令和八年のはじめに~日本の未来を考える

皆さま、健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。 行政書士法人ひとみ綜合法務事務所でございます。

元日、当法人代表・榎田啓先生の「あるインタビュー」から、私たちの仕事の原点を再確認する時間が持てました。

榎田代表のお母様は、大阪府松原市で30年以上もの間、ボランティアで外国人に日本語を教えています。

変わりゆく顔ぶれ、変わらないぬくもり

ここ最近の、ボランティアの日本語教室を訪れる生徒さんの国籍で増えたのは、ミャンマー、ネパール、そしてマケドニア。お母さんは言います。

「みんな、驚くほど真面目。でも、ホームシックになってしまって、母国に帰る人もいるわね。」

言葉が通じない、コミュニティがない。そんな不安を抱えながら、彼らは早朝からボランティア教室で勉強し、そのまま仕事場へと向かいます。母国の家族を、そして日本を支えるために必死に生きる彼らの姿が、そこにはあるといいます。

高くなった「経営者」へのハードル

一方で、私たち行政書士が向き合う入管業務においては、令和に入り一段と高くなったハードルがあります。 特に「経営管理」の在留資格。かつては資本金500万円が要件でしたが、現在は資本金要件が3,000万円以上に引き上げられ、日本人や永住者の常勤雇用も必須となりました。
「とりあえず日本で会社を作って在留資格を取ろう」という時代は終わり、経営者としての実務経験や学位、そして高度な日本語能力が求められる時代となりました。

「家族滞在」の光と影

近年、外国人労働者が増加する一方で、インフラが追いついていない現実もあります。特定技能や技能実習などで来日する外国人は本国で日本語をある程度勉強してきますが、問題は「技術・人文知識・国際業務(技人国)」や「経営管理」の在留資格で働く人が、家族滞在ビザで呼び寄せる家族です。

日本語が全く分からない状態で来日する「家族滞在」の方々は、孤立しやすいのです。「言葉が分からない、馴染めない」と、家族がバラバラになり、志半ばで帰国せざるを得ないケースも少なくありません。

お母さんが活動する松原市では、市役所が場所を無償提供していますが、諸経費はボランティア頼りです。

「役所がボランティアを募集したから、一緒にやってほしいと頼まれたのは、私がまだ公務員として仕事をしていた50代の頃のこと。あれから30年が経ちましたが、場所の提供以外は、すべてボランティア頼り。松原市はまだ良いけれど、大阪市内は、場所代や光熱費までボランティアが身銭を切っています。」

行政書士として、この「語学教育体制のパンク状態」は、日本の喫緊の課題であると痛感します。

「日本語を教えてくれてありがとう」を野菜に込めて

そんな厳しい環境でも、心温まる交流があります。 お母さんの教え子たちは、自分たちが丹精込めて育てた畑の野菜や釣ってきた魚を綺麗にさばいて、感謝の印として届けてくれるそうです。

「ルールを守り、恩を忘れず、一生懸命に生きる」

彼らがいなければ、日本人が敬遠しがちな「現場の仕事」は、もはや立ち行きません。これはもう、一時的な現象ではなく、時代の必然です。街を見渡してください。まっすぐに引かれた道路の白線は、職人技。これらはAIが取って代われない仕事ですが、残念ながら、少子化、学歴偏重の日本ではこうした仕事に就く若者が減っています。

AI時代にこそ輝く「ブルーカラー」の価値

これからAIがさらに進化すれば、ホワイトカラー、特にコンサルティングのような仕事の一部はAIに取って代わられると言われています。 しかし、現場で汗を流す肉体労働、いわゆるブルーワークは、AIには代替できない尊い価値を持ち続けます。

彼ら外国人労働者は、単なる労働力ではなく、これからの日本を共に支える「パートナー」です。

ひとみ綜合法務事務所の2026年

30年前、スマホもなく言葉も通じなかった時代。そして今、翻訳機はあっても「家族」がバラバラになってしまう時代。経営管理ビザの要件が厳しくなり、資本金3,000万円が必須となった今、甘い夢を見て日本に来られる時代は終わりました。

結局、時代が変わっても、人を動かすのは制度の条文ではなく、ボランティアの先生に届ける「畑の野菜」のような、生身の感情です。

早朝から勉強して仕事に向かう彼らの「真面目さ」は、どこか、戦後の焼け野原から世界に類を見ない経済発展を成し遂げた日本人を彷彿とさせるのです。AIには決してプログラミングできない、ブルーカラーの需要が高まる中、これからの日本の主役になるのは、誰でしょうか。日本人も、負けていられません。

本来、単純作業労働者を入管は求めていませんでした。特定技能など、現場で働く在留資格ができたのは、最近のことです。日本の労働力が不足しているからこそ、外国人を求めざるを得ない背景事情があるのです。

