特定行政書士の三木ひとみです。
25年経った今も、1995年に起きた阪神大震災によって自宅を失い、二重ローンを背負ったことで借金返済に苦しんでいるご家族(鈴木さん・60代男性・仮名)が昨年末、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所にお越しになりました。

鈴木さんは、タクシー運転手かつ自営業というお仕事柄、21時という遅い相談開始時間を希望されました。令和元年の役所開庁最終週でしたので、行政書士事務所も日中は役所へ出向く予定やお客様のご相談対応のためスケジュール一杯で、遅い時間はお客様と行政書士双方に都合が良かったのです。

「地震では神戸市灘区に建てたばかりのマイホームは、無事だった。でも、地震から数時間後に近所で火事が起こって、数十軒と共に全焼してしまった。災害援護資金は上限の350万まで借りて、自営業も続けながらタクシードライバーとダブルワーク、住宅の二重ローンも毎月15万以上払いながら朝から晩まで働いてきた。だけど、60を過ぎてさすがにこのままの生活は続けられない。今まで国に頼らず、京都で一人暮らしをする母親に仕送りしてきたが、もう生活保護の世話になるしかないんです。」

そうため息をついて、仕事終わりの鈴木さんは苦労話を聞かせてくれました。

災害援護資金は返済免除要件を満たせば、返済の必要がなくなります。でも、その対象となるのは昨年成立した改正災害弔慰金法の拡大要件に当てはめて考えても、所得から住民税など税金を引いた額が年150万円未満の困窮世帯。早朝から夜遅くまでダブルワークをしながら、必死に働いて借金を返してきた鈴木さんは該当しません。

鈴木さん自身は、健康でまだまだ働ける、働きたい。あと少しで借金も返せる。母親に毎月してきた仕送りをしなくて済むようになれば、もっと早く完済できる。だから、何とか、生活保護を母親は受けられますか?というご相談でした。

早速面談日当日に息子さんである鈴木さんに必要な聞き取りをしながら、お母様の生活保護申請書を作成し、翌日特定行政書士が使者として代理提出を福祉事務所に行い、無事に受理されました。そこから通常は約2週間~30日ほどで審査結果が出て、私どもがお客様から伺った通りの状況であれば生活保護決定となり、申請日に遡って日割りで保護費が計算され、支給されることになります。

ただ、役所も切羽詰まったお母様の生活状況を見て審査をかなり急いでくれたようです。年末時期の申請にもかかわらず、本日支給決定しましたと行政書士事務所に電話連絡がありました。

京都でお一人暮らしをされているお母様の家庭訪問も同席を息子さんから頼まれたので、行政書士2名で事前のご挨拶にお邪魔した際のこと。

「あんたら、帰れ!行政書士なんて嫌いや!弁護士に頼みって息子にゆうわ。」
第一声からとても感情的になっていらしたものの、お母様が電話をされても息子さんは電話に出ません。
すると、今度は感極まって泣き出されてしまったのです。

「明日の米ももうないのに、どう生きろゆうんや・・・。今まで役所に何度息子が行ってもひどいことゆわれて帰らされたんやから、どうせ無理や。」

息子さんの鈴木さんも、ご自分の生活に精一杯で仕送りしていたとはいえ、最近は十分な金額ではなくお母様は食べられるものも満足にとれず、病院にも行けず、辛い思いをされていたようです。

そこで、年末の忙しい時期でしたが役所に無理をお願いして、訪問日を早めてもらことにしたのです。年末年始、食べるものに困ったり、体調が悪いのにお金がなく病院に行けないということがないように手配してもらい、お母様も息子さんの鈴木さんも安心して年越しができると胸を撫でおろしていました。


行政書士法人ひとみ綜合法務事務所の元日の様子。帰省せず、元日から仕事をしていたスタッフ4人でお節とお雑煮を頂きました。


お客様から頂いた食材を沢山使っています。ミニトマトはベランダ菜園をされている大阪の70代のM様からいただいたもの。ブロッコリーと白菜、大根、レンコンはM様のご主人が自治体の空き地活用で当選して無料で畑を使わせてもらっているそうで、12月30日の朝収穫された新鮮な野菜を届けてくださいました。黒豆は北海道のお客様が贈って下さったもの(豆から煮て作るのはとても大変なので助かりました)。ワインは、松原本店近くに住むベトナム人技能実習生さん達からの差し入れです。不定期に原さんが主宰する、日本語教室に通ってくれています。日本で得られる賃金の大部分を母国の家族に仕送りしている生徒さんが殆どで、その彼らがこうして日本人の私たちに心遣いを示してくれることは、日本で暮らす外国人労働者の生活実態を知っているだけに感慨深いものがあるのです。

年末年始も休まず行政書士法人ひとみ綜合法務事務所は相談対応しましたが、役所が10日ほど休みでしたので、時間的余裕は普段よりもだいぶありました。そこで、一冊の本を読破しました。

「毒親介護」という話題の本を購入しました。著者の石川結貴さんは長年にわたり、児童虐待や介護といった家族間トラブルや福祉問題を専門に扱ってきた方、良書との評判も納得の内容でした。

帯には、「『嫌いな親』を介護できるか?」という、挑発的ともいえるメッセージ。

毒親の語源は、アメリカ人ベストセラー作家スーザンフォーワードさんの造語『toxic parents』で、子どもに対するネガティブな言動を執拗に継続させた親のことを指すそうです。

「毒親介護」の主旨は、老いて認知症を発症したり生活困窮した親に、子としてどう対応するべきかという心得を筆者の壮絶な介護経験と共に伝えてくれるので、不思議とすっと胸に落ちるのです。

親の介護のため離職したお客様がその後も再就職できず、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所に相談に来られた事例は昨年末のブログでもご紹介しましたが、こうした介護による負の連鎖、最悪のケースでは老人虐待や身動き取れない親の放置など、介護する子が加害者、犯罪者にならないための知恵と情報が詰まった本です。

中でもこのフレーズ「親を捨てることも選択肢のひとつ」「捨てるとしたら必ず行政につなぐ」

私たち行政書士は、ご家族の生活保護のご相談を受ける際、ここまで直接的な強い言葉でお客様の背中を押してしまうような発言は控えています。ただ、私どもが知り得る限りの類似ケースの実例(生活保護申請をしたケース、しなかったケース含め)を詳しくご説明するなど、十分な参考材料にしていただけるように、情報提供をしています。
今後、この「毒親介護」の中のフレーズを紹介することもあるかもしれません。


もう10年以上前に、娘をUSJに連れていったハローウィン季節の写真です。娘にとって、教育熱心すぎた私は「毒親」だったはずです。親子であっても別人格なのだという意識が足りなかったために、「しっかり勉強して、教養を深めて進学をして、将来の選択肢を広く確保できるように」という私の価値観を押し付けてしまっていました。


息子の名前は、三木博人(ひろひと)。少し古風な名前は、私の父の名前なのです。父は神奈川県警察で長年にわたり強行犯の刑事として定年まで勤め、私が子どもの頃は旅先にもかかわらず職務で呼び出され(当時は大きく重い携帯電話でした)楽しみにしていた旅行が短縮されたこともありました。

私の両親は離婚し、父は再婚して新しい家庭を築いているので今は連絡も取っていません。
でもこの年になってようやく、公務員として日々必死に働いていた両親の背中を思い出し、こみあげてくる思いがあります。親の期待には応えられなかった私ですが、生活保護に特化した行政書士としてはお客様の目線に近いところで、「女性行政書士」ならではのお客様にとって何でも相談しやすい存在として、お役に立てていることが現在の私の生きがいでもあるのです。