榎田先生と生活保護(後編)
これまでのお話→前編
「ほな、明日の昼ぐらいからは、うちの行政書士事務所の代表電話にかかってくる電話は全部三木さんの携帯に転送設定してもらうから、心しておいてや。」
「もう~びっくりするくらい、じゃんじゃん電話、かかってくるで!」
「生活保護相談以外の電話だったら、私にLINEで教えてくれたら、こっちで対応するから。生活保護は全部三木さんがやってくれたらいいから。書類の最終チェックはしてあげるから、安心してな。難解案件も相談してくれたらいいよ。」
こちらのオフィスは榎田先生と3人で一緒に仕事をするようになってから借りた、一番最初の事務所よりも少し広くなったオフィスです。それでも狭いですね。この空間で、一体どれだけの時間を過ごしたことでしょう。懐かしいです。
生活保護業務で目の回るような日々を過ごす
長年政治家だった行政書士の先生の予言通り、まだ新人行政書士だった私、三木ひとみの携帯電話は土日も昼夜も関係なく、四六時中着信音が鳴るようになりました。
トイレに行っている間に、お風呂に入っている間に、役所と携帯電話で通話している最中にも、何件も不在着信がたまっていく状態でした。
それもそのはず・・・大々的に宣伝広告もしている「元政治家行政書士事務所」が、「相談無料」なのですから・・・私もそのうたい文句に惹かれて大先生に相談電話をかけた一人だったので、顧客心理はよくわかっていました。
現在、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所は無料相談は行っていません。
行政書士費用をお支払いいただいたお客様をお待たせすることなく即日対応するため、そして「無料、短時間の無責任な助言」により結果的に相談者にデメリットが生じるということのないよう、事前に相談料をお振込いただいてから迅速正確に各ケースごとに丁寧に対応するためです。
全国から毎日かかってくるお客様からの電話に対応するため、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所では電話は全部で5台複数回線を用意しています。現在はスタッフ7名いるので、平日日中は電話がつながりにくい時間帯もありますが、当日ご相談ご希望のお客様にも対応できる体制を整えています。
話を戻します。
それでも、未成年の子ども二人をかかえるシングルマザーだった私は、つかんだチャンスを逃すまいと必死に、次から次へと押し寄せる生活保護の仕事をこなす日々。
子どもに仕事に必要な物のお買い物を頼んでしまうほど、まさに『猫の手も借りたい』ほどの忙しさだった、新人行政書士時代です。
(注:あくまでも上記のような状態は行政書士新人時代のごく短期間で、今は事務員さんがやってくれています。)
今回のブログのテーマは、『(行政書士法人ひとみ綜合法務事務所代表の)榎田先生と生活保護』、ただ、もう少し榎田先生の登場まで『三木ひとみと生活保護』にお付き合いください。
このとき、榎田先生はまだ個人事務所で、主に会社設立や車庫証明、定款認証といった行政書士の王道業務を中心にされていました。(時折、榎田先生が生活保護のHP作成などに協力した元政治家先生からも、榎田先生の専門分野の業務依頼やご紹介を頂いて関係は細く長く続いていたようです。)
生活保護関連書類を作成しながら、お客様から絶え間なくかかってくる電話、メール対応をする日々。行政書士事務所は便利な立地とはいえ、借りていたオフィスビルの中で一番狭い部屋で、行政書士の机2台と小さな応接テーブルと本棚、プリンターなど、行政書士事務所登録に必要な最小限のものがようやく入る大きさでした。
それでも、賃料だけで15万円ほどしたと思いますし、私はそのうちの2万円だけを負担すれば良いという元政治家の先生との取り決めだったので有難かったものです。
忙しさのあまり体調を崩してしまう
寒気厳しい2月になって、(女性行政書士が加わったことで、お客様にとっても気軽に連絡しやすくなったのでしょう。またHP上に掲載していたお客様の感想のお手紙も相乗効果を生んだようです。)日に日に増えていく相談依頼に一人で対応するため、大阪地方裁判所近くの行政書士事務所周辺のビジネスホテルに、週4~5日泊まりこみで仕事をするような状態になっていました。
料理も作らず全て外食、洗濯もホテルのクリーニング利用、役所やお客様の元へ出向く際はタクシー利用(電話対応するため)と、もはや24時間ワークライフでした。
