ブスの処世術3

お盆の今週も、平日の行政書士法人ひとみ綜合法務事務所は怒涛の忙しさが続きます。昨日は、神奈川県の政令指定都市(横浜市、川崎市、相模原市)と中核市(横須賀市)以外の福祉事務所の上級行政庁にあたる、神奈川県庁福祉子どもみらい局 生活援護課の女性職員Aさんと、熱い議論を交わしました。

民間企業である行政書士法人ひとみ綜合法務事務所は、有償にて依頼を受け生活保護に関する様々な書類作成、相談に対応していますが、最近神奈川県下の福祉事務所に多く提出していた書類の一つに、現在生活保護を受けている人が生活保護費を節約して貯めたお金や、いわゆるゼロゼロ物件、費用がかからない物件を選んで荷物は自力で運ぶ費用のかからない引越しを自らされた方に関するものがありました。

この件につき、当然正当な行政書士業務ではあるものの、
「引越をするなら、担当ケースワーカーに生活保護受給者が相談すれば、生活保護制度上引越費用が支給されることもあるのに。」
といった内容を、とある神奈川県の福祉事務所が上級行政庁に伝えたようで、行政書士の私としては(当然この制度は存じていますし)この件について色々行政側に伝えたいことがあるため、当該上級行政庁の担当者に連絡したのです。

「引越をしたいとケースワーカーに相談しても、引越なんて無理ですと言われたり、引っ越すなら自分でお金を貯めて引っ越すのは自由ですよ、程度の対応が多いようですよ。」

「実際、生活保護制度の丁寧な説明を、親身に相談にケースワーカーがのってくれた上で行ってくれたら、それが一番です。」

神奈川県庁の女性職員Aさんも、そうですよね、信頼関係をケースワーカーが担当する生活保護受給者の方と構築すべきなんですよねと、コロナ禍において生活保護受給者、生活保護申請者が増加したことでマンパワーが足りなくなっている現場について同調の感がありました。

憲法第25条で保障する最低限度の文化的な生活を守るための最後の砦である生活保護行政を適切に遂行するためには、知識経験だけでなく豊かな対人スキルが福祉事務所で対応する職員には求められます。でも、実際にはそのような重要な業務を「給与が低い」「将来が不安」と感じる人が多い非正規公務員が担っています。

公務員の職場で格差を助長するような政策が運用されては、民間の労働市場にも影響が及んでしまいます。コロナ禍においても、生活保護行政における生活保護受給者の家庭訪問は一定の配慮の下になされ、人と接することを避けられないため新型コロナウィルス感染のリスクが高い仕事でもあり、国の政策に沿った必要不可欠な業務だからこそ、十分な手当てがなされるべきでしょう。

ここから先は、先日からのブログの続き『ブスの処世術3』です。
興味ある方限定で、行政書士三木ひとみのトホホな青春時代の実話をお楽しみください。

前回の記事→ブスの処世術2

ブログ内で使用する写真と本文は、一切関係ありません。

第4章  日本の高校で運命の出会い

アメリカから帰国後も、私は何とか人並みの青春を送るという目的を達成するため、猪突猛進していく。ティーンエージャーと呼ばれる時期がおわるまでに、果たしてブス根性の私は、一方通行ではない男女の恋愛ができるのだろうか?!

〇ブス、黒豚になって帰国

「黒い豚みたい」
1年ぶりに成田空港で再開したとき、中学生の妹に言われた言葉である。妹は私と同じ血を引いているが、優しい姉が守って育ったためか屈託のない笑顔でかわいらしかった。素材は同じでも、表情や肌の状態で印象はだいぶ変わるのだろう。

黒い豚なんて大げさな!と私は反発したが、日本の高校に1年ぶりに登校すると、たしかにみんな細かった。しかし、私も大して変わらないだろう思っていた。ゴミ屋敷の我が家には体重計もなかったため、自分の体重を知らなかったのだ。アメリカのホストファミリーも裕福とは到底いえない家庭で、体重計はなかった。もちろん、食費も生活費も出ない交換留学生を無償で世話してくれたのだから、心から感謝している。

話が逸れてしまったが、日本の高校の健康診断でようやく体重を知った。15キロ太っていたのである。「自己管理もできないブス」という批判を受けるかもしれないので、言い訳させてほしい。せめてデブスにならないよう、私なりに気を使ってアメリカでは陸上部で長距離を走っていた。貧乏留学生だったため、そもそも買い食いするお金もなく、ランチは1ドル(約120円)で賄っていた。それでも、アメリカの食生活はすべてが高カロリーだったのだ。その上、運動だけは人並み以上にしていたため、脂肪ではなく全て筋肉と化し、日本よりもはるかに強い紫外線の下を毎日10キロほど走っていたため真っ黒に日焼けしていたのだ。
まさに妹の言う通り、黒豚になってしまった。

○日本でまた告白して、また振られる

日本の高校では、「アメリカ帰りのひとみちゃん」として人気者になることを妄想していたのだが、これも見事に崩れた。「アメリカ行く前に同時に2人に告白してどっちも振られた痛い子でしょ」と噂されていたようだ。

