⑤組織内でのパワハラ、いじめから生活保護~行政書士法人ひとみ綜合法務事務所の相談事例から考えるPTAほか社会問題と日本の教育の課題

行政書士になるよりも昔、大阪市相手に公立小中学校にエアコン設置を求める訴訟を単独で起こしました。東京から大阪へ引っ越してきた私は、東京では相当前から当然のように公立小学校教室にエアコン設置がされているのに、体感的により暑いと感じる大阪市内の小学校にエアコンがないこと、避難訓練で娘を迎えに当時0歳だった息子を抱いて学校へ行くと灼熱で息子がぐったりしてしまったことから危機感を抱き即行動しました。

教頭先生に相談すると、そういうことはPTAに相談してと言われ、PTA役員さんを紹介してもらったのです。しかしながら、PTA役員会は男性が多数を占め、女性はお茶汲み係に徹しており、私が意見をしても
「東京風、吹かせて」
「緑のカーテン(植物を植えること)があるから大丈夫」
などと言われ、相手にされず。

「では、夏場の学校の暑さについて生徒や保護者にPTAがアンケート調査をして広く意見を募ってはどうでしょうか」
と私が提案すると、アンケート調査のためには紙代、印刷代がかかる。その支出をしていいかどうか、年に一度の総会で問わなければいけないと役員会での回答。

民主主義のルールを言われては、新参者の保護者としてはそれ以上何も言えず、では総会で紙代印刷代インク代の支出の是非を問うということで、よろしくお願いいたしますと。半年後の総会でもその約束は果たされることはなく、おかしなことを言う母親とその子供として、その後も随分悲しい思いをしたものです。

PTAは頼れるところではないとわかり、私は色々な弁護士事務所へ相談に行き、大阪市の小学校の教室がいかに暑くて熱中症がいかに危険なものかを熱弁しました。ただ、その場では弁護士さん方も共感してくださるものの、どうせ負ける訴訟(かつ面倒な訴訟)を受けてくれる弁護士さんは簡単に見つかりませんでした。そこで、自分で訴状を作成し裁判所に提出、私が作成した訴状を見てくれた弁護士さんお2人が後日共同受任してくれたのです。

教室の室温を裁判で示すなど弁護士の先生方も尽力して下さいましたが、当初から弁護士さん方に言われていた通り、やはり「お上に逆らわず」の判決(敗訴)でした。

ただ、その翌年の大阪市長選挙、当時の候補者平松さんと橋下さん、どちらも公約に『小中学校のエアコン設置』を掲げ、翌夏には実際に娘の小学校にエアコン設置が始まり、中学校では夏場も涼しく快適に勉強に専念できました。

『お前のお母さん、大阪市を訴えたんだろう。変な親だってうちの親も言っていたから、もう俺に話しかけるなよ。』
クラスメートに言われて落ち込むこともあった娘、中学に入ってから
『お前のお母さんが裁判したから、今エアコンが教室にあるってみんなも言ってる。ありがとう』
と言われたと、喜んでいました。

司法に訴えるということは、その裁判の勝ち負けだけでなく、硬直していた社会問題(実際裁判前10年以上にわたり校長会がエアコン設置を市に要望しても暖簾に腕押しだったそう)に一石を投じ前進させる力になり得ることを、この経験により私は実感しています。

それでは、オリンピック連載最後のブログ、「女性蔑視や人権問題などを巡るオリンピック関係者の辞任が海外メディアに注目されることが再び起こらない」そして、東京五輪が掲げる「多様性と調和」ある日本社会となるため、教育、PTAがどう変わるべきか、どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

1.任意団体PTAの理想的な活動

現在のPTAの活動には、多くの保護者の目から見て「無意味な古い慣習的活動」「喜ぶ人はいるのだろうか?」と思えるようなものが多いかもしれません。

無駄な経費、不必要に多い会議。教職員に支払う多額の慶弔費の問題などが、全国的なPTAの傾向として挙げられます。
毎年4月になると、PTAに関連する行政書士法人ひとみ綜合法務事務所へのご相談は、急増します。インターネット上にも
「PTAの委員をやっているために、せっかくの休日を1日よくわからない行事に費やされた」
「くじ引きで委員を押し付けられてしまったばかりに、この1年間はほとんど休日がなくなる」
といった書き込みがあふれています。