3月、窓もない行政書士事務所の狭いオフィスは乾燥し、連日咳込むあまり、とうとう仕事の生命線である『声』が出なくなってしまったのです。かすれる声でギリギリ対応していた、全国から毎日何十件とかかってくる生活保護相談を受けられなくなり、私は焦りました。
行政書士業務を正当な資格(行政書士登録、補助者登録など)のない人に任せることはできません。それでも、電話の取次ぎだけなら資格のないアルバイトができるため、急きょ若いアルバイトスタッフ2名を雇用しました。(その一人が、今も行政書士法人ひとみ綜合法務事務所を支えてくれている、原優美さんです。)
ただし、官公署に提出する書類(生活保護申請書類も含みます)を行政書士以外のアルバイトスタッフなどが、お客様の依頼を受けて報酬を得て業務をすることは法律で禁止されています。また、慎重に取り扱わなければいけないお客様の大事な個人情報は、安易にアルバイトに任せることはできません。
アルバイトさんにお願したのは、あくまでもお客様から相談の内容をヒアリングしてもらい、それを文書にまとめて私に伝えてもらうということ。そして郵便物を発送したり、使者として役所に提出に行ってもらったりという、事務作業でした。
多忙の無理がたたり、体調を崩した私はアルバイトさんが電話対応してくれたお客様に折り返しメールでご連絡するなどして、何とか対応してきましたが、限界を感じつつありました。
そしてある日、行政書士事務所を出ようとしたとき、大きなバックパックを背負った、どこかで見たことのある男性行政書士と会ったのです。2016年の大阪府行政書士会南大阪支部忘年会二次会で偶然隣に座って会話をした、榎田啓先生との再会でした。
2016年12月10日土曜日大阪府行政書士会南大阪支部忘年会二次会にて撮影。
右側前から二番目が行政書士の私、三木。その後ろの白いシャツの行政書士が榎田代表です。二次会は夜も更けていたので、だいぶお酒も進んでいたようで写真のピントが外れています。これが、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所発足行政書士2名の出会いでした。
再会した日は、元政治家行政書士の先生から外国人の会社設立に関する依頼を受けたようで、大阪府松原市で個人事務所を経営していた榎田先生が、南森町の元政治家の先生と私の共同オフィスにいらしていた帰りでした。
「三木先生、元政治家の先生と協力して、今は生活保護業務がだいぶ忙しいようですね。あれ、ずいぶん顔色が悪いですが大丈夫ですか?何かお力になれることがあれば、遠慮なく言ってください。」
親切な榎田先生から声をかけていただいたおかげで、体調不良により溜まっていた(とはいえ、私は仕事をその日のうちに終わらせるのでお客様をそれほどお待たせしたわけではなく、一切のクレームはありませんでした。)行政書士業務を有資格者に手伝ってもらいながら、無事にこなし、難を乗り切ることができたのです。
ここから、榎田先生との生活保護業務の協力関係がスタートしました。
協力することで対応出来る業務や地域が広がった
行政書士業務を扱うことのできる行政書士が増えたことで、お客様から相談を受けた内容で受任・対応できる業務幅がだいぶ広がりました。
まず、北は北海道から南は九州まで(沖縄は申請依頼は多数あり、これまで那覇市内を中心に申請サポートをしてきましたが出張には航空経路を伴うため、出張費もかさみますし電話・メール対応が基本ですが、出張自体は依頼があれば対応可能です。)出張するようになりました。
青森県出張(2019年8月)
北海道2019年9月
2019年9月 岩手県出張
2017年6月 滋賀県出張
2017年2月 山梨県出張
2017年3月 静岡県出張
2018年3月 神奈川県出張
2018年3月三重県出張
2018年4月岡山県出張
2017年11月山口県出張
2018年2月 宮崎県出張
2018年3月 三重県出張
2019年5月 奈良県出張
2019年4月 京都府出張
2019年12月 島根県出張
2018年6月 長崎県出張
2017年11月 栃木県出張
2018年11月 兵庫県出張
2017年12月 広島県出張
2018年4月 京都府出張
2017年11月 宮崎県出張
2018年5月 福島県出張
2018年10月 群馬県出張
2018年12月 熊本県出張
2017年7月 奈良県出張
2018年9月 愛媛県出張
2019年3月 愛知県出張
2018年4月 京都府出張
2018年12月 熊本県出張
2019年10月 山形県出張
2019年12月 鳥取県出張
2017年12月 広島県出張
2019年10月 北海道出張
