国立大学を卒業して教員に~苦学生だった私と生活保護~

行政書士法人ひとみ綜合法務事務所の事務長の三木博之です。


この写真は、今年の44歳の私の誕生日を事務所スタッフの皆さんに祝っていただいたときのものです。若い頃からコンタクトレンズで目を酷使していたところ、網膜剥離寸前(眼球の収縮時に通常、網膜と眼球が離れるところ、近視が強いため網膜が離れないまま眼球収縮が起こり、それに引っ張られ網膜が破れた)という状態になってしまい、以来眼鏡になりました。

苗字が同じなので、『女性行政書士の三木ひとみ先生のご兄弟(ご家族、ご夫婦、etc…)ですか?』と、お客様から質問を受けることも少なくありません。念のために先に申し上げておきます、私と三木ひとみ先生は親族ではありません。


既に行政書士2人と事務員の原さんは、生活保護と自身との関わりについてブログを綴り、それぞれホームページの事務所概要プロフィール欄に公表しています。

私も経済的には厳しい家庭で育ったものの、生活保護には至りませんでした。父親が自営業(八百屋)で、時代の波と共にスーパーやコンビニに客足を奪われ、トラック運転手に転職。バブル末期に運悪く自宅購入してしまったため、ローン返済額が非常に多額で、子どもの頃に旅行や外食をした記憶は一切ありません。

母親は家族の介護をしながら、近所のクリニックでパートをしていたので、一人っ子だった私はいつも留守番でした。小学生の頃から家で料理をしていましたが、実験のようで楽しかったことは幸いでした。時計やテレビを分解して、組み立て直すことも好きでした。

成績は良かったので、小学生の頃の家庭訪問で担任が父親に、この子は国立大学に行って教師になれると言ったようで、父母共に経済的に大学に行けなかったため大喜びされた記憶がおぼろげに残っています。

家計の厳しさは母親からよく聞かされていたので(父は八百屋時代の借金も背負っていました)、私大に行くという選択肢はありませんでした。大阪教育大学に独学で現役合格し、小学校の担任の予言通りに国立大学を出て、中学・高校の数学教師になりました。

今も大阪の私立高校で教鞭をとりながら、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所の主にIT・経理部門で裏方として支えています。


教員になって20年。ようやく来年4月で、奨学金返還の特別免除(全額免除)に必要な期間に到達する見込みです。先日届いた、猶予中だった奨学金が返還特別免除になる予定の通知書を見て、あらためて感慨深く思ったものです。

しかしながら、この免除職制度は今はなくなってしまい、私の2年後に国立教育大に入学して教員になった後輩は奨学金を返済していっています。

日本の47全都道府県に国立の教育大学は存在しますが、その規模は様々です。私の母校の大阪教育大学は、全国から教員志望者が集まる大きな教育大学でしたから、同学年でも北海道から九州まで幅広く学生が集っていました。

なぜ地方の学生がわざわざ大阪の教育大学を選ぶのか。理由は個々に違えども、多数派は「教育の質が高い、教授のレベルが高い、社会的評価も高い」といったところだったように思います。そして、私も含め、学生の多くは苦学生でした。片親家庭だったり、地方から出てきて仕送りは家賃で消えてしまい、生活費はアルバイトという学生が沢山いました。

私の周囲には、日々の食費を削るというのが当たり前という感覚の学生ばかりで、授業料については殆どの友人が奨学金でした。昔の育英会、今は学生支援機構になっています。

家計が苦しく、奨学金全額免除になる制度があるから国立の教育大学を選んだ学生も多く、私もその一人でした。免除職の要件を満たすために、当然勉強も熱心で、教員採用試験を受け、真面目に教職に就いて20年間という同級生ばかりです。

アルバイトに明け暮れて勉強しないのは、地元大阪の学生、自宅通学で生活に困らない学生ばかりでした。私の感覚では、育英会の全額免除の奨学金制度があったからこそ、全国から優秀で真面目な苦学生が集まり、親の財力にかかわらず教職に就くという選択肢があったことは希望の光でした。

私の同級生でも、途中で教員を辞め、転職するなどして奨学金免除にならなかった人もいます。その人たちは、ずっと返済に苦しんでいました。長期間の返済で、その間に家庭を持って養っていかなければいけない、家族や自分が病気になったりと、事情も変わります。