そのほとんどが、PTAの委員になりたくない、くじ引きで仕事や介護といった事情を無視して、強制的にPTAの仕事を押し付けることへの疑問の書き込みのようです。そうかといえば、専業主婦層からの
「自分は子どもや家族のために専業主婦をしているのであって、専業主婦は暇だからPTAの仕事をやるのが当然、という見方は不公平。やっぱり公平にくじ引きで決めるべき。」といった反論も実は根強いものがあります。

このような論争は、親と学校が二者協力して、子どもの豊かな教育を実現するといった本来のPTAの存在意義、目的を考えたとき、あまりにも空しく、悲しく響きます。

一般的にあまり知られていないことですが、今のPTAが日本で拡がったのは、第2次世界大戦後です。義務教育は、国家による統制が厳しかった戦前の教育に代わり、民主主義を基調とした教育に生まれ変わりました。このとき、子どもだけでなく保護者にも民主主義を浸透させるために、GHQがPTAを推奨したのが発端なのです。


日本で一番高い商業ビル、大阪マリオット都ホテル19階ロビーにて。左端にいるのは、テレビに今引っ張りだこ、スマホを駆使する若手アーティスト萌白さん。いつも空き時間(このときもお客様待ちでした)は、下を向いてスマホやiPadで作業をしていました。

ところが、現在は民主主義とは真逆の方向に暴走しているPTAもあるのです。学校の管理職や教職員、市議会議員らと金銭的にもずぶずぶの関係にあるようなPTAであっても、「私的団体」という位置付け故に、行政は介入しません。いえ、そのことを盾に行政は都合の悪いときだけ、逃げているともいえます。

今もPTAが入退会自由の私的団体であることすら知らない人が多いため、次の問題もまた周知されておらず、誤解を生じやすいのです。
その問題とは、PTAに加入せず、PTA会費を支払っていない親子がPTAの主催する行事に参加することの可否です。実際、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所にもこれまで、PTAに入らない選択をすることで子どもに不利益があるのではないかというご相談は、全国の保護者の方から寄せられています。法的事実をご説明すると安心されて、では退会届を作成してほしいというご依頼になった方も。

学校という、義務教育の公共施設を活動の拠点とするPTAは、非加入世帯の子どもや保護者だからといって、差別など当然できません。ところが、こうした法的な解釈について誰も知らずに運営されているPTAは、実際には多いのです。

そのため、PTAを退会した保護者やその子どもが差別に遭い、学校行事であるにもかかわらず肩身の狭い思いをするといった問題も全国的に起きています。大阪でも、某私立校の卒業式でPTA非加入世帯の子がリボンを貰えないといった悲しい事態が、大々的に報じられたことがありました。

実際に教育現場におけるいじめにもつながっているこの問題を、かつて大阪市がしたように「私的団体だから行政は非介入」とすることは、あまりにも行政として無責任でしょう。そもそも、国策の一環として導入されたPTAの性格を考えると、他の私的団体と同列には考えられない部分が大きいのです。

かつて私は、大阪市天王寺区の区政戦略委員を務めたことがありました。大阪市の橋下徹前市長の秘蔵っ子、最年少の区長として注目されていた当時の区長は、
「私的団体なのにPTA問題を行政で取り上げると、他の私的団体との公平性に欠ける」
と発言されたことがありました。が、これもいささか的外れなのです。教員もPTA会費の負担をしているものの、入退会の自由は実質保障されていません。定年退職まで公立小中学校に勤めた元教員でさえ、そのような自由があることを知らない人が大半です。国立大学卒業後、定年退職まで公立小学校教員を全うした私の母にこのことを伝えても、
「PTAは教員はやめられないの。会費を払わないといけないの。」
という言葉が返ってきましたから。

未来の日本を担う、希望と可能性に満ちた子どもたちの教育現場で、このような不透明なPTAが存在し、母親たちを苦しめることは、百害あって一利なし。

長年黙認されてきたPTAの闇も、一部の地域では徐々に解消の動きが出てきています。支払済みのPTA会費と慰謝料など合計20万円の請求があった熊本県における裁判では、任意加入の団体であることをPTAが公表していなかっただけでなく、退会届を提出しても受け取らず、会費の請求をし続けたという事実が明らかにされました。これは、憲法が定める結社の自由にも反することです。こうした各地の勇気ある保護者らの行動により、PTAが任意加入の私的団体であるという事実は、少しずつ知れ渡るようになってきました。

では、任意加入の原則が徹底された後の、未来のPTAの理想的な活動とはどのようなものでしょうか。そのヒントは、全国に先駆けていち早く「入退会自由」を打ち出した、2校の小学校の例に垣間見ることができます。

