鈴木久美子(2)
前回→鈴木久美子
携帯電話にセットしたアラームが鳴る。もう3度目の設定コールだ。
これが最後のアラームだから、もう起きなければ間に合わなくなる・・・頭ではわかっているものの、体が鉛のようで起き上がれない。
「ママ・・・朝だよ。」
幼稚園の年長、5歳になった一人娘の美香が呼びに来た。ごめんね、と心で思いながらも出てくる言葉は違う。
「わかってるよ!うるさいな!ママは疲れてるんだよ!ちゃんと起きるからちょっと待っててよ。」
「はい・・・。」
娘はリビングへ戻り、再びテレビを見ているようだった。また、傷つけてしまった。
どうしてこんな風になってしまったんだろう。あんなに可愛がっていたのに。
明るくて、自分の思ったことは何でも言う子だったのに、どうして私の顔色をあんなに伺うようになってしまったんだろう。

「はあ。」
ため息を声に出してみた。ダメだ、こんなことじゃ。
今日も働かないと、今月のお金が足りなくなる。意を決してベッドから身を起こし、いつものように不機嫌そうにリビングへ行く。
「美香、カーテン開けてきて。」
娘の美香は以前は自分が起きたら家中のカーテンを開けてくれたが、あるとき私が休日に起こされて機嫌を損ねてから、母親の私に言われるまではじっとしているようになったのだ。
罪悪感が胸をよぎりながらも、時間がない。
私は、台所に立ち、前日ドラッグストアのセールで大量に買っておいたレトルト食品の蓋を少しずつ開けてレンジにかけた。
50秒で食べられるようになる、五目御飯だ。私は食べたことがないから、味はわからない。
朝は食欲もないが、娘には何か食べさせてやらないといけないという気持ちはあって、100円のレトルト飯を毎朝食べさせていた。
椀によそい、スプーンを添えて食卓に用意すると、美香は黙って食べ始めた。
美味しい、なんてもちろん言わない。でも、文句も言わない。
ただ、黙々と出されたものをきれいに食べて、ごちそうさま、と言って食器を持ってきた。
私はその間に、すぐ朝の洗濯を開始できるように洗濯機に水を溜め、前夜干した洗濯物を片付け、ベッドメーキングをした。
朝の儀式は完璧だ。こうやって洗濯や掃除をやる姿だけ切り取れば、いい主婦、いい母親かもしれない。でも、私は史上最悪の母であり、人間だ。
シングルマザー。未婚で娘を生んでから5年、女手一人で娘を育ててきた。
1千万ちょっとあった貯金は、出産費用、引越費用、家賃、生活費、そして娘にかけた膨大な教育費やブランド服の支払で、4年間で尽きてしまった。
家賃65,000円の固定出費は痛かったが、それ以上に私の娘のお金がかかった。
未婚の母のもとに生まれたからといって娘にみすぼらしい恰好をさせたくないと、自分の服はもうずっと買っていないが、娘のものはすべて百貨店で購入している。
メロピアノは凝った造りで、一目でそのブランド服だとわかる。ピンクが基調で、娘にとてもよく似合う。一着一万円以上するものばかりだ。
0歳の頃からスイミングに通わせ、2歳からバレエとピアノ。この辺りまではまだ、よかった。
年少から幼稚園に通う子が多い横浜では、娘が3歳になると、習い事のお教室でもお母さん方の話題はどの幼稚園に子どもを入れるかという話でもちきりだった。
高校で奨学金でアメリカに留学し、大学在学中に英検1級を取得した私は、英語の発音がコンプレックスだった。
幼少期にしかネイティブスピーカーと同じ発音を自然に身に付けることは不可能だと考えていたので、えいやっと、娘を年間200万円学費がかかるインターナショナル幼稚園に入れたのだ。
これが、すべての負のスパイラルの始まりだった。
学費の出費だけではなかった。
ハーバード大学を目指すという英才教育のそのプリスクールでは、母親も9時から子どもと一緒に教室に入り、一緒に昼食を食べ、授業(物理も地理も英語で園児たちはイギリス人講師から学ぶのだ)も教室の後ろに並べられた椅子で親は聴講し、放課後は授業の復習と膨大な英語の宿題を子どもと一緒にしなければならなかった。
当然、母親は裕福な専業主婦で、配偶者は医者、弁護士、会社経営者、政治家。
中には芸能人もいて、女優さんの母親と見られる品の良い年配女性がお子さんに付き添っていた。
やれ課外授業だ、補修だと、万単位で追加請求が来る。お母さん方の付き合いも負担だった。一回2千円の喫茶代、払えないわけではないけれど深いため息が出た。
貯金が尽きても、娘の教育をやめるわけにはいかなかったし、娘にみすぼらしい恰好をさせるわけにも、プライドが許さなかった。
昼間は英才教育に付き添わなければならなかったので、夜、娘を寝かせてから、近くのスナックで働き始めた。
40は巷では初老というらしい。この年では水商売といっても時給は安く、1,400円にしかならなかった。
3ヶ月ほど、だましだまし娘が寝ている間にアパートから徒歩10分の駅前近くのスナックに勤務したが、ある日娘は夜中に起きて、母親がいないことに気付いた。
朗らかな娘は、ママを探しに行こうと長靴を履いて、近くのコンビニへ行って母親がいないことを告げた。
夜中、帰宅すると娘がおらずパニックになってタクシーで周囲を探していると、コンビニの前で店員さんと話している娘が見えた。
よかった!という安堵と同時に、ママは一生懸命働いているのに、何で家で寝て待っていてくれなかったのという身勝手な思いが胸にこみ上げた。
夜中の託児所もあったが、若い頃に水商売や風俗嬢をしていたであろう茶髪や金髪の年配女性に娘を預ける気にならなかったし、夜22時~1時の3時間だけ利用するくらいなら家で寝てもらっていた方が娘は翌日の勉強に身が入ると信じた。
だが、娘は一度夜中に母親がいないらしいことに気付いてしまってからは、毎日のように起きては外に探しに行くようになってしまった。
夜中に帰ってくると娘がいない。コンビニに探しに行き、謝罪とお礼を言って娘を引き取る。そんなことが数回続いたある日、ポストに手紙が入っていた。
「お母さん、夜中に4歳の子を置いて数時間でも出かけるのは虐待ではないですか?今度同じことがあったら、警察に通報します。そのようなことにならないことを、願います。」
娘がお世話になったときは大量にコンビニで買い物をして、翌日には菓子折りを持ってお礼に言っていたのに!こんな虐待だなんて!ひどい!恥ずかしさで顔が熱くなり、その日のうちにスナックは辞めるとママに告げる電話をした。
30日前の辞職表示がなかったという違約制裁で働いた分の給与を受け取ることができなくなったが、やむを得なかった。
そして、金策のため子どもの英才教育を続けながら稼げる仕事をインターネットで調べまくった私は、「チャットレディ」という新たな合法水商売を始めることになったのだ。
ライトでしわやシミを飛ばす裏ワザも身に付け、24歳というプロフィールを作り、徐々に固定客をつけた私は、スナック時代よりもはるかに多い月額60万以上を安定して稼げるようになっていた。
娘が寝る22時から朝型まで、男性とのチャットが私の仕事だった。毎日、寝不足でストレスがたまっていった。
続き→PTAはナニサマ?
※この連載は実話を元にしたフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


