ブスの処世術2

大阪の行政書士法人ひとみ綜合法務事務所で働く行政書士の私は横浜出身ですが、帰省する家は横浜にありません。父は再婚して新しい家庭を築き(再婚相手の女性の希望もあって私は距離を置いています)母は不動産売買と転居を繰り返し、自由に生きています。

先日亡くなられた、私が生前成年後見人を務めていた生活保護受給者であったお客様は、「このマンションはもうすぐ取り壊される」と自宅を訪ねてきた不動産業者を名乗る人物に執拗に売却を勧誘され、契約書に署名押印してしまったために、相場よりずっと安い価格で自宅を失ってしまい生活保護に陥ってしまいました。

ほかにも、住居を売却したら介護施設を一緒に探してあげると騙そうとしたり、判断能力が落ちた高齢者の不安につけ込む手口によって不本意に自宅売却に至って生活保護の相談に来られるお客様が増えています。

宅地建物の売買については、宅地建物取引業法、通称宅建業法によりクーリングオフが定められています。制度の説明を受けてから8日以内であれば、購入者は無条件で申し込みの撤回や契約解除ができるのですが、このクーリングオフの落とし穴は、「売主が宅建業者である場合」という条件があることです。そのため、契約解除するために高額違約金を払ってしまい、そのために資産が削られたというご相談もありました。

くれぐれも、強引に迫られた契約を不明な点があるままに締結することのないよう、売るつもりがない場合はきっぱりと断ることが重要です。

ここから先は、昨日のブログの続き『ブスの処世術2』興味ある方限定で、行政書士三木ひとみのトホホな青春時代の実話をお楽しみください。

前回の記事→ブスの処世術1

ブログ内で使用する写真と本文は、一切関係ありません。

〇父と私

私は成人するまで両親の離婚は知らされなかった。両親の配慮だったらしい。小学校に上がる前、父を家で見ることは全くなくなった。その後も、時折父が家を訪ねて来た。その度に、母が怒り狂って玄関先で追い返していた。何度か父がおもちゃを持ってきてくれたこともあった。しかし、
「こんなおもちゃで遊ばれたら家じゅうが散らかる」
と母は言って、仏壇の上に置いた。この判断は片づけられない母の決断としては「正しい」と思う。そう、「仏壇の上」というのは、通常の「仏前」ではなく、言葉の通り仏壇の一番上である。

小学3年生のゴールデンウィークに、父が約束通り、私を熱海に連れて行ってくれた。もう何年も一緒に過ごすことができなかったので、今でもよく覚えている。警察官仲間とその子供達も一緒に来ていたが、一緒に車に乗っていた女の人が、
「あの子、ヒトちゃんにそっくり!」
と言ったので目をやると、真っ黒に日焼けした男の子だった。びっくりして、「え、そう?」と言うと、「うん!ほら、そっくり!」と大声で言われ、他の人まで「ほんとだ!ヒトちゃんみたい」と口々に同調し始めた。
わたしは「みんな目が悪いんだ」と思った。

〇小学校高学年

いじめはエスカレートしつづけた。高学年になるにつれ、物質的な攻撃よりもより巧妙に精神的な攻撃の方に移行した。イジリキャラの彼らも、イジラれキャラが傷つくのを見るという楽しみ、人類特有なのだろうか、どうやら楽しいようだ。さすがにこたえた。

汚い言葉でののしられたり、「お前」呼ばわりされるたびに、「私がこんな風に言われ、あつかわれていることを家族が知ったら、家族が悲しむ。だから、絶対に知られないようにしよう」と、心に誓った。

しかし、不思議なことに「ブス」と言われた記憶はない。私よりもっとひどいいじめを受けていた子でも、「汚い」「臭い」とは言われていたが、「ブス」とは言われていなかった。小学生にとって、まだ「ブス」という主観的基準は存在しないのだ。そう、ブスの基準とは、「大人」が勝手に創作したヒトへの評価というものなのだ。成長するに従って、子供たちは大人が作ったその「評価」を、様々なメディアを通じ、いつの間にか刷り込まれる。そうこうしているうちに思春期になる。そして、恋愛を意識し始める。

隣に連れて歩ける「美人」と「ブス」を明確に評価し始めるのだ。
オレは、こんなカワイイ女連れているんだ。どうだ、スゲ~だろ、と。


左の絵は、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所の元アルバイトスタッフ萌白さんがテレビ番組出演時に描いたもの