札幌市のある小学校では、入退会の自由を全保護者に明確に開示し、選択の自由を完全に保障している現在も尚、PTA加入率は9割を超えるという。最初から入会しない人、途中退会する人、再入会する人、すべての人の選択を尊重しているそうです。押し付け合いになりがちな、PTAの委員等の役割も、「やれる人がやる」というスタンス。このような風通しの良いPTA活動をしているからこそ、多くの保護者の支持を受け、高い加入率を維持していると考えられます。

一方で、沖縄県の小学校においては、PTAの自由加入を徹底した結果、従来型のPTAが事実上なくなったそうです。学校とは完全に切り離し、活動も連携しておらず、今後のPTAの形は模索中とのこと。「活動をしたい人が率先して活動する」「誰もやりたがらない活動は廃止する」こうした流れは、私的団体である以上当然のことといえるでしょう。

これまでの、全保護者をほぼ強制的に自動加入させることで、組織の収入と活動を維持してきたことが、時代遅れといえるような活動や無駄な経費の支出を許してしまっていたのです。沖縄県の小学校の例は失敗例でも何でもなく、むしろ健全な私的団体に戻ったことを如実に証明しています。

任意加入のボランティア団体であり、かつ入学や卒業によって団体構成員の入れ替わりの激しいPTAは、決まった理想形をつくらないことこそ、本来の健全なPTAの姿であると私は考えます。現状のPTAの問題の1つに、残業時間が多く業務過多の教職員の負担軽減の役割を担わされているという実態があります。児童、生徒の校外活動の手伝いや運動会などの学校行事の手伝いをPTAの委員が中心に行っていることが、それに該当します。

そのため、PTAに加入しないという選択をした保護者に対して、「自分の子どもの面倒を見ることを放棄して、他人に押し付けるのか」といった批判をする向きもあるわけです。しかし、こうした教育の直接的な手伝いは、何も私的団体であるPTAを通さずとも、都度学校が直接保護者に対してボランティアを呼びかければ済むことでしょう。年間を通した委員等のPTA業務ではなく、行事やイベントごとの単体の手伝いであれば可能、わが子の活動を見ることもできるから参加したいと考える保護者は意外と多いかもしれません。保護者に限らずとも、地域の人たちにも広く教育活動に関わってもらうという方法もあります。

PTAは学校になくてはいけないもの、という固定観念をなくすことが必要ではないでしょうか。その年に在籍する児童、生徒の保護者の自由意思に任せるべきなのです。強制や義務感ではなく、真のボランティア精神でもって子どもの健やかな成長を願って集まった人たちで、全児童、生徒のためにできること、したいことを民主的に協力して行う。そこには上下関係など存在するべくもなく、行政の便利な手足となって動かされることもない。

私的団体であることを盾に行政が介入せず、PTAがいじめや会計不正の温床となることを防止するために、PTAをNPO法人化するという方法もあるでしょう。特定非営利活動促進法の定める、特定非営利活動に該当することが条件であるため、義務教育の現場を活動拠点とするPTAの大原則の周知にも役立ちます。「不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与すること」がNPO法人の条件です。NPO法人化することで、子どもの学校の卒業と関係なく、PTAが好きで子どもたちの健やかな教育と成長を見守り、役立ちたいと考える人は、永遠につながることができるでしょう。不特定多数の者の利益に資するNPO法人ゆえに、学校の垣根を超えて活動に参加することもできます。

働く母親が当たり前の昨今、しかも少子化で一人っ子が増え、親の帰宅まで独りぼっちで過ごす子どもも多い現状。NPO法人化したPTAは、孤立化した親子のサポートをするなど、従来のPTAにはできなかったことも自由な発想により、行うことができるようになります。どんな活動をするかは、PTAに積極的にかかわりたいメンバーで話し合って決める必要があります。もちろん、透明で民主主義的なアンケート調査も必要でしょう。やろうと思えば、バリアフリー計画の策定などコンサルティングに近いことだって、できないわけではありません。PTAがNPO法人となることで、他のNPO法人と合同で活動を行うこともできます。次項においては、このNPO法人化したPTAの教育への関わりも絡めて、義務教育期間の理想の教育について私の考えを述べます。


こちらは、コンラッド大阪のロビーにて。萌白さんは、オブジェに興味津々でした。萌白さんは一緒にいても後ろを振り返るといなくなっていて、魅かれた何かを追いかけていっていた・・・なんてエピソードが山ほどあります。