2017年8月 岩手県出張
2017年10月 新潟県出張
2018年8月長野県出張
2019年11月 山口県出張
2018年5月 奈良県出張
2019年11月 福岡県出張
2018年10月 栃木県出張
2018年11月 埼玉県出張
2017年3月 千葉県出張
2017年9月 福島県出張
2018年10月 愛媛県出張
2019年4月 奈良県出張
変化が訪れる
南森町駅と大阪地方裁判所のちょうど中間ほどに位置した、私と元政治家行政書士の先生の事務所は2人で仕事をするスペースとお客様スペースの確保がやっとでしたので、もう一台榎田先生も作業ができる机を入れられるように、同じオフィスビルの少し広い部屋にお引越しをしました。
連日榎田先生も通いでこのオフィスで夜中まで、私と協力関係にあった生活保護業務のほか民泊や飲食業許可、会社設立、入管業務など、元政治家の先生への相談は多岐に渡りましたので、仕事に追われる日々でした。
手前が私、向かいが榎田先生のデスク。二人とも、もともと几帳面で整理整頓上手ですが、このときは身の回りのことに構っていられないほどの業務量だったのです。
その後、榎田先生が元政治家行政書士の先生と話し合いをされて、生活保護の業務ホームページは私と元政治家行政書士の先生と別に分けることになりました。同じオフィスに2つの行政書士事務所が登録(合同事務所として登録)し、かつ榎田先生は大阪府松原市に個人事務所を構えている状態。
お客様からも、
「どうして事務所名がそれぞれ違うのですか?」
「行政書士費用の振込先は会社名ではなく行政書士個人名なのはなぜですか?」
このようなご質問が増えてきました。全国から多数の業務依頼を受ける行政書士事務所として、体制を整えなければいけない状態に必然的になっていきました。
榎田先生は、私と二人、それに以前から事務をしてくれていた原さんと事務局長の4名で行政書士法人化することを提案されましたが、私は最初に行政書士としての業務ノウハウを教えて育ててくれた、元政治家の先生との共同オフィスを離れることに葛藤がありました。
そのため、自分からは切り出せず、3名の行政書士がそれぞれ個人事務所を構えながらそれぞれが請け負った仕事をするという状態がしばらく続きました。
でも、きっかけはある日突然来るものなんですね。
2017年9月のある日、南森町のいつものオフィスに出勤すると、榎田先生がいつも座っていた席に他の男性が座っていたのです!
それはもう、驚きました。話を聞くと、元政治家行政書士の先生の補助者として雇用が決まったと。榎田先生と元政治家先生は、とある業務における意見相違から、袂を分かつことになったのです。
法人化へ
榎田先生のことも、元政治家先生のことも、私は共に行政書士の大先輩として、尊敬しています。私はとても悩みましたが、どちらの先生に対しても誠実にありたいと考え、黙々と法に則り行政書士業務を行いました。元政治家先生の補助者になった方は、大変優秀でした。
中国語も日本語も同じように流ちょうに操り、自身も民泊経営者という経歴なので依頼主の立場もよく理解でき、行政書士資格はないもののポテンシャルの高い方でした。アベノミクス効果で在留外国人の増加が見込まれるご時世、中国語のバイリンガルというのは強いです。とはいえ、榎田先生がいなくなってしまったオフィスには何となく居づらくなっていきました。
そして、法人化するきっかけも、突然やってきました。現状維持穏健派だった私ですが、元政治家先生も、色々思うところがあったのでしょう。2017年12月28日のことでした。翌29日には、元政治家先生、私、補助者の3人で忘年会の予約をしていたので、日にちもよく覚えているのです。
詳細は省きますが、要は現状維持するための条件として、私自身が選択を迫られたのです。私はあくまでも、変化のない現状維持を望んでいたため、元政治家先生が変化を望むのであれば現状維持は困難ですと返答しました。何か喧嘩をしたとか揉めたとかいうことではなく、街の法律家らしく落ち着いて話をし、結論を出しました。
「でも三木さん、僕と共同事務所を解消して、仕事は大丈夫なの?」
最後まで優しく心配して下さった、元政治家先生。
「大丈夫です。前々から、榎田先生が私のホームページ運営管理もサポートして下さっていたので、これからは法人化して榎田先生と二人三脚で頑張ります!」
行政書士法人ひとみ綜合法務事務所の立ち上げ
行政書士法人ひとみ綜合法務事務所が最初に作ったオリジナル封筒と名刺。まだこのときは、南森町のオフィスの住所でした。この約一年後、私も元政治家先生もこの南森町のオフィスを離れ、事務所も共同ではなくなりました。
