令和初の母の日の大手新聞で、母の日の意外な歴史が紹介されていました。

アメリカ人女性の情熱により、1908年5月の第2日曜日に初めて母の日が行事として催されたそう。母親への思いを自筆で伝える日にしたいというのが発端の母の日が、商業主義に乗っ取られるかのように全米の花屋が一斉にカーネーションやカードを売りはじめたことで、悲しい騒動があったのだと。

母の日発端の地アメリカでは、どのように母の日の歴史が紹介されているのか、調べてみました。

以下、TIME誌記事より抜粋と意訳(訳者:行政書士三木ひとみ)です。

It’s not that Anna Jarvis concealed the fact that she got the idea from her mother. As she spread the word about the holiday, she always traced it back to the moment when, in 1876, she heard her mother recite the following prayer after teaching a Sunday School lesson: “I hope and pray that someone, sometime, will found a memorial mother’s day commemorating her for the matchless service she renders to humanity in every field of life.” When her mother died in 1905, she vowed to fulfill that dream.
But what the elder Jarvis had probably had in mind was something different than what her daughter eventually brought to reality. Evidence suggests that the original idea was for a “Mothers’ Day” ? a day for mothers, plural, not a day for one’s own mother ? on which mothers would get together for a day of service to help out other mothers who were less fortunate than they were

The Surprisingly Sad History Behind Mother's Day | Time

【意訳】
母の日を一大記念日へと高めたアンナ・ジャービスは、もともとは自分の母親から母の日の着想を得たことを公にしていた。世界中に母の日を普及・定着させるにつき、アンナは常に母親との思い出を発信した。1876年、娘のアンナは母親が日曜学校の教師を務めた後、こう祈っていたのを聞いたという。

「あらゆる面において、比類なき貢献を人類に施した母親をねぎらう記念日ができますように。」

そして、1905年にそう祈った母親が亡くなったとき、娘のアンナは、母親の夢を叶えようと胸に誓ったのだ。
しかし、アンナの母親が本来胸に抱いていた理想の母の日というのは、その後娘のアンナが実現した母の日とは少し違ったものだったらしいということが指摘されている。現在のように自分の母親一人を祝う記念日ではなく、母親たちが共同して、恵まれない母親を助け合おうという日にしたかったようだ。

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このようにアンナさんのお母さんが願った背景には、現在とは比べ物にならない高い幼子の死亡率があるようです。本来アンナさんは13人兄弟だったはずが、成人できたのはアンナさんを含め4人だけだったそうです。

これが、19世紀から20世紀初頭にかけてのアメリカの実態だったのですね。日本の方がもしかすると、公衆の場における衛生管理はされていたのかもしれません。

子どもがいなかったアンナさんは、母親とは別の価値観を持っていたようで、「愛しい我が子がいる母親は皆恵まれている」という考えの下、子どもが自分の母親を想い感謝する日にしたかったという説も。

そして、ここからの解釈が日本の大手新聞とアメリカのTIME誌でだいぶ取り上げ方が違うので興味深いのです。

「誰よりもあなたに尽くした女性へ市販のカードを贈って済ませるなど怠慢にもほどがある」
というアンナさんの言葉を紹介し、
ネット通販に加え、令和を売りにし、商戦に熱さを増した日本の母の日を泉下のアンナさんが見たらどう思うだろう、と綺麗に結んだのが、5月12日毎日新聞朝刊一面余禄。

一方TIME誌では、母の日を誰が創設したかでアンナさんを含め揉めにもめたアメリカの女性たちの一騒動を紹介し、さらにアンナさんは母の日を創設した自分に利益が入らずに花屋や菓子屋が儲けることに腹を立て、老人施設で孤独な死を迎える要因にもなったのではと皮肉っています。
真実はいかに。

さて、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所のメンバー4人(行政書士2名、事務員2名)にも、それぞれ大切な「お母さん」がいます。

全国の多くのお客様のご要望にお応えし、年中無休状態の行政書士事務所ですが、母の日の5月12日日曜日だけは、来所にてお越しいただく面談は別の日で調整いただきました。(電話・メール相談は通常通り対応)

そして、なんと驚いたことに、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所の代表行政書士の榎田啓先生(ご実家暮らし)は、お母様のために母の日のお祝いはおろか、誕生日にもお花一つ手紙一つ贈ったことがないというのです。

いえいえ、もちろん物よりも、気持ちが大事です。ただその気持ちも、示さなければ伝わらないというもの。身近な家族だと特に、口に出して感謝の思いを伝えることが大切だと思いますよ・・・と、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所の皆で、切切懇々と榎田先生をお節介にも説得したのが、母の日数日前。

というわけで、令和初の母の日は、榎田先生にとって初めての「母の日のお祝い」をしていただくことになりました。

母の日当日。まずは、お花屋さんへ。色とりどりのカーネーションが、趣向を凝らして陳列されています。
「榎田先生、どれにしますかー?」
と、女性スタッフが聞いても、今一つピンとこない様子の榎田先生。

「うち、花は家にあまり飾ってなかったような。」

「お母さんは、何が好きなんですか?」

「うーん・・・ワイン。うちは毎晩ワインを飲むから。」

なんともハイソではありませんか。そして、大阪・ミナミの中心地なんばの高級輸入スーパーへお供し、ワインを探すも・・・

「そういえば、兄貴が毎年母の日にはワインかカーネーションを贈ってきていたような。」
東京の大手外資系企業の営業マン(長年トップセールスだそう)のお兄様は、しっかり親孝行を形で示していらっしゃるようです。

物より気持ちが大事!でもプレゼントするなら、かぶらないほうがいいですね、ということで、今度は百貨店の婦人雑貨コーナーへ。

「スカーフなんてどうですか?」
「あんまりそういうのは着けないかも、いや、あればするかな・・・」
なんとも優柔不断なので(榎田先生、すみません)、女性スタッフが誘導して、これとこれならどっちが似合いそうですか?お母さんの身長は?などと聞きながら選別のお手伝い。

素敵なスカーフを一枚選び、ラッピングしてもらいました。

お会計を済ませたところで、お母さんは和菓子がお好きで行きたがっていたお店があったんだ!思い出したと、唐突におっしゃった榎田先生。急ぎ車で、天王寺の老舗甘納豆屋さんへ出向き、甘納豆詰め合わせを購入。

夕食の予約をしていたなんばのお店へ向かう途中、日本橋のあたりで、お母さんが好きなんだというケーキ屋さんを発見した榎田先生。それならお土産に買いましょうか!とまた車を止めて、急ぎお祝いのケーキも調達。運よく、その場でお名前も入れていただけることになりました。

そして、親子水入らずで楽しいお時間をお過ごしになられたようです。はじめての母の日のお祝いは、大成功だったようです。

でも、残念なことに・・・せっかく書いたお手紙は、
「恥ずかしくて渡せなかったです」
とのこと。お母様もお父様も、インターネットは絶対に見ないということで、せっかく書いたお手紙なので、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所のブログで公開させていただけることになりました。

それが、こちら。

余談ですが、榎田先生の手書き文字はちょっと暗号のようで読みにくいので、官公庁へ提出したりお客様に発送する書面の宛名は事務スタッフが書いてくれています。ご安心ください。

そして榎田先生は、大阪府行政書士会南大阪支部の副支部長を歴任する、ベテラン行政書士として普段はとても頼りがいのある行政書士法人ひとみ綜合法務事務所の代表です。