30年以上、現場で外国人に寄り添い続けたお母さんの言葉は、どの専門書よりも雄弁に心に響きました。 私たちは、厳しい現実と可能性の両方を引き受けて、今年も複雑怪奇な法務の山に挑みます。

ひとみ綜合法務事務所は、単なる「書類作成の代行者」に留まりません。変わりゆく日本の労働構造と環境のもと、それでも野菜を届けてくれる彼らと共に、令和8年もこの街で生きていきます。


行政書士法人ひとみ綜合法務事務所本店近くには、日本の歴史を感じるスポットが沢山。

行政書士法人ひとみ綜合法務事務所の本棚


行政書士やスタッフが子どもの頃に好きだった絵本を持ち寄りました。


2022年7月7日初版の「わたし生活保護を受けられますか」もう出版社さんにも一冊も在庫はないそうで、弊所にもこれだけしか残っていません。2024年の最新版には掲載されていないのが、弊所の設立秘話。


令和七年の大晦日、44歳(2分の1処理で22歳)のお祝いをしてもらいました。


お店で食べるてっちり鍋は高級ですが、私は自宅のてっちりの方が好きなのです。

元旦は、恒例の四天王寺への初詣に行ってきました。

徒歩10分かからず四天王寺に参拝に行けます。道案内しますね。


勝山通りを西へまっすぐ歩きます。


右手にホテル真法院大阪が見えます。歩道も広く安全です。


すぐに上町筋の交差点に出ます。左折します。


ぽかぽか良い天気。朝の空気は冷たくても日差しがあたたかい。


まっすぐ歩くとすぐに右手に四天王寺が見えてきます。

到着!

あけましておめでとうございます!


四天王寺は、推古天皇元年593年に建立されました。


物部守屋と蘇我馬子の合戦の際、蘇我氏側の聖徳太子が形成のふりを打開するため、自ら四天王像を彫ったといわれます。


戦に勝利した暁には、四天王を安置する寺院を建立して、この世のすべての人々を救済すると誓願。


そして、見事勝利。誓いを果たすために建立された四天王寺。


信子さん、お元気ですか?


伽藍配置は、四天王寺式伽藍配置と呼ばれます。


南から北へ向かって、中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、回廊が囲む、日本では最も古い建築様式の一つ。


不屈の精神で!


お気に入りのスポットへ!


千年以上の時を隔て新旧が一枚に。ハルカスと四天王寺


四天王寺の源流は、中国や朝鮮半島に見られます。6~7世紀の大陸の様式を今日に伝える貴重な建築様式。


明治以後の四天王寺は、明治維新の神仏分離令により、厳しい状況に置かれました。


それでも、人々からは依然、庶民信仰の寺として信仰を受け、行事も従来通り行われたそうです。


そして、昭和9年9月21日、室戸台風により五重塔は崩壊。金堂は傾斜破損、中門も壊滅。境内全域が相当な被害を被りました。


昭和15年、五重塔が再建されるも、昭和20年の大阪大空襲により、伽藍の北の一部の建物を残し境内のほぼ全域が焼失。


しかし、このときも復興への努力が尽くされ、昭和36年には伽藍、昭和54年には経堂が債権、その他の建物も次々と再興。


現在では、ほぼ旧観に復しているそうです。


現在は、飛鳥時代の様式を忠実に再現され、古代の建築様式が今に残る貴重な四天王寺。


都会にありながら、喧騒とは無縁の世界が広がります。


もっと強そうに見せて!


昨年の元旦も、同じ場所でポーズをとりました。あれから、一年。


昨年の元旦に亡くなった、私の生野のお母さん、信子さん、今も見守ってくださってありがとうございます。
今日のお洋服は、信子さんが半世紀近く続けた生野のブティック「ぽっく服店」のコーディネートです。とてもあたたかいです。


こんなに人が多い四天王寺は久しぶりです。観光客も目立ちます。


行政書士法人ひとみ綜合法務事務所は、あのあたりかな?


露店が多く並びます。


重要文化財の石鳥居は、鎌倉時代の木造鳥居を忍性(にんしょう)上人が石造り鳥居に取り替えたものだそう。神仏習合の名残。


この石鳥居は、極楽浄土の東門に見立てられ、西の海に沈む夕日を見て極楽を思う聖地だったそうです。最寄りは四天王寺前夕陽ヶ丘駅。夕陽がきれいな古くからある上町台地。


めでタイのお刺身とお客様の家庭菜園でとれたレタスとミニトマト


今年のタイは買ってきたものを焼きました。釣った鯛をお客様から頂いたときの方が、はるかに美味しかったですね。


左はカリフラワーのチーズ焼き。好評でした。

お年玉をもらいました。

ありがとうございます。

令和八年。ひとみ綜合法務事務所、始動します!