2.人格形成期における教育の理想

義務教育期間は、人格形成期であると同時に、身体機能も発達途上です。ますます多様化するグローバル社会において生き抜いていくことは、これまで私たち大人が経験した社会人生活以上に過酷なものであることが容易に予測されます。

だからこそ、子どもがその先の長い人生を力強く、自分の足で生き抜いていく力、すなわちサバイバル能力を身につけさせることが、これからの教育においては必要だと私は考えます。

日本の現在の学校教育は、実用的カリキュラムが徹底しており、系統的内容を計画的に指導できるようになっています。日本全国どこにいても、文部科学省が策定した、学年相応の学力を身に着けることができるのです。もちろん個々の生徒の到達する学力には差がありますが、学年の内容を未履修のまま次の学年に上がるということは現在の日本の教育システムではないのです。

学年の到達目標と指導内容が細かく決められていて、日本のどこで教育を受けようと、都会だろうと僻地だろうと一定の水準を保つようにシステム化されているのです。カリキュラムというものは船の羅針盤のようなもので、それがなくても船は航海できるものの、近くの港にしか行けないこともあります。しかし、方向を示す羅針盤があれば、船は遠くの港まで行けるのです。そうした意味では、現在の日本の教育システムは優れている面も多いのです。

現在の優れた教育システムは温存しつつ、荒野に放置されても生き抜く力を身に着けさせる教育が究極の理想です。サバイバル力は他者との協力なくして成り立ちませんが、それと共に次の3つの力が必要であると考えます。

① 自発的な情報収集力
② ものをつくる創意工夫力
③ どんなときでもどんなことでも楽しめる力

では、どうしたら、この3つの力を、義務教育を通して育むことができるでしょうか。まず、自発的な情報収集力ですが、これはもちろんテレビやインターネットで拾う受身的な情報収集ではありません。

生きた情報は、自分の行動によってしか得られません。しかし、この部分の適切な教育を受けられずに育ってしまった現代の若者の多くは、それを理解していないのです。必要な情報を自ら得るためには、自分が何を必要としているのかを明確に把握し、相手に発信し、かつ相手に理解してもらうことが不可欠。生きていく上で当然の術なのですが、自分が何を欲しているかさえわからず、迷走してしまう若者が多いことから、義務教育における教育の重要性が明らかです。

日本の良質な教育カリキュラムによってすべてを用意され、大事に育てられた子どもが大学生になり、就職活動をする段階になると、自分が何をしたいのかがわからず、突然社会に放り出されるような感覚になる若者が増えています。

結果、就職活動から逃げてプータロ―になったり、ニート、果ては引きこもりになる若者が急増したことにより、近年は社会問題の1つとなっています。人間は十人十色。さまざまな価値観、才能、可能性があります。そのことを、子どもを教育する教員や親が理解し、義務教育期間に子どもの主体的自主性を尊重することが何より重要な鍵を握るといえます。

サバイバル力を培うために必要な2つ目の力である、ものつくり、創意工夫力を身に着けさせるためにはどうすればよいでしょうか。
部品を組み合わせて身近な道具を作る、Maker運動を義務教育で取り入れるべきです。トライ&エラー、試行錯誤を繰り返しながらものを作り上げていく過程を体験できるだけなく、普段何気なく用いている電化製品の作りが理解できるようになります。

発展途上国の幼児は、自ら火をおこし、野菜を育てる。そしてナイフを使い、肉をさばきます。こうした視点で考えると、総合的な生活力は先進国の子どもたちよりも優れているともいえるでしょう。逆転の発想で、電化されている道具を手動化させる作業を日本の子どもたちに取り組ませることができるのです。日本にいながら真のサバイバル力を養えるだけでなく、発展途上国の理解にもつながるわけです。

生きるため、幼い頃から知恵を絞って必死に生活している同年代の子どもが同じ地球上で同じ時代を生きていることを知ることは、平和であることが当たり前となっている日本の子どもたちには尊い経験となることでしょう。

最後に、「どんなときでもどんなことでも楽しめる力」の義務教育での育ませ方について考えてみます。子ども、高齢者、障がい者、外国人といった、ある種の弱者の視点を子どもたちに体感させることで、今ある日常の有り難さを感じられるようになるでしょう。

