エアコン設置を求める行政訴訟
前回→約束はなかったことに
8.エアコン設置を求める行政訴訟
「私ね、保護者の一人として、夏場あんなひどい教室環境で子どもたちが熱中症になるんじゃないかと、心から心配していたの。熱中症が時に命の危険もあることは、繰り返しテレビや、書籍で公に伝えられているでしょう?」
鈴木さんは話し始めた。
「そうですよね。私も、何もできない自分が歯がゆかったです。」
「やっぱり、そうだよね、大阪市内の暑さは尋常じゃないから、心配だよね。ところで、横浜は大阪より暑さはマシだったと思うんだけど、横浜の私の母校のPTAでは、保護者の寄付でエアコン設置がされたのね。」
「えーっすごい、そんなことをするPTAもあるんですね。公立ですか?」
「そう、横浜の公立高校。詳しい話を電話で教頭先生から聞いたんだけど、リース契約をして、その代金はPTA会費から支払うみたい。そして十年後には、エアコンはすべて学校に寄贈してもらえるらしいの。」
「わーっ、いいですね!行政任せ、国任せでもなく、PTA保護者が団結して子どもたちのために・・・って愛を感じちゃう。」

「もちろん、それはお金がかかることだから、アンケートをしたらしいの。でも、エアコン設置に反対する保護者は皆無だったらしいわ。もし反対する人がいたら、その人の負担は免除しようっていう話も出ていたみたいだけど。
それで去年、うちの小学校の保護者間でもアンケートができないかと、提案したというわけ。これが、私がPTAと関わった、そもそものきっかけなの。PTA会費も払ってるし、子どものためになることを提案し合える、それがPTAなんだと思ったしね。」
去年のあのひどい暑さで、かーっとなって勢いで行動していたのかと思いきや、鈴木さんはわりと計画的だったのかもしれないと、はっとした。
「そうそう、そうですよね!子どもたちの教育のため、健康のための活動ですもの。まさにPTAの理念そのものですよね。」
「そう。でもね、結局PTA役員の人たちは、アンケートの是非を総会で問うという約束を果たしてくれなかった。私は、もうすっかり失望しちゃった。ただ、実はこうなることは予測していたのかもしれない。実はね、こんなこと友達に言うことでもないと思って黙っていたんだけど・・・。
私、去年の夏に弁護士に依頼して、大阪市を相手に小中学校のエアコン設置の行政義務付け訴訟も提訴してるの。行政の不作為が、子どもたちに生命の危険を及ぼしているって主張して。」
「大阪市相手に?行政裁判?・・・えーっ・・・それは、本当にすごい・・・ちょっとびっくりしました。
・・・なかなかできることでは、ないし、勇気のいることですよね。」
「やっぱり、びっくりするよね。私も迷ったのだけど、何もしないで子どもたちが熱中症になるのを見過ごすわけにはいかなかったから。
行政に頼らず、PTAで何かをする、ってことも、役員の人たちと話してすぐにはできないことがわかったしね。
娘の美香は、自分から友達の中でクーラーをつけてほしいと思っている子に名前を書いてもらってきてたの。
まだ2年生の子どもたちが、本当に暑くて大変なんだと思ったら、何もせずにいられなくて。自由帳に、署名っていうのかなーたくさんの子が書いた時分の名前と『エアコンつけてください』『熱中症になっちゃう』っていう言葉が書いてあったの。まだ2年生だから、読めたものではなかったけどね。」
「あっそういえば!愛子もそんなこと言ってた気がする。子どもたちで、暑いですっていう署名したとか。私、去年の夏から秋にかけて、下の子の体重がなかなか増えなくて入院付き添いとかもあったから、話半分だったけど。言ってた、言ってた、そういえば!!」
「ごめんね、その署名ってうちの子が、美香が言い出したことなの。
でもね、行政相手の訴訟はなかなか受けてくれる弁護士さんも見つからなくて。弁護士さんには、鈴木さんのおっしゃっていることは正しいけれど、たぶん無理ですよ、勝ち目ないですよって。