だからこそ、本当に教員を目指す人の夢をつなぐために、免除職は残してほしかったと思っています。私は幸い、ギリギリ制度に守られる時期だったので、大学院に行くこともできました。後述しますが母が交通事故に遭って要介護5、障がい1級で常時介護が必要な状況にならなければ、研究と勉強を続け、貧乏な学生でも慎ましく夢を完遂することができたかもしれません。

私の場合は、月に10万円の奨学金を受け、年間120万円。学費は国立で年間60万円ほどでしたから、生活費として年間60万円、実家から通えたことも幸いしてアルバイトをすることもなく、ひたすら勉学に打ち込むことができました。本当にこの制度には感謝しています。行政書士の三木先生は高校から育英会の貸与型奨学金、ご両親が公務員で収入が一定以上あったことから有利子で返済には非常に苦労したと聞いています。

家族が裕福でも扶養義務が果たされず、経済困窮したご本人が生活保護を受けているケースは沢山あります。同様に、学生についても単純に家庭の経済力によることなく、本人の意欲と努力で道を拓くことのできる選択肢を用意してあげることが、めぐりめぐって社会に還元されるはずです。

話は変わって、2020年ノーベル賞の自然科学3賞が決まりました。医学生理学賞はC型肝炎ウィルスの発見、物理学賞はブラックホールの存在を証明した研究、科学賞はゲノム編集技術の開発。今年のノーベル賞は、一般になじみのあるテーマが授賞しました。

お恥ずかしい話ですが、私も学生時代はノーベル物理学賞を本気で取りたいと思っていました。数学的手法を用いて、アインシュタインも存在を信じなかったブラックホールを理論と観測から証明した功績は偉大です。ブラックホールを巡っては、近年も新発見が続いていて、今後に期待がかかります。ホーキング博士が提唱したホーキング放射によって蒸発するブラックホールの問題など未解決の課題も多く、わくわくします。

今年のノーベル物理学賞にブラックホールに関する研究で貢献して受賞した3名のうち、ロジャー・ペンローズ氏は故スティーブン・ホーキング氏(1942-2018)とともに研究されていた方だそうで、不意に中学生の時の記憶が蘇りました。

私が子供の頃は、ブラックホールというとSFアニメに出てくる
「すべてを吸い込む穴」
「脱出不可能なもの」
といった、宇宙の中でも最大級の危険として描かれていて、私も当時はその程度の認識でした。

でも、中学3年の頃、NHKでスティーブン・ホーキング氏の論文発表か何かの放送を見て衝撃を受けました。もともと天体や宇宙に興味があったこともあり、食い入るようにその放送を見たことを、よく覚えています。それが、私がスティーブン・ホーキング氏を知ったきっかけでした。当時の私は(今も大して変わりませんが)内容なんて理解できるわけもなく、ただただ、すごいことを発表している博士がいる!という目で見ていました。

その発表後、内容を簡単に要約したようなものがニュース番組などで話されているのを見て、少しは分かった気になった、嫌な子供だったと思います(笑)。ネットが普及していない時代、情報がすぐには手に入らない時代だからこそ、あの放送は私にとって衝撃そのものでした。中3であった私は、その放送の数か月後に高校入試を受けたのですが、偶然にも英語の試験の一題がスティーブン・ホーキング氏のこの発表が内容だったので、心の中でほくそ笑んだ記憶があります。(もちろん、英語を訳さなくても解答できました。)

そんな出会いもあり、そこから暫くは本気で科学者(当時は物理学者という認識はなかった)を目指して理科ばかり勉強してました。ただ残念なことに、化学は得意でしたが、物理はダメで、特に波動が苦手だったので、数学の方に進んだのですが(汗)大人になった今でも宇宙や天体は大好きで、常に最新の研究に関心があります。

圧縮中性子からブラックホールができるんじゃないか?
高密度エネルギーの衝突で空間に穴が開くのでは?
SFの域を出ませんが、そんなことを本気で考え悩んだ大学時代もありました。

素人でもブラックホールが光まで吸い込む超重力の天体であることは知識としては知っていたので、どうやって観測するの?電磁波使うの?などと断片的に考えたり、ハッブル望遠鏡のニュースなど見ると、何が見えた?見つかった?とワクワクしてニュースを見る、変な大人になってしまいました。

ここ10年くらいは仕事に追われ、ゆっくり宇宙に思いを馳せる機会は減りましたが、自分の受け持つ生徒が「宇宙工学を志望します」なんて聞くと、無駄に長話をしてしまいます。まだ受賞者の研究内容にはしっかり目を通せていませんが、久しぶりに童心に戻って内容を吟味したいと思いました。