これは、小学校の理不尽ないじめとは全く別物で、自業自得だと自覚しているので、もう責めないでほしい。二度と思い出したくなかったことを、勇気を出して公表したことを評価してほしい・・・と思ってはだめだろうか。

しかし、当時の私はもはや無敵の心臓を持っていたらしい。帰国後もそんな状況でありながら、同じクラスのナンバくんに告白したのだ。ナンパではなく、ナン「バ」くんという真面目な男の子だった。

アメリカに行ったことで、人と話もできないほど暗かった性格は改善されていた。ちょっとは面白いことも言えるようになっていたので、告白は見事OK!初彼氏ができたと思いきや、なぜか3日後に振られた。

「君の友達のサエちゃんが好きだったから、OKした。サエちゃんと話せたらいいなって思ったから・・・ごめんなさい!!」と大声で謝られ、全力で私に背を向けてどこかへ走って行ってしまった。さようなら、ナンバくん。

○デブはお呼びでなかった修学旅行

ナンバくんが好きだと言ったサエは、魔性の女だった。クラスで1番もてると噂され、修学旅行ではクラスの男子のほとんどが、サエか、サッカー部のマネージャーのサチを好きだと言ったんだとか。

そんなこと、私にはどうでもよかった。いや、うそだ。うらやましくて、どうしようもなかった。

一生懸命がり勉して入った高校だったから、みんな良い子だった。サエもサチも、デブでブス根性の私と一緒にお昼ご飯を食べてくれていた。3人で撮った写真を見た中学時代のバレー部の悪友からは、
「1人だけ宇宙人が混ざっているみたい」
と、冗談ではなく本気で言っていた。サエとサチは、校内でモテただけではない。

美容室に行くと、私は通常の料金を払っているのに(しかもアルバイト代で捻出する苦学生だ)サエはなんとかモデルとかで無料でカットしてもらっていたらしい。挙句に、美容師のお兄さんは、
「サエちゃんと同じクラスなの?学年で一番人気あるでしょう。」
と、サエに興味津々なのだ。うるさい、うるさい、私はお金を払っているお客さんなんだから、ちゃんとやってください!・・・今思えば、この頃から着々と私の仕事に対する厳しい姿勢と果敢な営業マインドも育まれていたのかもしれない。

修学旅行先の北海道では、修学旅行で来ていた他県の5人組のイケメン高校生に声をかけられた。

「君、あの子たちの友達だよね?一緒に花火を見たいから、友達に言ってくれない?」

・・・。5人は、サエとサチを取り囲み、私は蚊帳の外だった。その夜、なんとも空しい気持ちで私はスナック菓子を食べ続けた。サエもサチも、ダイエット中だからいらないと言って(ガリガリに痩せているのに、だ)携帯でピコピコと大阪の男子高校生たちとメールのやりとりをしていた。

○慶応大学のパーケン

サエは、彼氏ができないデブのいじけた私を、心底あわれに思ったのだろう。慶応大学の男友達から頼まれたという3千円の「パーケン」を私に売ってくれた。パーティーチケットのことをパーケンと呼ぶらしかった。中学で一緒にバレー塾を目指して夜な夜な男子が通る道での特訓に付き合ってくれた、心優しい幼馴染ヨシミを誘って慶応大のパーティー会場に出かけた。

パーティーというから、ダンスでもするのかと思ってフリフリのドレスで出かけた私は完全に浮いていた。横浜の田舎から東京の中心地までは、満員電車に揺られながら、慶応ボーイに声をかけられたときの対処法を練っていたのだが、そんな心配は全くなかった。

会場のロッカーに荷物を入れて出ようとしたら、慶応ボーイたちが「お菓子くださーい」と声をかけてきた・・・と思ったら、隣の女性たちに声をかけていた。そして、口説きながら私の目の前で一緒に写真を撮り始めたのだ。

後ろはロッカー、横にも人が沢山いて動けず、私は仁王立ちしてその楽しそうな男女の写真の背景におさまった。無表情で一緒にカメラをみつめていたら、その男女らやカメラマンは一斉に噴き出して笑い始めた。押しのけてヨシミのところへ行くと
「ああいうときは、カバンで顔を隠せばよかったんだよ」
と、言われた。根性ブスは写真にも写ってはいけなかったのか。

○奇跡が起きた高3の夏

ブス根性がすっかり染み込んだ、モテない勘違い人生を送ってきたが、ティーンエージャーが終わる頃になるとあきらめがついてきた。

「いつか王子様が迎えに来てくれる」
と、ディズニー好きな私は本気で思っていたものだが、それはないような気がしていた。

とりあえず勉強だけはがんばろうと、ひたすら机に向かっていた。
ある日、学校で夏休みの通訳ボランティアのポスターを見た。10日間の泊まり込みで、外国人の若きスポーツ選手たちの通訳をするのである。英語力を実践的に磨く良い機会かなと思い応募して、合格した。

高校3年生は最年少だったので、ラッキーだった。この頃はすっかり自分に自信をなくしてしまっていた。
「とにかく嫌われたりしないように友達を作れるようにがんばろう」謙虚な気持ちで臨んだ。