第2章  ブス根性女子が育った思春期~「ブス根性」の醸成期

中学から高校1年時まで、わたしはブス根性をひたすら醸成した。私の、見るも聞くも堪えない「青春期」の実話である。

救いようのない、不幸でけなげな小学校時代と比べると、雑草のように逞しくブス根性は育まれ、そしてブス根性女子の自我が芽生えていった。しかし、そのことにより、悲劇はさらに拡大していくのだった。

〇中学1年生~ヒロインになる・・・

中学校に入ると、小学校の頃のようなあからさまなイジられは、なくなった。小学校時代はサイズの合った洋服もなく、毎日同じ服(しかも洗濯されていない)を着ていくことが苦痛でたまらなかった。

中学生になると、さすがに洗濯くらいは自分でできたし、制服があるので毎日着る服があって、大変ありがたかった。小学生の頃は、
「それ、昨日と同じ服じゃない?」
と、言われないか、ドキドキしていた。制服によって、とりあえず、貧困家庭とか片付けられない母とかいった、外形的ハンデはなくなったのだ。

片付けられない母親は本の虫だったため、古本屋で「エースをねらえ!」や「アタックNo.1」といった昔の少女漫画を買い与えてくれていた。それを読んだ私は、中学や高校で華やかな青春が送れることを楽しみにしていたのだ。

「エースをねらえ!」のヒロイン・ヒロミのように、テニス部に入れば藤堂さんや尾崎さん、宗方コーチのような素敵な人との出会いがあると期待したのだが、残念なことにテニス部がない中学であった。それならば、「アタックNo.1」の梢ちゃんになろうと、バレー部に入った。

ブス根性のみならず、私は大の運動オンチだった。それでも、当時世間を賑わせていた大林素子選手のように企業のバレー塾に入りたいと憧れを抱いた。幼馴染のヨシミと一緒に、登下校中の男子に見てもらえるようにわざわざ通学路に出て、バレーボールの練習を毎夜繰り返した。声をかけられたことは、一度も、ない。

〇中学2年、モテないことがわかり勉強に目覚める

中学に入って1年経つと、どうも、自分が思っていたような青春が送れていないことに気付いた。憧れのティーンエージャーなのに、おかしい!漫画のようなキラキラした日々はどこにあるの?と私は途方に暮れた。

この頃、もしかしたらブスなのかもという思いが脳裏をよぎった気もするが、慌てて振り払った。自分がブスだと認められる13歳がいるだろうか。少なくとも、弱い私には無理だった。

そんなとき、たまたま往年の名作「ウエストサイド物語」を見た。ダンスパーティーで若い男女が楽しそうに踊っている様子をみて、これこそ私がずっと夢見ていた青春だと確信したのだ。

私は電光石火のごとく、スポーツ少女からガリ勉に転身した。いや、スポーツ少女も何もバレーボールは下手くそだった。一応レギュラーではあった。しかし、部員は6人だった。どういうことか、お分かりいただけるだろう。

〇中学3年、男子にモテないだけでなく女子にもモテなくなった

中2の春までは、ブス根性で成績も悪かったので、男子にはモテなかったが、女子の友達はバレーボール仲間など沢山いた。しかし、ガリ勉に転身した私は、一心不乱に勉強だけに熱中したため、女友達も徐々に離れていった。

バレー部の朝練のために朝は6時半に家を出なければいけなかったため、3時に起きて6時まで勉強し、朝食を流し込むように食べて、全速力で走って学校へ行った。今思えば、ここで私の強靭な体力が培われ、のちに広大なアメリカで長距離ランナーになる土台が作られたのだと思う。

帰りは部活後18時半に帰宅すると、30分で風呂、夕食を済ませて19時から22時まで勉強した。ある日、成績の悪いバレー部仲間とちんたらと仕方なく(←性格ブスそのもの)一緒に帰っていたとき、飼い犬が迷子になってしまったと慌てた近所のおばさんに遭遇した。

「一緒に探しますよ!」
同じバレー部で性格も顔も美人のヨシミ(のちに看護師になりハンサムな自衛隊の男性と結婚し幸せになった)が申し出たのだ!下級生も一緒になって懸命に犬を探す中、私は勉強があるからと言って冷たい視線を浴びながら、走って帰ったのだ。