行政書士法人ひとみ綜合法務事務所の設立案内の構想段階
新しいプリンター、新しいお掃除ロボ
お客様用のスリッパに・・・行政書士法人ひとみ綜合法務事務所開設にあたっては、備品も一から新たに用意しました。
事務所掃除も自前です。
お客様がお掛けになるソファは、代表自ら念入りに清掃消毒しました。
令和元年12月8日現在、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所スタッフは総勢7名(内、男性4名、女性3名)。
憲法第25条で保障される最低限度の生活は、自力で働いて守り、時に心疲れ無職無収入だったときは扶養親族であるご両親の愛情により支えられてきた、榎田啓先生。
行政書士歴も長く、大阪府行政書士会南大阪支部の副支部長を歴任しながら会のHPも運営管理を任されるほど、IT分野に長けた榎田先生は、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所の業務も電子化し効率良く業務遂行、全国どこから依頼を受けても(海外からのご依頼もあります。)当日相談可能、最短翌日申請可能という体制を確保してくれています。
町の法律家・行政書士として確かな法知識と業務経験に加え、安定した穏やかで誠実な人間性を併せ持つ榎田先生は、生活保護業務に精通するだけでなく、行政、刑事、民事、あらゆる行政書士業務に柔軟に対応してくれます。いわば、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所という全国の官公庁に対し許認可業務を行う飛行場の、管制塔の役割をして下さっているのが榎田啓先生なのです。
前編はこちら
毎日のお仕事お疲れ様です。もう感動しました❗2回読み直しました❗
なんかドラマ見てるようでした。こんなに大変で壮大な経緯があったなんて。軽々しく大変でしたね、などとは到底言えないですよね。つくづくこんなに素晴らしい会社に助けて頂いて私はほんとにラッキーだったのだとおもいなおしました。あの名刺も懐かしいっ❗最初に書類を送付していただいた時に名刺を拝見してとてもきめこまやかさを感じました。何よりも対応の速さ❗車を所有してることを不安に思っていた私に「車のことはまたそのときに考えればいいんです❗」と力強く明るく言ってくれた三木先生。どれだけ勇気付けられたでしょうか。忘れられません。
榎田先生のことも少しびっくりです。割とクールな方なのかなと思っていました。
ギャップ萌えですね(笑)
HS様、いつもお気に留めていただけて嬉しいです。2回読み直して下さったなんて、書いた私としては至福の喜びです。コメントもいつも励みになります、ありがとうございます。
あらためて書き起こしてみると、確かにドラマのようかもしれません。スタッフそれぞれ紆余曲折の人生を経て共に働く仲間となり、行政書士事務所にご相談ご依頼いただくお客様のお役に立てるよう一致団結したチームプレーができているのだと思うこの頃です。
車をまずは処分してください、保険をまずは解約してください、まずは家賃がもっと安いところに引越してください・・・生活保護の窓口でこのように言われて申請できずに門前払いされてしまった、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所に寄せられるこうした相談はとても多いです。
車を処分したところで、保険を解約したところで二束三文にしからならない人も多いのですが、その辺りは親身になって確認することもなく、また車や保険があると生活保護を受けられないという一律の規定があるわけでもないのですが、細かなことは説明してくれない・・・生活に困っている人が、どうやって引越をするのでしょうか。
私は生活に困っています、と役所の生活保護相談窓口に行くことはとても勇気のいることです。それを、恥を忍んで行ったのにけんもほろろに対応されては、二度と足を運びたくないと思ってしまうのも致し方ないでしょう。役所の窓口にいる人は、生活困窮の立場に陥ったことが無い人が大半でしょうから、その心情を察することができないのかもしれません。ただ、せめて新卒のような若い子を突然生活保護の相談窓口に配置することは避けてほしいものです。社会に出ると、真面目に生きていても、突然病気になったり災難がふりかかったり、何が起こるかわからないもの。それをまだ想像すらできない若い子が、切羽詰まった方々の初期対応をすることは、双方にリスクとデメリットがあると思うのです。