高校3年生は男女2人ずつという素敵な組み合わせだったが、もう期待もしなかった。トモくんという名門男子校に通う野球少年は、背が高くハンサムだった。カンくんは県のトップ高に通う優等生しかも優しい好青年だった。マリちゃんは高校野球のマネージャーというモテモテポジションにふさわしく、明るい社交的な子だった。マリちゃんは優しくて、暗い私も連れて、高校生の男子2人に声をかけていた。

私は、慶応ボーイに笑われてからというもの、ブス差別の恐怖症になっていたといってもいい。マリちゃんが男子2人と楽しそうに話しているのを、邪魔にならないように愛想笑いをしながら見ていた。すると、トモくんがいちいち「ひとみちゃんはどこの高校?」「ひとみちゃんは英語得意?」などと、マリちゃんと同じ質問を私にもしてくれるのだ。照れとうれしさで、上手く会話ができない恥ずかしい気持ちも重なって、一言二言返すのがやっとだった。

○ブスの初めての純粋な恋

私は中学生の頃から日記を書いていたのだが、トモくんと出会った日から別れの日まで、毎日の日記に彼のことを書かない日はなかった。

「トモくんという、すごくかっこいい子に出会った。でも人気者だから、私なんか眼中にないんだろうな。」
これが、彼との最初の出会いの日の日記だった。

10日間、トモくんは老若男女、日本人外国人問わず大人気で、大活躍だった。夢のような10日間が終わり、日常の受験生生活に戻った私は、毎日図書館に通って勉強をした。家はクーラーもなく、光熱費を節約するためにいつも自転車で図書館へ行って勉強をしていた。

男女カップルで勉強をしにくる不届き者もいたが、もう人のことは気にしなかった。そんな色気のない毎日だったが、ある日ポストにトモ君からの手紙が届いた。

私がたまたま写っていた写真を送ってくれたのだ。しかし、ブス根性による振られ人生で完全に打ちのめされていた私は、ポジティブすぎる勘違いをすることもなかった。

あのトモ君のことだから、みんなに写真を送っているんだろうなと思った。でも、そんなに写真を焼き増しするなんてお金持ちだなと驚いた。うちは本当にケチ生活だったので、写真を焼き増しするという発想もなかった。10日間のボランティア参加も、家の食費が浮くことを喜ぶ気持ちも少しあったのだから。

トモ君からの手紙の末尾には、「24時間電話OK」と携帯番号が添えてあったが、まさか望まれない電話をかける勇気はなかった。返事としてお礼の手紙を書き、そこへわずかばかり残っていた勇気を振り絞って自分の電話番号を書き添えた(携帯電話を持っていなかったため、家の固定の電話番号!)。

もう手紙への返事など来ないだろうと思っていたある日、家に電話があった。トモ君からだった。私の住んでいる地域の病院にお見舞いに行く用事があるから、そのとき会えないかというものだった(のちにこれは私と会うための口実だったと知った)。
飛び上がらんばかりの気持ちになりながら、とりあえず約束をして電話を切った。

○けなげなダイエット

2週間後の約束の日までに、なんとか痩せて、すこしでもかわいくなろうと私は誓った。

アメリカから帰国した後も、体重は変わっていなかったのだ。陸上をやめていたので筋肉が落ち、すべて脂肪に変わっていた。勉強に支障がでないよう、かつ肌荒れもしないように、家庭科で勉強したことを思い出し、ガリ勉女子なりのダイエット計画を作った。

すでに高校生は皆、自分の携帯電話を持っている時代に突入していたが、私は奨学金とアルバイトで学費と生活費を賄っていたため、携帯は持てなかった。パソコンもなく、新しい本を買うようなお金もない。電気節約のためあまりテレビもつけなかったので、ダイエット方法を入手する術がなかったのだ。

しかし、私のダイエットプランはなかなか理にかなったもので良かったのだ。

「朝は王様のように、昼は平民のように、夜は乞食のように」を実践した。夜は乞食と言っても、野菜は好きなだけ食べてもよいルール。好きなだけといっても、お金は有限だったので野菜サラダ一杯か野菜スープのどちらかだった。体重は急降下とまではいかなかったが、順調にするすると落ちていった。2週間後には1.5キロやせた。口臭がしないようにと学校で歯磨きをする私を、既に彼氏がいる友人たちは珍しいものでも見るように驚いた。

トモ君とは駅で待ち合わせをして、通っていた横浜市立金沢高校近く、金沢八景駅からほど近いファミレス「デニーズ」に案内した。

デニーズには3時間半いて、水ばかり飲んでしまったのでトイレに行きたかったが、「トイレに行きたい」と恥ずかしくて言うこともできず、最後はトイレのことばかり考えていた。


コロナ前は、許可を取った民泊業者様の「宿泊者特典、お寿司作り教室」のお手伝いで英語通訳もしていました。努力は裏切らない、学生の頃に英語を必死に勉強したことは、私の生きる糧となっています。

続き→ブスの処世術 最終話

ブスの処世術 目次
ブスの処世術1
ブスの処世術2
ブスの処世術3
ブスの処世術 最終話

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