鏡を見る時間もなくなり、ますますブス根性は醸成されていった。同級生は、カップルもチラホラいたが、「最後に笑うのは私」と自分に言い聞かせた。
羨望の気持ちをひた隠しにして、私はガリ勉を続けた。

〇高校は進学校、でも、さっそく振られる

もう、いつも同じ服を着ていじめられた小学校とも、暗くてださくてモテなかった中学校ともオサラバ。

地元の名門高校での生活、晴れてデビュー!のつもりだったが、小学校ではイジラレ、中学ではガリ勉ばかりして、人とのコミュニケーションを極端に取らなかったため、クラスメートとの接し方がわからないのだ。

しかし、さすがは進学校。暗い私の陰口を表立って言う人は皆無だった。そこで調子に乗ってしまった私、そう、醸成されたブス根性の私は、憧れの青春を送るという目的を果たすため、暴挙に出たのだ。

まず、バスケ部のモテる男子に告白をした。その場であっさり振られた。私はどうしても彼氏という存在を作りたかったのだ。青春というものをしてみたかった。告白した相手の男子とは、そもそも話したこともほとんどなかった。遠くから、バスケをしている様子をチラチラ見ては、少女マンガの妄想を募らせていたのである。

〇アメリカに留学する前にどうしても彼氏がほしかった

暴挙というくらいだから、続きがある。ブス根性丸出しで根暗だったのにどうしても青春したかった私は、クラスメートにも告白したのだ。たしか、バスケ部の男子に告白した数日後である。もちろん、振られた。

多感な高校生のことだ。この噂は瞬く間に校内に広まってしまった。「男好きのブス」として。
なぜこのような暴挙に出たのか、心境は本当に思い出せないのだが、小・中学校でいじめやガリ勉によって極端に異性とのコミュニケーションが不足していたせいなのだと、無理やりでも理解してほしい。

「ブスのくせにキモい」などと思われたら、過去の自分がかわいそうだからだ。勇気を出して書いたのだから、勘弁してほしい。もし、私が世間的に言う「美人」だったら、そもそも1度目の告白で振られなかっただろう。いや、告白なんてしなくても男子から来てくれるのだから、そんなさもしい行動はしなくてよかったのだろう。ブス根性ってホントおそろしい。

第3章  ブス根性のままアメリカに渡り、夢やぶれ帰国

ガリ勉をして勝ち取ったアメリカ行きの切符、なんとか日本で彼氏とやらを作って出発したいというブス根性の恥ずかしい野望は見事に打ち砕かれた。アメリカでも熱は冷めやらず、いろいろと試みたが・・・結果はどうなるのか。

〇カリフォルニアで振られる

ガリ勉の甲斐あって、奨学金付の交換留学生試験に合格した私は高校1年の7月に渡米した。
夢にまで見た、憧れのアメリカである。
青春の始まりだ。

最初のカリフォルニア州における研修では、大学生のマサルさんに恋をした。最終日に告白してみたが、I like everybody(みんなが好きだよ)とかいう、よくあるお断りをされてしまった。でも、いい。旅の恥はかき捨てられる(ここで暴露してしまったが)。

研修期間中、日本人留学生は全員一緒にいたのだが、日本的な基準でいう、かわいい子・きれいな子たちはあっという間にグループを作ってしまうのだ。仕方なく、私は余りものグループになんとなくいたのだが、それはそれで楽しかった。ダサグループだろうがなんだろうが、憧れのアメリカである。

そこら中に金髪の青い目の素敵な人がいるし、道路も建物も海も、映画で夢見たアメリカそのものだった。ブスでも、努力次第でこうした輝かしい日々が手に入るのだと思った。その気持ちを忘れず、努力を続けるべきだった・・・。

〇アメリカでは「君は美しい」と言われたが、それは・・・

アメリカに行ってすぐは、英語の聞き取りになかなか苦労した。しかし、慣れてくると日本でのガリ勉の甲斐あって、相手の言っていることはほぼ理解できるようになった。

同じハイスクールのライアンという少年は、なぜか私に興味を抱いていた。
異性の興味をそそるようなものは謙遜でもなく何一つない私だったので、何か魂胆があるにちがいないと感じた。

ブスが、ある日突然、「君は美しい」なんて言われても、にわかに信じられないのである。そして実際に、ライアンという少年は、有名なホラ吹きだったのだ!