今年のノーベル賞の話からつい飛躍してしまいましたが、話を戻します。

私が研究者を目指し、非常勤で数学教師をしながら大学院に在学していた20代の頃、長年近くのクリニックにパート勤務していた母は、スピード超過のバイクにはねられ意識不明となりました。

半年間意識は戻らず、もうダメだ諦めるしかないと何度も医師含め周囲に言われましたが、兄弟もいない私にとって母はかけがえのない存在で、現実を受け入れることはできませんでした。勤務していた高校の昼休みに母の病院に毎日通い(面会時間が限られていたため)、トラック運転手だった父も夜間仕事をして昼間は毎日病院に行っていました。男二人となった実家は静かで、掃除をする気力もなく、洗濯だけは何とかする日々で、生活は荒んでいきました。父は寝不足で自損事故を起こしてしまい、トラック運転手を続けられなくなり、私も大学院を辞め、負の連鎖でした。

そんなとき、まだ行政書士になっていない三木ひとみ先生と共通の知人を介し、知り合ったのです。2008年のことでした。

落ち込み、悲観し、殻にこもっていた私を、三木ひとみ先生は現実に戻してくれました。ゴミ屋敷と化した我が家を見て驚愕した三木先生は、自分の実家も汚かったけれどここまでひどくなかったと正直に言いました。私と父は、奇跡的に意識が戻った母親を自宅で介護したいと思っていたのですが、こんな不衛生な家ではみんな病気になってしまいますよと、三木先生は容赦なく言い放ち、古い一軒家を一緒に掃除してくれました。

交通事故の保険関係も、障害年金などの申請も何もわからず放置していたため、母の医療費も家計を圧迫していました。また、母は認知症という診断をされ、私は交通事故の後遺症で人格が変わってしまった母は認知症ではないという非常に強い違和感を覚えながらも、医師に意見することも憚られ、要介護2とこちらも納得がいかないほど低いものでしたが、そういうものなのかと諦めて何も行動はしていなかったのです。ただ、これも三木ひとみ先生がすべて解決してくれました。

弁護士さんを一緒に探してくれて、沢山の法律事務所に出向きました。しかしながら、
『お母さんの意思疎通が困難なら、まず成年後見人をつけてください』
と言う弁護士ばかりで、私が弁護士に言われる通り家庭裁判所に後見申立てをしようとしたところ、三木先生は、これに反対したのです。

『家族が後見人に選ばれるとは限らないから、そうなると成年後見を利用することで後々大きな後悔となるかもしれませんよ。』
と、自分が調べた法的、制度的知識をわかりやすく教えてくれました。

そして、成年後見を利用しなくても受任してくれる弁護士の先生を探し、弁護士報酬を節約して少しでも手元にお金が残るようにと、自賠責保険の手続きは自力でやるよう助言してくれました。

また、要介護2は不当だとして介護認定の調査にも三木先生が立ち会ってくれ、これはよく驚かれるのですが結果として要介護5となり、その後3年間続いた在宅介護においても毎日ヘルパーに来てもらい支援を受けられたことで、私と父は悔いを残すことなく母と家で再び過ごすことができました。

また、母が交通事故に遭ったあとも、恥ずかしながら任意保険のことなど気にすることもなく放置しており、銀行からの保険料引き落としが続いていたのですが、これも三木先生が気付いて保険会社各社に連絡をしてくれ(母は心配性で沢山の保険に入っていたのです)、必要のない保険料の引き落としが止まっただけでなく、逆に保険金が入ってきました。

ここでも三木先生の機転により、当初障害度合が『認知症』などと軽く見られ支給不可とされたものも、病院を変えて脳神経の専門医に新たに『高次脳機能障害』と診断をしてもらったことで、高度障害が認められ、正当な保険金を受け取ることができました。

特に、住友生命保険の保険金200万円ほどの支給決定の要となった印象的なエピソードがあります。

自力でものを食べられるかどうかという点において、保険会社は「食べ物を(たとえ手掴みだろうと)口に持ってこれるかどうか」で判断しようとしたのです。

三木先生は当時の担当医と何度も裏でやり取りをして、重度の高次脳機能障害であっても手が動く限りほぼ人間の反射的行動として食べ物を口に運ぶこと、でもそれは「食事をする」認識が伴っていないのだから、自力で食べられるとは言いませんよね、でも保険会社は・・・と畳みかけました。