自分の存在を客観視できるようになることで、生きている以上、楽しまなくては損だというプラスの思考に、若いうちから転換する一助となるのです。

2011年3月の東日本大震災による津波被害で、福島第一原発の前代未聞の大事故が起こった。事故が起こる以前から、地震大国における原発の危険性や事故の予防策が不十分であることを指摘する声は専門家の間でも上がっていたにもかかわらず、かき消されてしまいました。

そして、福島第一原発の収束もつかぬというのに、停止していた他の原発の再稼働に踏み切ってしまったわけです。今回のブログテーマから外れるため、本件は残念ながら触れないでおきますが、原発事故の影響もあり、昨今ますます多様なエネルギーの開発が進んでいます。一般家庭における太陽光発電や、自家発電も奨励されています。今後エネルギー供給自体が破壊されることも、世界的な不安定情勢を見るにつけ、可能性は否定できません。子どもだからといって、こうした大人が危機感を抱く現代社会の実情や懸念される問題から遠ざけるのではなく、学校で時事問題についてもっと積極的に取り上げるべきなのです。生徒同士で意見交換をしたり、議論できる場を増やすべきです。

良い意味でも悪い意味でも平和ボケした日本で、狭い視野の下に暮らしていると、恵まれた環境であるにもかかわらず、幸せを感じられなくなってしまうという不幸な大人が増えているのです。「知る」ことが何より重要なことであり、そのためには読書も非常に有効です。スマートフォンの普及により、大人も子どもも、読書離れが止まりません。これは子どもたちに教育する以上、私たち大人がまず自己の行動を改めるべきではないでしょうか。

周囲が持っているからスマートフォンを持つ、みんながLINEやツイッターといったSNSを利用しているから、何となく自分も利用する、自己決定権なしに、何となく時代に流されてしまってはいないでしょうか。

理想の教育を語る以上、学校という教育現場だけでなく、地域ぐるみのサバイバル力の育成が望ましいと考えます。災害があったとき、避難所で配給を待つ側から一歩踏み出せるような主体性を持った地域を大人がつくっていくことが、そのまま子どものサバイバル力の形成に直結するのです。その地域のサバイバル力が試されているともいえます。

また、観察を通じて洞察力を養わせることは、子どもが自らを省みる一助となります。生き物の観察や農産物を育てるといったことは、学校単位でも行われています。しかし、もっと大規模に、地域ぐるみでダイナミックな活動をすることが望ましい教育の形といえます。まだまだ発展途上の身体を使って、五感を存分にはたらかせながら、様々な体験を通して学ぶことが大切なのです。

心の発達が知能の発達にも影響していることは、先の項で紹介したコロンビア大学による大規模教育実験においても立証されています。しかしながら、既に決められている教育課程にこうした活動すべてを包含することは難しいもの。教員の多忙さを考えると、現実的な提案ではないかもしれません。

そこで、こうした課外活動を支援するために、NPO組織のPTAが活躍できるのです。現状のPTAのように、無駄な会議や誰の役に立っているのかわからないような行事に費やすエネルギーとお金を、ますますグローバル化し、厳しい社会情勢を生き抜いていかなければいけない、子どもたちのサバイバル力の形成のサポートに転換するのです。昨今、防災に必要な食糧源を賄う、といった街づくりを兼ねたプロジェクトが全国各地で起こっていますが、まだまだ大人が中心となっています。これを、中学生視点で行えるようになるには、どうすればよいか。そんなことを、子どもたちの健やかな成長を願う真のボランティア精神から集まったメンバーで話し合い、民主的に意思決定して、建設的な行動に乗り出していく。

PTAの存在する都道府県、地域ごとに、地理的、歴史・文化的特色を活かした学びのプログラムを子どもたちに策定する。子どもたちの教育と成長を真剣に考える大人たち(保護者に限らない)であれば、私が今このブログで提示したような内容よりも、もっとずっと優れた教育プログラムの案が出せるでしょう。

大人同士が平和的に、民主的に物事を話し合って決める。一つ一つのプロセスが誰にとっても明らかで、透明性が確保されている。

差別も陰口も、足の引っ張り合いもなく、困った人に手を差し伸べることが自然にできる。
自分に余裕があるときは、率先して周りの人のために働く。
仕事として教鞭を執る教職員ではない、保護者や地域の人が無償で一体となって、自分たち子どものために協力して活動してくれている。
自分の親だけではなく、周囲のすべての大人が自分の成長を見守ってくれている。こうした地域ぐるみの愛情を受けることで、子どもたちは言葉で教えられなくとも、平和で民主的な社会で生きていくための術と世界平和に資する思いやりの心を学ぶことができるのではないでしょうか。