英語でlie(うそ)をつく人と言うのはlier(ライアー)というので、名前と引っかけてホラ吹きライアンとからかう人も多かった。そのライアンは、同じアメリカ人には相手をしてもらえないので、日本人の留学生ならば簡単に落とせると思ったようだ。

ようやくbeautifulと言ってもらえたと思ったら、相手は有名なホラ吹きだったなんて・・・それでも、ライアンには感謝している。少しだけ自信を得られたことは、コンプレックス一杯ブス根性醸成期の私の心の安定にとって大事なことだった。

〇ピーターに振られる

ハイスクールで友達になったヘザーと一緒に、ローラーブレードの室内リンクに出かけた。そこでは、「男性が好きな女性を誘って一緒に滑る」というイベントタイムがあった。

日本の学校で暗くて冴えず異性との交流がまったくなかった私は、もう興奮してしまった。待ちに待った青春の1ページ、奇跡は起きたのだ。アメリカ人の中でもひときわ背の高い、ピーターというハンサムな高校生が私にひざまずいて手を差し伸べ、誘ってくれた。

その室内リンクは平日で閑散としていたため、年齢相応で同じく2人連れの異性が私たちしかいなかったわけだが・・・そんなことは一切考えず、「ピーターは素朴なジャパニーズガールを好きになったのかも」と私は思い込んだ。

高校のダンスパーティーで、女性が好きな男性を誘って行くというものがあったので、もちろんすぐにピーターを誘った。しかし、「ごめん、もう別の子から誘われちゃったんだ」と言われて、あっさり断られた。しつこい、いや、積極的な私は、次のパーティーはどうかとバスで聞いたが、次も誘われているという苦しい言い訳をされて、逃げるようにピーターは行ってしまった。

〇大好きだったジョーはモテモテ

アメリカの高校に行っても、もともと暗く自分の殻にこもりがちだった私は、なかなか溶け込めなかった。
1人でぽつんと座っていた私に、ジョーは声をかけてくれた。

「どこから来たの?」「日本ってかっこいいね!ほら、見て。僕のボールペンも日本製でしょ」
そんなことを毎回言ってきてくれるジョーに、私はまた恋をした。

しかし、それは今までのように外見で妄想をして・・・といったものではなく、彼の内面の優しさに惹かれたのだ。

長身でバスケットボール選手(ユタ州のBrighton High Schoolは当時のバスケ強豪校で、本場アメリカの強豪校レギュラーなのだから、すごいはず)だったジョーは男女問わず人気者だったので、いつものように図々しく行動することはできなかった。

あるとき、両側にいかにもアメリカンガールという美女を2人連れてジョーが歩いてきた。全校あげてのド派手な選抜投票を勝ち抜いた、チアリーダーたちである。

正面からだんだんその3人に近づいていった。日本の学校のような作りではなく、円を描くような廊下で逃げ道がないのだ。私は、目を合わせず、通り過ぎようとした。

しかし、ジョーは美女の前で、ウルトラダサかった私を無視するのではなく
「Hi, Hitomi」
と、いつもと同じように、変わらず声をかけてくれたのだ。そんな優しい彼に振られるのはさすがに嫌だったので、私は告白せず、日本に帰る前日に彼に似合いそうなブルーのシャツをプレゼントした。親友のアリーナの提案だった。

彼女は台湾人で、ソニンに似た美人だった。アリーナもお目当ての彼にプレゼントをしていたが、ほっぺにチュッとキスをしていた。
美人って自分に自信があるから、こういうことが自然にできるのだ、と思った。

日本に帰国してからも、アリーナは何度か突然電話をくれたものだ。そのとき、ジョー!
と大きな声で読んで、ジョーにも何か話すよう促してくれたり、本当に性格の良い美人だった。ジョーは日本の私にその後、何通か手紙もくれたが、アリーナに言われて書いたものと思っている。

そして、愚かな性格ドブスの私は、そんなアメリカで育んだ友情さえも、自ら連絡を絶ち切って孤独な日々を選択していく・・・この話の続きは、またいずれ(・・・たぶん)。

続き→ブスの処世術3

ブスの処世術 目次
ブスの処世術1
ブスの処世術2
ブスの処世術3
ブスの処世術 最終話

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