結果的に医師は、保険会社が調査に来た際、私たちの立ち合いの下ではっきり答えてくれたのです。

保険会社「お母さんは食べ物を自力で口に入れることができますか?」
医師「できません!」

晴れて、保険金と事故後数年にわたり払い続けた保険料もすべて戻ってきました。

その後、三木ひとみ先生は行政書士となり、当初は個人事務所でしたが最初の一年から「行列ができる行政書士事務所」でした。大阪市北区の共同オフィス近くのビジネスホテルに泊まり込みで仕事をするような日々だったため、同じ共同オフィスで仕事をしていた榎田啓先生と法人化するにあたり、私もこれまでの恩返しをしたいという思いから、経理事務IT分野のサポートを申し出たというのが、私が行政書士法人ひとみ綜合法務事務所のメンバーの一員になった経緯です。


法人化する直前の、まだ榎田啓先生と三木ひとみ先生がそれぞれ個人行政書士事務所だった頃の写真です。

私は行政書士資格もありませんし、理系出身で法律の勉強もしておらず、お客様のご相談に関わることはありません。とはいえ、コロナ前から行政デジタル推進は加速しており、IT分野において行政書士法人ひとみ綜合法務事務所を支えているという自負があります。

ITといえば、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所の代表榎田啓先生は、国内有数のITに精通した行政書士でしょう。ホームページ作成、管理、運営すべて法人内部で行っているため、常に最新情報に照準を合わせています。


IT特化型行政書士事務所なので、今年はスタッフそれぞれ基本リモートワーク中心でしたが、役所やお客様先へ複数で出向く際も、十分なソーシャルディスタンスが確保できるように配慮していました。お客様に安心していただけるよう、感染症に移らないように、移さないように、常に一人一人が気を配っていたためスタッフも家族も健康で元気です。

ことコロナ禍においてはデジタルデバイド(情報格差)においてお客様が享受できるはずの行政支援・サービス等を取り逃すことのないよう、行政書士2名、補助者と共に事務スタッフもまた、チームプレーで行政書士法人ひとみ綜合法務事務所のお客様に価値あるサービスを提供し続けてまいる所存です。

国立大学を卒業して教員に~苦学生だった私と生活保護~”へ2件のコメント

  1. アバター 福岡県 H.S様 より:

    感動しました。胸打たれました。ドキュメンタリーのドラマ見てるようでした。ほんとにひとみ総合法務事務所のスタッフの方たちはすばらしい方ばかりなんですね。お母さまのお話は涙が止まりませんでした。共感しまくりです。
    改めて三木先生ってすごい方なんだと思い、胸がいっぱいになりました。恩返しのため事務所を支えていらっしゃる三木さんもすばらしい❗
    ほんとに素敵な会社です。何があっても揺らがない確たるものを感じます。羨ましい限りです。

  2. 特定行政書士三木ひとみ 特定行政書士三木ひとみ より:

    H.S.様、温かなコメントをありがとうございます!事務長の三木博之さんは、本当に真面目で実直で、他のスタッフもみんな、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所は人柄が優しく誠実な人ばかりです。これは、毎日一緒に仕事をしている私が保障できます。

    行政書士に限らず、士業は法人よりも個人事務所が圧倒的に多いのですが、その理由としてチームプレーが苦手な先生が多い、途中で人間関係に亀裂が生じてスタッフの入れ替わりが激しいなど言われますが、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所は事務所開設当初からずっと同じメンバーで(アルバイトスタッフさんは増えました)一丸となって頑張っていることが自慢の一つです。

    話は変わりますが、菅義偉政権が2021年の創設に向け検討を急いでいるデジタル庁は、諸外国に比べ遅れてきた行政のデジタル化を強力に推進するのが主な目的といわれます。オンラインで完結できる行政手続きは2019年3月末時点で7.5%に過ぎないので、国民1人10万円の特別定額給付金の事務作業も滞り給付に時間がかかってしまいました。

    デジタル化の遅れの背景には省庁の縦割りがあるため、デジタル庁創設が突破口となって、一気に行政改革が進むと私は予想しています。
    既に行政書士法人ひとみ綜合法務事務所はコロナ禍においてリモートワークを確立させて、お客様のご相談対応も9割以上が電話、メールで経費削減と効率化、さらに全国どこからご依頼頂いてもスピード対応スピード申請を同一料金でサービス提供できていますが、縁の下の力持ちとして下支えしてくれているのが、ITを駆使する事務長の三木さんなのです♪

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