コロナ前、令和元年6月に行政書士法人ひとみ綜合法務事務所のメンバーで、大阪府行政書士会公式行事ボーリング大会に先立って練習をしたときの様子です。

3.おわりに

夏目漱石は、明治期の日本社会をどう見ていたでしょうか。

かかる下りで始まる「草枕」。
知に働けば角が立つ、情にほだされば流される。

令和の世もさほど変わらないのかもしれません。
現在のPTAは、知に働く人と情にほだされた人たちで成り立っています。いえ、情にほだされずとも、強いられている人もいるでしょう。PTAが任意加入の私的団体であるという事実を、果たしてどれだけの人が知っているでしょうか。

一部の都道府県においては、徐々にこのPTA問題が認知されてきているものの、まだごく一部です。特に関西、大阪においては、この事実を広く保護者に認知すべきだという声を上げることさえ許されない雰囲気がありました。関東の平均的なPTA会費は年間で三千円程度ですが、大阪ではその倍以上です。大阪は貧困家庭の割合が全国平均と比べて高いにもかかわらず、ひとり親家庭の保護者も「子どものために」と、給食費と同じ義務だと思い込んでこの会費を支払っているのです。

そして、その会費は「平日の昼間」に「高級シティホテル」に「単身」で出かけることのできる人―多くは生活水準の高い専業主婦であるーの飲食費として毎年数十万円が支出されていました。さらに、その「下見」と称した大勢のグループが事前にホテルで飲食を楽しむ、いえ下見をするための飲食費・交通費全額としても支出される。全国的に注目された、かつての某都知事の豪華海外出張のミニマム版です。校長・教頭・PTA会長らが出席する料亭での会合では、1人6千円の飲食費は、全て保護者が子どものために義務だと捉えて支払う、PTA会費から支出されていました。

上記の事実を含め、民主主義的に全保護者に会費の使途を公表すべきだと訴えたとある保護者は、PTA役員から徹底的な嫌がらせを受け、学校管理職もこれを助長したのです。声を上げた保護者の子どものいじめにまで発展し、頭を後ろから凶器を使って殴られる、成績表を隠されるといった陰湿ないじめにより、ついに転校を余儀なくされたのです。

「PTAは任意加入の私的団体であり、保護者には選択の自由があること」
誤解を招かないよう、ただこれだけのことを公表すればいいことなのです。
多勢に流される日本人は、それでも深く考えず多くの人はPTAに加入するかもしれません。しかし、選択の自由があるとわかれば、非加入世帯も出てくるでしょう。そうなったとき、真の組織的内部浄化作用が機能することが期待できるのです。

会計をクリアーにして、時間的余裕がない母親にあまり意味のないような負担を課すことを見直すでしょう。参加したいと思わせる、魅力的なPTAにしなければ、組織を維持できないからです。このような組織の透明化と創意工夫は、PTA以外の私的団体は当然のこととして、行っているのです。

既得権益や自己の利益のみに捉われず、広く日本社会全体が公正に透明化するよう一人一人が心に留め、行動しなければ、誰もが生きやすい世の中はつくることができません。

平和の祭典オリンピック、この連休で連載した一行政書士のブログが、日本の教育のあり方を見直す何らかのきっかけになれば、これほど嬉しいことはありません。

⑤組織内でのパワハラ、いじめから生活保護~行政書士法人ひとみ綜合法務事務所の相談事例から考えるPTAほか社会問題と日本の教育の課題”へ3件のコメント

  1. みき より:

    印刷代の支出に総会で問う?!
    それはおかしいですね、印刷代の支出は
    毎年の予算から出せるでしょう
    会則を改訂するわけでもないのに
    総会を通すなんて大袈裟な。
    アンケートやりたくないから、
    煙に巻くために言ったんでしょうね。
    保護者の無知につけこんで保護者が保護者をバカにしているし
    保護者が無知のままでいてくれたほうが
    強制加入、強制徴収し続けられるから…。
    違法運営を是正できない組織に
    なんの存在意義も感じません。

  2. 神宮寺ぴこ より:

    一連のコラム拝見しました。
    わたしはPTAの問題を改善するために主にTwitterでいろいろな方と情報交換をしています。
    Twitterをされていましたらお時間のある時にでものぞいていただけたら参考にしていただけることもあるかと思います。
    PTAの適正化にともに頑張りましょう。

    1. 神宮寺ぴこ より:

      書き忘れましたがTwitterのIDは
      @JingujiPico
      です。

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