本日のブログは、私、原が担当です。
台風21号と低気圧による大雨の影響で、千葉県や福島県では土砂崩れや河川氾濫がまたしても相次いでいるようですね。

成田空港でも国内線、国際線どちらも多くの便が欠航していて、沢山の人が不安な夜を過ごされることに、胸が詰まる思いです。

幼少期ボリビアにて

私も幼少期、成田空港や関西空港を利用して、海外へ行きました。日本の母子家庭で生まれ育った私は、小学生の頃から母と妹と三人で、南米最貧国ともいわれるボリビアを主として、ほかアルゼンチン、ドミニカ、パラグアイに居住していました。

折しも、南米ボリビアの大統領選において現職のエボ・モラレス大統領の連続4期目当選が確実となって、日本でもワールドニュースで取り上げられています。

20年程前まではクーデターなどで短命政権が続いていたものの、モラレス氏が先住民初の大統領となってからは、絶大な人気を誇り、通算19年の異例の長期政権です。

ボリビアは多民族国家で、先住民は国民の2~3割、先住民系と言われる人たちでも国民の半数程度なのです。ボリビアの政治や経済は、長く白人系が握っていました。差別や貧富差は今も残りますが、だいぶ改善されました。

ボリビアには日本人移住者が多い

私の母親の仕事は、国語教育から日本語教育への過渡期にあるボリビアの日本語学校にふさわしいカリキュラムをモデルとして作るというものでした。ボリビアは、戦後の国家政策の一つによる、日本人移住者がとても多いのです。

当時ボリビアの日本語学校には決まった年間カリキュラムがなく、教師たちは各自の裁量で工夫して教えていました。

貧しい国ですから、子どもが働き手になっている家庭も多く、毎日学校に来れない子も少なくないのでカリキュラムを作っても意味がないというのが、その理由だったようです。

地球儀の、ちょうど日本の反対側に位置するボリビア。それでも尚、自分たちのルーツである日本語教育を望む保護者の要望は強く、遠方より片道2時間かけて送り迎えしている家庭もありました。また、ボリビアの地元の学校と違って、日本語学校の入学希望者は多く、需要はあっても御多分に漏れず、教師の確保が難しいようでした。

移住地における摩擦

異国の地で一生懸命仕事をしていた母ですが、よそから来た人間に何がわかるか、という悪い意味でなく自負心を持っているボリビア移住の日本人から敵対的な言動もあって苦労していました。

移住地の日系人たちは異国の地に、文字通り一生を埋めた方々。独自の文化と言葉を持っているのです。実際オキナワ言葉、日本語、スペイン語がミックスされてさっぱりわからないのです。ボリビアでは、あらためて私は外国人であると子供心に思っていました。

日本で教職に就いている人からすれば、実用的なカリキュラムがないということは理解できないことでしょう。

日本における学校教育では、系統的内容を計画的に教えることなくして進級していくことはあり得ないことです。

もちろん、個々の生徒の到達した学力は差があるのが当然のことながら、その学年の内容を未履修のまま、次の学年に送るということは、教師の責任上考えられないこと。

そのために学年の到達目標と指導内容が細かく決められて、日本のどこで教育を受けようと、都会だろうと僻地だろうと一定の水準を保つようにシステム化されているのが日本の学校教育、素晴らしいです。

日本語を忘れないように

日本語を学びたいのは、ボリビア現地の日系人だけではありません。日本で生まれた日本人の私もまた、日本語を忘れたくないと思っていました。

ロシア語のバイリンガルで同時通訳者の米原万理さんという方を、ご存知でしょうか?米原さんは日本屈指のロシア語通訳者です。小学校の3年から中学2年までの5年間をプラハのロシア学校で過ごされましたが、日本語使用は家庭内だけ。しかも両親は不在がちで、いつの間にか、姉妹げんかもロシア語でするようになり、生活言語はロシア語に取り込まれていったそうです。

このあたりは、日本のニューカマーの外国人児童と似ています。子どもたちはどんどん日本語に取り込まれて、親と話すことが少なくなって、子ども同士の会話は日本語になってくるのです。

米原さんは帰国した時の自分の母国語度は60%ぐらいと言っています。そして、自分が日本語と絶縁状態にならなかったのは、船便で届いた講談社の「少年少女世界文学全集」50巻のおかげであると。

これらの本を
『少なく見積もって20回以上、文字通り、ボロボロになるまで読んで、読んで、読み尽した。』

そして自分の話し言葉の教師は母親だが、書き言葉の教師はまちがいなくこれらの本で、
『50巻は母なる日本語とのつながりを保つ生命維持装置だった。大げさな言い方になるが、これなしには、日本人としての私は死んでいたと思う。』
と言っています。(著書「ガセネッタ&シモネッタ」より)

読書の習慣が母国語を守ってくれた

読書の大切さを知った私は、とにかくボリビアで日本語の本を読みました、それこそ、ぼろぼろになるまで。

読書の良いところは、自発的な学習だということにあります。多様な語彙と文型と文体を自然な形で教科書的退屈や押しつけがましさと無縁に、学習しているという意識もなく楽しみながら習得してしまうのです。

日本から母が持参してくれた、小学校~高校までの国語教科書は、私の愛読本でした。日本語の指導だけでなく、日本人としての心を伝えるものだからです。継承日本語教材として今のところ、これ以上のものはないのではないでしょうか。

後世の言語という文化を残していくために

一口に日系社会といっても、国によって日系社会もそれぞれ違います。共通して言えることは、日本語の衰退。

最終的に継承日本語が消えて行くときが来ると思います。残念なことですが、これは確かな事。でも、日本語を誰も話せなくなっても、最後まで残るものは日本人の文化であると思うのです。文化は言葉より寿命が長いから。

日系人が米を食べなくなっても、箸でなくフォークとナイフで食事するようになっても、お辞儀の代わりにアブラッソをするようになっても、土足で家に入るようになっても、お祭りに着物を着たり、エイサーを踊ったりなどは最後まで残るのではないかと思うのです。

ただ、日本人の心ともいうべき日本語が消えて行くのは寂しいことです。継承としての日本語は衰退しても、普及としての日本語はあると私は希望を抱いています。

だから、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所とご縁のつながった外国人のお客様のお子さんたちに、私はボランティアで日本語を教えるということを今始めています。千里の道も一歩より。