教育委員会
前回→2010年猛暑の夏
5.教育委員会
2010年9月1日の殺人的猛暑の避難訓練から一週間後、娘の愛子が学校に行っている間に、鈴木さんと私は、近くのファミレス『ロイヤルガスト』で会うことになった。
学校のすぐ近くのこのロイガは、ママたちのたまり場であるだけでなく、区役所、銀行、消防署、郵便局、民間企業などオフィス群と住宅街が共存しているこの土地では、サラリーマンや公務員も多い。戦争のようになるランチタイムは避けて、まだ授業終了まで余裕もある午後2時に待ち合わせた。
「ごめんなさいね、息子も一緒で・・・。今日はまだお昼寝していないので、このまま寝ていてくれると思うんですけど。うるさくしてしまったら、ごめんなさい。」
狭いファミレスの通路で、ベビーカーを揺らしながら、私は赤ん坊と鈴木さんの顔を交互に見ながら言った。
「ううん、全然大丈夫。こちらこそ、小川さんは赤ちゃんがいらっしゃって大変なのに、誘ってしまってごめんなさいね。」
大きく手を振りながら屈託ない笑顔で話す鈴木さんは、実に行動的な人だった。
サウナ蒸し風呂状態の学校にいる子ども達が心配になった鈴木さんは、9月1日に学校を出るやいなや、子供の手を引き教育委員会に出向いて、小学校の夏場猛暑時の教室環境が健康上問題ないものなのか早急に調査してほしいと要望を出したんだそうだ。

「すごい!そんなこと、思いつきもしなかったです。教育委員会って大阪市役所にあるんですよね。あまり行ったことないですが、淀屋橋でしたよね。ここからは遠いのに、あの暑さの中、お子さんも連れて・・・。わざわざ子どもたちのために、ありがとうございます。それで、どうだったんですか?」
私が好奇心を隠せず、尋ねると、
「教育委員会で出てきた女の人はね、元教員らしくて、あの尋常じゃない暑さをわかってるくせにね、のらりくらりと交わされちゃったの。
待たされて、待たされて、はい、閉庁時間なのでお帰り下さい、ってね。やっぱり、出世して教育委員会にいくような教師は、うまいんじゃないの、うるさい人を適当に躱すの。
あっ、そういえば小川さんって関東の方?全然大阪弁じゃないよね!」
と、あのこぼれるような笑顔で訊くのだ。
「そうなんです!今年、東京から主人の転勤で大阪に越してきたばかりで。そういう鈴木さんも大阪弁ではないですよね?」
私たちは顔を見合わせて笑った。
緊張の糸がすっかりほどけた。鈴木さんは神奈川県の政令指定都市である横浜出身だそうで、隣接する東京出身の私は、ますます親近感がわいてきた。
「校長先生から聞いた話によるとね、校長会ではもう十年も前から、教室のエアコン設置の必要性を教育委員会に訴えてるんだって。
でも、要望をいくら出しても、大阪市はなーんにもしてくれなかったらしいよ。そういうことは面倒くさいのかもね。
政治家も公務員も、一般人からしたら恵まれた報酬もらってるのにね。自分たちの収入の財源の紐は固いのかな。
教育委員会に行って話したところで、どうせ無駄なんだろうなって最初からわかっていたんだけどね。
だけど、あの教室の暑さは異常でしょ?あれじゃあ、いくら何でも子どもたちがかわいそう。
だから、行動せずにはいられなかったんだ!
何もしないで諦めるより、精一杯行動して、それでもダメなら・・・うううん、この子どもたちの教室の暑さの件は、諦めるとかそういう問題じゃないな。」
「はい、ほんとに!おかしいですよね。毎年熱中症で、大阪でも何人もお亡くなりになっているのに。それにあんな暑いところで勉強っていっても、まったく集中できないでしょうし。」
「ほんとにそうよね。」
鈴木さんとすっかり意気投合したこの日、家に帰ってからふと、思った。PTAで子どもたちのために何かできないだろうか。
子どものためのPTAなのだから、何かできるのではないか。子を思う親であれば、あの暑さの中で勉強させることを不安に感じている人は絶対に多いはずだ。
「でも、言えないな、やっぱり。うちには赤ちゃんがいるから、言い出したところで協力もできないし・・・。迷惑かけるだけだな。」
そう、一人結論に行きついたところで、ふいに娘に言われたのだ。
「ママ、最近テレビで、クーラーをつけて過ごしやすい環境で生活しましょうって言ってるよ。熱中症になると死ぬこともあるんだってさ。学校にはクーラーないけど、熱中症にならないの?」
「学校でも、熱中症になる子はいるよ。この前も懇談会で先生がお話されていたよ。今年の夏は、もう何人も熱中症になったって言ってたよ。校長室にはクーラーがあるから、ソファで少し休ませてくれたりするんだって。愛子ちゃんも、具合が悪くなったらすぐに先生に言って休ませてもらうんだよ。」
「わかった。でもさ、熱中症で死ぬ人もいるのに、何で小学生は危ない所で毎日勉強しないといけないの?」
「ママも、そう思うよ・・・。」
私は、言葉に詰まってしまった。
そして、愛子が一年生の頃に通っていた東京の小学校では、全教室にエアコンが設置されていたことを思い返した。
東京の夏より、大阪の夏の方が暑いと感じる。だから余計に、娘の疑問はもっともだと思った。
続き→鈴木久美子
※この連載は実話を元にしたフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