どんなに危険な場所でも、ここにこういう工事をしてくれっていう行政への訴訟は、まず通らないんだって。まあ、勝訴しても弁護士さんの実入りも少ないでしょうしね。色々調べて、行政義務付け訴訟は、まず行政側が勝訴する場合がほとんどということはわかったの。『おカミに逆らうな』ってことらしいわ。あ、実際そう言ってた弁護士のおじいちゃんもいたな。
でも、裁判をすることは憲法で保障された、万人の権利であるわけだし。
裁判をすることで、弱い立場の子ども達の健康に害を及ぼしうる悪環境が放置されているっていう実態を、市長とか大阪市の権限を握る方達に知ってもらえるんだから、やるだけの価値はあると思ったんだ。」
「価値、あると思います。でも、裁判ってお金かかりますよね・・・時間も。そんなに鈴木さん一人に負担がかかること、大丈夫なんですか?」
「ね。私も始めてから、大変だなって思ったよ。それにね、心配かけるから小川さんには言わなかったんだけど、役員の方からの嫌がらせもけっこうあったし。美香はクラスで悪口も言われていたみたいで、ほら、PTA会長も副会長も、お子さん美香と同じクラスだったから。すごい偶然だけどね。で、
『お前の母さん、嫌な奴なんやってな』
ってからかわれたり。無視されたり、汚い、って言われたり・・・ほかにも、沢山、ひどいいじめを受けてたの。こんなことになるなら、何も言わず、行動もしなかったら良かったんだろうか、とも正直思った。」
子どもの話になると、つらい記憶が思い出されるのか鈴木さんの声が少し暗くなる。
「そんなことがあったんですか・・・この半年に。ごめんなさい、私も下の子が入院したりでバタバタしていて、何度かご連絡いただいていたのに、全然お話聞いてあげられなくて。」
そう、この半年ほどの間に、鈴木さんから電話があっても出ないことは1度や2度ではなかった。
時間があれば折り返しください、のメールにも反応しなかった。それは育児や家事で忙しかったためだけではなく、何か面倒なことに巻き込まれたり、話を聞くことでこちらまで心労が増えることを恐れていた。
「いいの、いいの。そんなこと、小川さんが気遣ってくれなくても、私の問題だしね。それに、良い弁護士の先生も結局見つかったの。負けてもともとだけど、やってみましょう、って言ってくれた。しかも、個人の先生じゃなくてちゃんとした大きな弁護士事務所で複数の先生でやってくれることになったの。」
鈴木さんは、その後はっきり言わなかったが、訴訟はやはり敗訴したようだった。
だが、裁判の効果は思った以上にあったようだった。
その後行われた大阪市長選挙では、橋下氏と平松氏、両候補者が大阪市の全小中学校の教室のエアコン設置を公約に掲げたのだ。
そして、翌夏には早速、大阪市内の小学校の各教室に自動の吊型扇風機が数台ずつ設置された。
市内の全小中学校へのエアコン設置も、急速に進んだのだ。
鈴木さんの行動は、静かに世の中を動かしていた。
やがて時が流れて2018年、文部科学省から全国の公立小中学校各学級への空調(エアコン)設置予算として817億円を組み込んだ補正予算が提出され、国会で可決されることとなるが、それはまだまだ先の話である。
「ママ、もう教室暑くないよ!先生も私の友達も、みんな喜んでたよ。PTAはアンケートしてくれなかったけど、美香ちゃんのお母さんのおかげだね!」
無邪気に喜ぶ愛子をみて、これからは夏も安心して学校に行かせられることをうれしく思った。
でも、その恩恵の裏には、鈴木さん親子の苦労があったと思うと、辛くもあるのだった。そして、その鈴木さん親子の苦労というのは、私の想像をはるかに超えるものだったことが、徐々に残酷な形で明らかになっていった。
→続く
※この連載は実話を元にしたフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


