんなに三男が、私の事に胸を痛めていたかと思うと、これ以上、親が子を苦しめてはいけないと心を押し殺した。
「回診が終わって午前10時、僕は安物の茶わんをながめている。亡くなった茶わんの中には何も入っていない。もう僕は壊れそうだ」
息子です。
「蘇春子を連れて故郷に葬らんと思えども、川筋伝いの道を辿る事叶わず」
夫が転院する時に、箸の袋に書いて有りました。
又書きます。
切手のない贈り物、ならぬ、名前のないお葉書が行政書士法人ひとみ綜合法務事務所に届きました。
先日、弊所に手作りのネックレスを沢山送ってくださった、福岡の80代女性のお客様をふと、思い出しました。
ご連絡したところ、やはり、そちらのお客様からのお手紙とお葉書でした。
→手先が器用な80代の女性のお客様から、素敵な手づくりのビーズのアクセサリーを沢山お送り頂きました
行政書士法人ひとみ綜合法務事務所ホームページの「お客様の声」にネックレスのお写真を掲載させて頂いたとき、とても喜んで下さいました。
先日、行政書士が未婚で出産した娘の結婚式に、こちらの強く優しい80代の福岡の女性のお客さまがお贈りくださったネックレスを身に着けて参加してきました。
手先が器用だった、亡き祖母を思い出し、一日あたたかい気持ちで過ごすことができました。いつもお心をお寄せ下さり、ありがとうございます。
81歳のおばあさんです。子供の詩は
回診が終わって午前10時 僕は安物の茶碗を眺めている 茶碗の中には何も入っていない もう僕は壊れそうだ。
「24歳で亡くなりました」
蘇春子「そしゅんし」亡くなった子供のこと。私もわからなくて古語辞典を開き2冊目の辞書に載っていました。
いつも言っていたんです。「そんなに飲んだくれて、何が直木賞だ川端康成さんやその他の作家は旅館に泊まりこんで、伊豆の踊子やら書いたのよ。直木賞はもらえないから墓石に刻んでやるから。いつも言ってました。ちょっとベランダから、顔を出して空を眺め、あっできた。あの人のこと。「昔の彼女」
「空の極みに君がいて見え隠れする憎き雲かな」あっという間に作る人でした。
のん兵衛で小さなことを気にする人でした。本当に墓石に刻んであげました。
石家さんが「この人学者さんですか」「いいえ只の、のん兵衛です」あの人も酒さえほどほどならば、何かの賞ぐらいもらえただろうにと.
蘇春子「そしゅんし」の蘇が抜けていましたね。無理もない話です。古語辞典にも記載されていないのも、あるくらいですから。それと子供のは
「回診が終わって午前10時 僕は安物の茶碗を眺めている。茶碗の中には何も入っていない。もう僕は壊れそうだ」の後の説明として、亡くなった子と書いたんです。ごちゃごちゃ書いたから、大変申し訳ありません。せっかくの2冊目なのに。本当にごめんなさい。